今回の記事は江島神社の三社、奥津宮、中津宮、辺津宮に焦点を当て、それぞれの歴史と祀られている神々について解説します。
八方睨みの亀や宗像三女神の由来など、参拝を深めるポイントも紹介します。
ね〜ぼです。
ルファさん、今日もよろしくお願いします!
僕たちの周りには、豊かな歴史を持つ魅力的な観光地が数多く存在しています。
これらの場所は単なる美しい景色や楽しいアトラクション以上のものを提供してくれます。それは、その土地固有の歴史的背景、伝説、そして時には忘れ去られた物語です。
このブログでは、観光地それぞれの歴史を深掘りし、訪れる価値がなぜ高いのか、その背景にあるストーリーを詳しくお伝えします。
歴史を通じて、それぞれの場所がどのようにして今の姿になったのかを探っていきましょう。
ね〜ぼ、今日は江の島の江島神社についてお話しします。
江島神社には三つの社があって、それぞれに違った神様が祀られているんですよ。
今回はそんな3社に祀られている神様や、見所をお伝えしていきますね。
おお、なんだか興味深いですね!
それぞれどんな神様が祀られているのか、楽しみです。
そうですね。でもその前に、ちょっとクイズを出してみようと思います。
問題
江島神社には『八方睨みの亀』という有名な絵がありますが、この絵はどこにあるでしょうか?
読者さん、ね〜ぼわかりますか?
えーっと…八方睨みの亀ですか〜?
う〜ん、ええっと、う〜んと
わかりました!
それは、きっと、海の中にあるんじゃないですか?
亀だし!
なるほど、面白い発想ですね。
でもそれは違います。
答えはこの記事の中でわかりますので、ぜひ最後までお読みください!
最後に答え合わせをしましょう〜。
なるほど、しっかり読んで勉強します!
それじゃあ、解説お願いします、ルファさん!
江島神社三社の時系列概要
江島神社の三社(奥津宮、中津宮、辺津宮)は、それぞれ異なる時期に創建されました。
江島神社は、辺津宮(へつみや)、中津宮(なかつみや)、奥津宮(おくつみや)の三社から成り立っています。
それぞれの社には異なる女神が祀られ、長い歴史の中で発展してきました。
それでは、もう少し詳しく各社について詳しく説明します。
辺津宮(へつみや)
辺津宮は、江島神社の三社のうち、島の最も低い位置にあるため「下之宮(しものみや)」とも呼ばれます。
1206年に鎌倉幕府3代将軍源実朝(みなもとのさねとも)の命により、鶴岡八幡宮の僧・良真によって創建されました。
主祭神は田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)で、宗像三女神の一柱として祀られています。
現在の社殿は1976年に再建されたもので、権現造りの美しい構造が特徴です。
特に注目すべきは、賽銭箱の独特なデザインです。
巾着袋を模した「相模彫り」の賽銭箱は、地元の職人、鏡碩吉( かがみけんきち )によって彫(ほ)られ、1959年に奉納されました。
この賽銭箱は、地元の人々によって大切にされており、参拝者に人気のポイントです 。
というのもこの賽銭箱は小銭を入れるといい音が鳴るように設計されているらしいんです。
参拝の際にはこの音にも注目してみてください。
どんな音なんだろ?
気になりますね〜!
じゃらん、じゃらんって感じです。
なるほど、全然わからないですね。
実際に聞いてみないことには・・
ですよね。是非行かれた際にはご自身で聞いてみて下ださい。
中津宮(なかつみや)
中津宮は、辺津宮から少し上ったところに位置し、「上之宮(かみのみや)」とも呼ばれます。
853年、慈覚大師によって創建され、主祭神は市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)です。
中津宮は、宗像三女神の一柱を祀る社で、特に美人祈願としての信仰が厚いことで知られています。
1689年には、徳川綱吉の命により本殿が再建され、現在の社殿はその再建をもとに1996年に再度修復されました。
社殿の天井には、四季折々の花や鳥を描いた154枚の絵が飾られており、神社を華やかに彩っています 。
境内には、「水琴窟(すいきんくつ)」と呼ばれる水の音を楽しむ庭園があり、静かで心地よい雰囲気が漂います。
水琴窟(すいきんくつ)は、地中に埋めた甕(かめ)に水滴を落としてその音を共鳴させ、琴の音に似た妙なる音を響かせることができるんですよ〜!
なんとも心地のいい音が鳴るんですよ!
水を流すと琴みたいな音??
う〜ん、これもイメージが湧かないですね。
これは体験しないとですね!
この庭園は無料で訪れることができ、訪れた人々に癒しのひとときを提供しています 。
奥津宮(おくつみや)
奥津宮は、江の島の最も高い位置にあり、多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)を祀っています。
多紀理比賣命は、宗像三女神の一柱であり、海を守る神として古くから信仰されています。
奥津宮は「本宮」とも呼ばれ、夏には海からの潮水が岩屋本宮に流れ込むため、女神の像が奥津宮に移されていました。
現在の社殿は、1842年に再建されたもので、壮麗(そうれい)な建物です。
奥津宮で最も有名なのは、拝殿の天井に描かれた「八方睨みの亀」という絵です。
この絵は、江戸時代の絵師・酒井抱一(さかいほういつ)によって描かれ、どの角度から見てもこちらを睨んでいるように見えるという特別な技法が用いられています。
1994年に修復され、藤沢市の有形文化財として保護されています。
奥津宮の入口には、源頼朝が寄進したと伝えられる石鳥居があり、長い歴史を感じさせます。
また、境内には御神木や力石など、江戸時代から続く信仰の対象が多く残されており、多くの参拝者が訪れます 。
では、江ノ島の三社についての概要を説明しましたが、実はこの三社にはいくつか興味深い歴史的要素もあるんです。
そうなんですね!
例えばどんな要素があるんですか?
例えば、辺津宮(へつみや)には『茅の輪(ちのわ)』という大きな草で作られた輪があります。
これはお祓いのために使われるもので、正しいお参りの仕方としては、この輪を左に一周、次に右に一周、最後に再び左に一周しながらくぐるんです。
これで永遠の象徴である八の字を描くことになります。
それは興味深いですね!なんか、体験してみたいです。
それで他には何かありますか?
中津宮(なかつみや)には江戸時代の芸人や商人が奉納した石灯籠がたくさんあります。
これらは、当時の熱心な信仰の証と言えるんです。
また、近代の歌舞伎俳優の手形も見ることができるので、歴史と現代のつながりを感じられる場所ですね。
石灯籠って、どういった経緯で建てられるものなんですか?
良い質問ですね!
いろんな経緯があるようなのですが、一般的に石灯籠は、特定の信仰心や願いを表現するためだったり、願いが叶った方が、感謝の気持ちで奉納されるものだそうですよ。
つまりお金を払えば一般的な人でも作る事ができるんですって!
なるほど、そういう経緯で建てられているんですね。
他者からの感謝の意が形になっているなんて、なんだかすごく感動的です。
そうですね、三社を巡るだけでなく、それぞれの場所に隠された歴史的背景を感じながらお参りすると、より一層楽しい旅になると思いますよ。
弁財天とサラスヴァティの関連
さて、江ノ島の三社について話を進めてきましたが、それぞれの神社には特別な神様が祀られていましたよね。
奥津宮(おくつみや)には多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)が祀られていますし、辺津宮(へつみや)には田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)が祀られています。
そして中津宮(なかつみや)には市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)が祀られています。
これらの神様は、宗像三女神として知られ、古代から海や航海の守護神として信仰されてきました。
宗像三女神は海の神様なんですね。
でも、弁財天という名前も聞きますけど、これはまた別の神様なんですか?
良い質問ですね。
実は、江ノ島では宗像三女神とともに、弁財天という神様も深く信仰されています。
日本の長い歴史の中でこれらは同一神として祀られるようになったんです。
弁財天は、インドの女神サラスヴァティが起源で、日本では知識や音楽、芸術、そして財運の神として信仰されています。
サラスヴァティと弁財天の関係について詳しく解説しますね。
弁財天は、インドの女神サラスヴァティを起源としています。
サラスヴァティは知識や音楽、芸術を司る女神で、日本に仏教が伝わると共に、日本でも崇拝されるようになりました。
弁財天はサラスヴァティと同様に琵琶を持ち、知識と音楽の女神として知られていますが、日本では次第に富と繁栄の神としても信仰されるようになり、七福神の一柱にも加えられました。
ちなみにインドではこの楽器をヴィーナと言うそうです。
ルファさん、それじゃあ、サラスヴァティと弁財天はまったく同じ神様なんですか?
それとも何か違うんですか?
難しい質問をしますね、ね〜ぼ。
この辺の問題は非常にややこしく分かりづらいので、僕の個人的な見解ですと、サラスヴァティと弁財天は基本的には同じ神格を持っていますが、インドと日本での信仰や象徴の違いがあると思います。
例えば、サラスヴァティは水の女神としても知られていますが、日本ではもちろん水に関しての進行もありますが、主に音楽や芸術、そして財運の象徴としての側面が強調されています。
さらに、日本では弁財天は七福神の一柱となり、他の神々とともに信仰されることが多いです。
なるほど、国や文化によって同じ神様でも少しずつ変わっていくんですね。
それで、宗像三女神との関係はどうなるんですか?
良いところに気づきましたね。
宗像三女神は、古代から海上交通の守護神として信仰されてきた神々で、日本の宗教史においても重要な存在です。
彼女たちはアマテラスとスサノオの誓約から生まれたとされ、主に九州の宗像大社に祀られています。
江の島でも、弁財天信仰が宗像三女神と融合し、独特の文化が形成されました。
これは日本の神道と仏教が織り交ざった複雑な歴史の一部として、現代でもその影響を残しているんです。
やっぱり、日本の神様って色々なところから影響を受けているんですね。
歴史の中でそうやって融合していくのは、すごく面白いです!
そうですね、ね〜ぼ。
弁財天と宗像三女神がどのように融合していったのかを知ることで、神道と仏教がどのように日本文化に根付いていったのかがよくわかりますね。
このような歴史的な背景を知ることで、参拝もまた深みを増すと思います。
エンディング
いかがでしたでしょうか?
江島神社の三社にはそれぞれ独自の歴史と神話が詰まっていてそれを知ってからご旅行に行くと旅行が楽しくなりそうですよね。
それでは最初に出した問題の答え合わせです。
問題
江島神社には『八方睨みの亀』という有名な絵がありますが、この絵はどの社にあるでしょうか?
皆さんはわかりましたよね?
それではね〜ぼ答えをどうぞ!
はい〜!ルファさん、記事を読んでわかりましたよ!
『八方睨みの亀』は奥津宮の拝殿の天井にあるんですね。
どの角度から見ても睨まれているように見えるって、すごい技法ですね!
正解です。
江戸時代の絵師・酒井抱一が描いたもので、とても珍しい技法が使われています。
奥津宮は江島神社の中でも特に神聖な場所で、この絵もその特別さを感じさせる一つの要素ですね。
天井に描かれているので参拝に行かれる際は見逃さないようにして下さいね。
確かに、亀がずっと睨んでくるなんて、ちょっとドキドキしますね。
でもこれでクイズの答えがわかってスッキリしました!
それは良かったです。
江島神社の三社にはそれぞれ独自の歴史と神話が詰まっていますので、ぜひ皆さんも参拝に行かれる際はそれらを感じ取ってみてください。
それでは、また次の歴史旅でお会いしましょう!
またお会いしましょう!ありがとうございました!
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