徐福の実在と伝説!古代中国からの秘密の使者と日本の謎をわかりやすく解説!

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古代書物

中国の伝説の人物、徐福。彼は不老不死の妙薬を求めて東の果てへと旅をしたと言われていますが、『富士宮下文書』には、彼が日本列島に到達し、特に富士山周辺での活動に関する記述があります。徐福と日本の古代の関係、その真相はこの文書の中に隠されているのかもしれません。

前回の富士宮下文書』の概要と発見の経緯のあらすじ

『富士宮下文書』は、富士山の麓に伝わる古文書で、日本の歴史を覆す可能性があるとされています。(こちらの書物は一般的に偽書とされています。)
文書の発見は、明治時代に三輪義熈が富士山の麓を訪れた際、宮下家に代々伝わるこの文書に出会ったことから始まります。
文書は、富士山の大噴火や火災などの災害を乗り越えて宮下家によって保管されてきました。

幕末には火災で一部が燃えたものの、宮下家の娘・梅子が文書を救出し、明治時代には、三輪義熈によって文書がまとめられ、「神皇記」として一部が公開され、昭和六十一年には『神伝富士古文献大成』として刊行され、その内容が広く知られるようになりました。
そしてこの文書を編算したものこそ、紀元前三世紀頃の中国の方士・徐福なのです。
その内容は、富士山麓に存在したとされる「富士古代王朝」の高度な文明について詳細に記述されていると言われています。

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ルファ
ルファ

こんにちは、素人歴史研究家ルファです。
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エヌ
エヌ

こんにちは、助手のエヌです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

こんにちは、マスコットのね〜ぼです。

ルファ
ルファ

前回は、富士王朝の存在を示唆した書物が富士宮下文書で、それを書いたのが徐福だったという話をさせていただきましたよね。

エヌ
エヌ

そうですね。
確か徐福は中国の方で日本に不老不死の仙薬を探しにきたんですよね。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

日本にそんなものがあったなんて驚きです。
それにしてもその仙薬って美味しいんですかね〜!。

ルファ
ルファ

不老不死の仙薬を美味しいか、不味いかで考えるのはね〜ぼだけですよ!!
徐福はそんな仙薬を探しに来るという、ちょっと怪しい人物なんでが、いろんな噂があるにも関わらず、よくわからない人でもあるんです。
なので今回は富士宮下文書は一度置いておいて、徐福について考えていきましょう。

エヌ
エヌ

そうですね。
富士宮下文書をもっと考えるにあたって、徐福のことを知っておいた方が面白い気がします。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

不老不死の仙薬は、やっぱり薬だからあまり美味しくなさそうですね。
でも珍味みたいにクセになるものかもしれないと考えるとやっぱり食べてみたいような・・・。

ルファ
ルファ

ね〜ぼは全然話を聞いてないですね。
まあ、いいか!
それではまず、徐福の実在性について解説していきますね。

徐福の実在性について

徐福は、古代中国の秦の時代の方士で、斉国の琅邪郡(現在の山東省臨沂市付近)出身です。日本に渡ったという伝説があります。

Googleマップ

いきなりですが、日本に来日したというのは、あくまで伝説でその事実は証明されていません。
というかそもそも徐福自体の存在すら認められていない時代もありました
長らく中国の学界では、徐福の伝説は実際の歴史的事実ではなく、民間伝承に過ぎないとの見解が主流でした。

その理由として、史書の記述が詳細でないことや、徐福の具体的な人物像が不明確であることが挙げられます。従って、学問的な研究の対象としては長らく取り上げられてこなかったのです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

ええ〜!いきなり、怪しいですね。
徐福さんはいなかったんですか?
じゃあ、不老不死の仙薬も〜!

エヌ
エヌ

不老不死の仙薬はまあ無くてもいいですが、これだけ伝承が残ってるのに?

ルファ
ルファ

まあ、最近では色々わかってきているんです。
続きの解説をしますね。

中国の書物、史記に書かれた徐福

徐福は、古代中国の『史記』に記述されている人物で、秦の始皇帝の時代に活動していました。

史記には、彼は始皇帝に対して、東方の三神山に不老不死の霊薬があると伝え、それを求めるための遠征を提案しました。

というのも徐福は海中の神に東南の蓬莱山に行けば、神仙の住む宮殿を見ることができると教えてもらっていたからだそうです。
そして、その霊薬を手に入れるためには、若い男女や技術者を献上すればよいとの助言を受けていたとも言います。

東方の三神山

神仙が住むとされる島で、蓬莱、方丈、瀛州の3つの山の事。
これらの山は、後に日本でも知られるようになり、『竹取物語』にも言及されています。
特に、蓬莱や瀛州は、後に日本の地名としても使用されました。

史記には、彼は海中の神の言う通り、始皇帝に対して、東方の三神山に不老不死の霊薬があると伝え、それを求めるための遠征を提案しました。

始皇帝はこの話を信じ、徐福に総勢3,000人、(内若い男女500人)と多くの技術者を伴い、さらに財宝や五穀の種などの物資を持たせて、東方への船旅を命じました

しかし、その後、徐福は三神山に到達することなく、代わりに「平原広沢」という土地を発見し、そこで王となり、秦には戻らなかったと史記には書かれていたそうです。

また、『史記』の別の部分には、徐福が始皇帝に不死の薬を献上すると約束し、そのための支援を受けたものの、実際には出港していなかったとの記述もあります。

このため、彼は詐欺師として描写されている部分もあります。

簡単に言うと、徐福は始皇帝に不老不死の霊薬を求める冒険を提案し、多くの支援を受けて東方に旅立ちましたが、目的の地には到達しなかったとされています。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

中国の書物には日本に来たって所までは書かれてないんですか?

エヌ
エヌ

しかも、詐欺師っぽい捉え方もされてる面もあるんですね。

ルファ
ルファ

そうなんです。
史記】は、紀元前100年頃に司馬遷によって書かれ、本来、非常に高い信頼性を持つとされています。なぜなら、司馬遷は記事の内容を直接現地で確認して収録していたからです。でも徐福の話は、司馬懿の生まれる100年も前の話だし、徐福の記事内容も不明確だったので、「これはどうなんでしょう?」って学者たちも思ってたみたいですよ!
ただ、史記以外の地域の伝承みたいな書物にも徐福がいたり、とにかく掴めない人物だったようです。

エヌ
エヌ

今でも、徐福の実在性は怪しいんですか?

ね〜ぼ
ね〜ぼ

そうですよ!
徐福さんが日本に来て富士山王朝の記したのが富士宮下文書という話の流れなのに〜。

徐福さん自体がいなかったら話にならないですよ〜!
そんなお話なら、私は昼寝します!!

ルファ
ルファ

ね〜ぼは怒るとすぐ昼寝しちゃうからな〜💦
まあ、待ってください。実は割と近年、徐福の存在に関する発見もあったんですよ!

福村の発見と徐福の足跡

1982年、中国の学者が「徐福村」を発見し、その地が伝説の「徐福」が居住していた村であるとの結論を得ました。この発見は、1985年に『中日関係史論文集』として公表され、多くの反響を呼びました。一部の人々はこの報告に懐疑的でしたが、1987年には「第一回徐福学術討論会」が開催され、多くの研究者が参加し、徐福の実在や徐福村の発見についての議論が行われました。結果として、徐福の実在や徐福村の発見は、ほぼ事実として認められるようになりました。

さらに、徐福を先祖とする家族が名乗り出て、2000年以上の歴史を持つ家系図を持っていることが判明しました。中国では家系図は非常に重要視されており、多くの家庭が長い歴史を持つ家系図を保有しているんです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

ええ〜?先祖の方が名乗り出たんですか?
なんで今まで黙ってたんですか?

エヌ
エヌ

確かに、今になって言い出すなんてちょっと怪しくないですか?

ルファ
ルファ

それには理由があったんです。
徐福は日本への旅立ち前に、親族に「皇帝の命令で薬を探しに行くが、もし失敗すれば秦王による報復があるだろう。そのため、私たちが旅立った後、『徐』という姓を使ってはいけない」と警告したそうなんです。その結果、『徐』という姓を名乗る者はいなくなったんです。

エヌ
エヌ

なるほど、始皇帝は残虐な暴君のイメージがありますからね。
それはやりかねないですね。

引用元:Wikipedia 始皇帝
ルファ
ルファ

そうなると、始皇帝に不老不死の仙薬を取ってくると言って騙したという話も納得できますよね。
仙薬なんてものがないのならそれを理由に、お宝持って、国外逃亡するのも頷けます。
もちろん真実はわかりませんけどね。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

ええ〜?じゃあ、仙薬はないんですね〜!
食べてみたかったな〜!

エヌ
エヌ

ね〜ぼは食べ物の事となると真剣ですね。

ルファ
ルファ

中国の史記には徐福は日本に来たとは書いてないですが、徐福が中国を出た後、同じぐらいのタイミングで日本でも色んな変化があります。
また、徐福の伝承も全国各地にあるんです。
それでは、次は、日本各地の伝承と徐福について解説していきますね。

徐福がもたらした日本への影響

徐福は、日本の歴史において重要な存在として知られています。彼が来日したとなると、時代は紀元前3世紀。
まさに縄文時代から弥生時代への移り変わりの時期です。

この時代の変化は、狩猟時代から稲作時代の変革の時期でもあります。
なので、彼の渡来によって、日本に稲作がもたらされ、焼畑や漁撈の経済が大きく変わったという説があるのです。

また、灌漑や稲作農業の技術、神仙思想を日本に持ち込んだとも言われており、古代日本の発展に大きな影響を与えたと考えられています。
というのも徐福は総勢3,000人、多くの技術者を伴い、さらに財宝や五穀の種などの物資を持ってきたからです。

エヌ
エヌ

う〜ん。でもたかだ3000人で日本の文化を変えられるんですか?

ルファ
ルファ

う〜ん、真偽はわかりませんが、当時の日本の人口は今より全然少ないですし、村一つでもせいぜい多くて100人ぐらいだったらしいので、3000人がきたら村の一つや二つはすぐ懐柔されちゃうような気もしますよね〜。
そうやって、どんどん広がっていったと言われてもまあ、納得できますよね。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

新しい、技術で食べ物たくさん食べれるようになったんですね。
それはありがたい事ですよ〜

ルファ
ルファ

そうですね。
だから日本には徐福伝承がいっぱいありますし、古代の有力貴族に秦氏という氏族がいるのですが、もしかしたら、徐福一行の事を「秦」から来た人ということで、そう呼ばれた可能性はありますよね〜。
秦氏は渡来人だったという話ですから。

徐福の日本伝説

それでは日本に伝わる徐福の様々な地域で彼の足跡や伝承を紹介していきます。

  • 三重県熊野市:徐福が日本に到着したとされる場所。近くの波田須駅には徐福ノ宮があり、徐福が持ってきたとされるすり鉢が神体として祀られています。また、この地からは古代の中国の貨幣も出土しています。
  • 和歌山県新宮市:徐福の墓とされる場所があり、徐福公園として整備されています。
  • 福岡県八女市:徐福が訪れたとの伝承があり、彼を弔う伝統行事「童男山ふすべ」が行われています。
  • 佐賀県佐賀市:金立山には「フロフキ」という植物が自生しており、これは不老不死の薬とされる植物です。
  • 京都府伊根町:徐福がこの地で不老不死の妙薬を見つけたとされる伝承があり、新井崎神社には彼が祀られています。
  • 長野県佐久市:徐福が蓼科山で双子をもうけたとの伝承があり、「双子池」や「双子山」という名前が残されています。
  • 山梨県富士吉田市:徐福が富士山の麓で富士王朝の文明に感激し、その土地に記されている書物を漢字にして子孫代々残す。これがのちの「富士宮下文書」となります。
  • その他、鹿児島、宮崎、広島、愛知、東京、秋田、青森など、日本各地に徐福に関する伝承や伝説が存在しています。
ね〜ぼ
ね〜ぼ

ええ〜?そんなにいっぱい伝承があるんですか?

ルファ
ルファ

すごいでしょ?
だから伝説の人物なんです。

まとめ

ルファ
ルファ

それでは今回の話をまとめますね。

徐福は古代中国の秦の時代の方士で、日本に渡ったという伝説があるが、実際の証明はありません。中国の学界では、近年まで徐福の伝説は民間伝承とされていました。
しかし、1982年に「徐福村」が発見され、徐福の実在がほぼ事実として認められます。
徐福を先祖とする家族が名乗り出て、家系図を持っていることが判明し、現代では地福は実在したとされています。

史記に書かれた徐福は秦の始皇帝の時代に活動していて、始皇帝に東方の三神山に不老不死の霊薬があると伝え、遠征を提案し始皇帝は徐福に3,000人と物資を持たせて東方への船旅を命じます。徐福は目的の地に到達せず、平原広沢という土地で王となり、秦には戻りませんでした。

徐福がもたらした日本への影響としては紀元前3世紀、縄文時代から弥生時代への移り変わりの時期に来日したとされ、日本に稲作をもたらし、経済や文化に大きな影響を与えたとの説があります。
また渡来系弥生人として後に有力な氏族秦氏になるとの説もあります。
三重県、和歌山県、福岡県、佐賀県、京都府、長野県、山梨県など、日本各地にも徐福に関する伝説や伝承が存在います。
ただどれも伝承で確実な証拠はない伝説的な人物なのです。


ルファ
ルファ

いかがでしたでしょうか?
徐福の伝説は古代から現代まで僕たちの心を魅了し続けています。
彼の足跡を追いながら、歴史の深さや謎を感じることができるんです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

うん、眠かったけど、ルファさんの話を聞いて、ちょっと興味が湧いてきましたよ。
でも、やっぱりお腹すいたな〜

エヌ
エヌ

ね〜ぼ、いつものことですね(笑)。
でも、歴史の中にはまだまだ知らないことがたくさんあります。
私たちが学ぶことで、過去と現在、未来がつながっていくんですよ。

ルファ
ルファ

ですね!


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