助手のエヌです。
マスコットのね〜ぼです。
前回は三種の神器の一つ草薙剣の移動経路の神代編についてお話ししました。
現在、草薙の剣は愛知県名古屋市の熱田神宮のご神体として祀られています。
ヤマタノオロチ伝説では、スサノオがヤマタノオロチを倒し、その体の中から剣を見つけました。
スサノオはこの剣を姉のアマテラスに献上し、
アマテラスオオミカミはこの剣を孫のニニギノミコトに託し、ニニギノミコトが天孫降臨の際に地上に持ってきました。
その後、草薙の剣はどうなってしまったんですか?
今回はそこのお話なんです。
今回はですね、草薙の剣の古代から中世編ということで、 古代から中世、草薙剣がどういう移動経路を通ってきたのかというようなところのお話をしていきたいと思います。
古代から中世にかけても草薙剣の移動経路も面白いですからね。
※草薙剣の移動経路はいろんな伝承があり、正確な事は未だ解明されておりません。
今回の記事はあくまで、等ブログの見解ですのでその点をご了承ください。
古代~中世
1皇居、2倭の笠縫邑、3伊勢神宮(内宮)
天孫降臨後は、「皇居内に祀られる」との事ですが、皇居ってどこなんだろ?と思い調べてみたら、どうやら、皇居は天皇の住まいという意味らしいので、天皇のお住まいの場所が変われば、その都度、皇居も変わるようです。
今は皇居は東京ですもんね。
ということは、草薙剣は日本神話によると、ニニギが降りたのは九州の高千穂で、初代神武天皇の際に近畿地方に移動したという事になりますね。
なるほど〜!色々場所が移動してるんですね。
はい、この辺は、古事記、日本書紀にも記載がないらしく、想像でしかないですけどね。
でも、同じ三種の神器である八咫鏡と一緒に祀られていたようです。
そして時は流れ、第10代、崇神(すじん)天皇の時代まで飛びます。
日本書紀によると、やがて10代崇神(すじん)天皇の時代に、神宝を宮中に奉祀しているとあまりにもパワーがあり、それに恐れ、崇神天皇の娘、トヨスキイリビメによって、笠縫邑(かさぬいむら)と言う場所へ奉遷されます。
そしてヤマトヒメ(倭姫命)に引き継がれ、11代垂仁(すいにん)天皇の代に、トヨスキイリヒメから、合わせて約60年をかけて現在の伊勢神宮・内宮に落ち着きました。
それが伊勢神宮の起源となったと言われているんです。
※笠縫邑(かさぬいむら)は奈良県とされていますが、奈良のどこなのかは比定地も多く今も謎となっております。
パワーがあって、それに恐れたって?
一体何があったのでしょうか?
よほど怖い事があったのではないかと思います。
そして、次の時代の12代景行天皇に入ります。
景行天皇は、英雄、ヤマトタケルの父としても有名な天皇ですね。
それではヤマトタケルと草薙剣の伝承も紹介しましょう。
4〜6ヤマトタケルと草薙剣
ここで熱田神宮に到着するんです。
今、熱田神宮に祀られているという事は、ここが最終地点で草薙剣の長い旅も終わるんですね。
いやいや、草薙剣はこの後もいろんな事件があるんですよ。
それはまた次回のお話にとっておきましょう。
まとめという事で、この物語のMVを作成しました。
音楽に合わせてストリーを確認できるので是非聞いてみてください。
エンディング
今回は、草薙剣の古代から中世にかけての移動経路について詳しくお話しました。
草薙剣は、スサノオがヤマタノオロチを倒し、アマテラスに献上され、天孫降臨を経て、数々の天皇や英雄の手を経て熱田神宮に辿り着きました。
この剣には、日本の歴史と神話が詰まっていて、私たちの想像力を掻き立てますね。
草薙剣の旅は、まさに日本の文化と信仰の象徴と言えるでしょう。
草薙剣の長い旅を追ってみると、日本の各地に様々な伝説や歴史が織り交ざっていることがわかりますね。
次回もまた、面白い話を聞かせてください!。
次回は、草薙剣がどのようにして現代に伝わったのか、についてお話ししていきましょう。
それでは、またお会いしましょう!
ありがとうございました!
ありがとうございました!
以上が、草薙剣の謎に迫るお話でした。これからも歴史と神話の面白さをお届けしていきますので、どうぞお楽しみに!
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