僕たちの周りには、豊かな歴史を持つ魅力的な観光地が数多く存在しています。
これらの場所は単なる美しい景色や楽しいアトラクション以上のものを提供してくれます。それは、その土地固有の歴史的背景、伝説、そして時には忘れ去られた物語です。
このブログでは、観光地それぞれの歴史を深掘りし、訪れる価値がなぜ高いのか、その背景にあるストーリーを詳しくお伝えします。
歴史を通じて、それぞれの場所がどのようにして今の姿になったのかを探っていきましょう。
マスコットのね〜ぼです。
本日お話ししたいのは、伊豆の大瀬崎にある大瀬神社の境内にある、海に囲まれているのに淡水で鯉などが生息している不思議な「神池」についてです。
こちらの大瀬崎という場所の神池は、伊豆七不思議の一つでもあるんですよ。
伊豆七不思議といえば、以前の記事でお伝えしていた修善寺の独鈷の湯も、伊豆で初めて温泉が湧き出たと言われる不思議な場所で、空海が河床を独鈷で突いて湧き出た温泉が始まりという伝承がありましたよね。
そうです。そうです。
そのお話も不思議でしたが、今回のもなかなか不思議なお話ですよー。
大瀬崎の神池の伝承
大瀬崎の神池は海に非常に近く、その距離が20メートルほどしかありません。標高も1メートルほどしかなく、荒れた日には海水が吹き込むことが多い場所です。しかし、この池は淡水であり、鯉やナマズなどの淡水魚が生息しています。
海水が入ったとして、それの何が不思議なんですか?
それは不思議な事なんですよー!
海水に住む魚と、川や池に住む魚は同じ場所には住めないんです。
淡水魚である鯉やナマズが生息しているという事は、池の中は淡水だって事になるんです。
海水が吹き込んでくるこの池では生息できない魚が住んでいるというのは不思議な事なんです。
不思議な地形と水の謎
海に近く、海水が入り込むことがあるにも関わらず、なぜこの池が淡水なのか?
その理由として、富士山からの浮流水が湧き出ているため常に淡水が供給されているという説があります。
しかし、海面の高さが上下するのに合わせて池の水面も変わるため、どこかで海と繋がっているという説もあります。
この謎は科学が発達した現代においても、完全には解明されていないのです。
神池にまつわる伝承
この池は神聖な場所とされており、古くから池を調べたり、魚や植物を取ったりすること神の怒りを招くと信じていました。
そのため、池の詳細は未だに解明されていません。池の底には何があるのか、どれほどの深さなのかもわからないままです。
神様の怒りが怖くて、調査できないんですねー。
もちろん、罰当たりだからというのも一つの理由だと思いますが、池の水が層状に分かれている場合、機材や人が池に入ると取り返しのつかない環境破壊が起こる恐れが強いというのも理由の一つみたいですよ。
大瀬神社の伝承と歴史
それでは、神池のある大瀬神社についても見ていきましょう。
この大瀬神社は別名引手力命神社といい、創建の伝承も面白いんです。
昔々のことです。白鳳13年(684年)に大きな地震が起こりました。
その地震で、海の底が突然大きく持ち上がり、新しい島が現れました。この島は「琵琶島」(びわじま)と呼ばれるようになりました。
その頃、遠く土佐国という場所でも大きな地震があり、多くの土地が海に沈んでしまいました。
人々は、この新しい土地にその沈んだ島を、神様が引っ張ってきたのだと考えました。
そして、彼らはこの新しい島に引手力命(ひきたぢからのみこと)という神様を祀ることに決めました。
時が経つにつれて、琵琶島は砂がたまり、大瀬崎という場所とつながる陸繋島となりました。
この地は人々にとって神聖な場所となり、引手力命を祀る神社が建てられました。
こうして、大瀬明神の神池は長い歴史とともに、多くの人々に愛される場所となったのです。
ええ?神様が引っ張ってきたんですか?。
古代の伝承ではそういった神様の島を引く伝承っていうのが他にもあるんです。
そう考えるとは、伝承あるあるなのかもしれませんね。
源氏の武将たちと大瀬神社
平安時代の終わりには源氏の武将たちがこの神社に弓矢や太刀を奉納し、室町時代には鈴木重友という武将がこの地域を支配し、神社の祭祀に努めました。
その後も地震や津波で神社が失われることがありましたが、地元の人々が再建し続けてきました。
現在の社殿は昭和14年に再建され、今もなお海上安全を祈願する神社として多くの人々に愛されています。駿河湾や富士山を望む美しい景観と共に、不思議な伝承が息づく場所です。
エンディング
今日は、伊豆の大瀬崎にある大瀬神社の神池についてお話ししました。
海に近いのに淡水が湧き出る不思議な池と、歴史的な伝承を持つ神社は、多くの人々の心を引きつけます。
ぜひ、訪れる機会があれば、その不思議さを体感してみてください。
はい、私も行ってみまーす
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