助手のエヌです。
マスコットのね〜ぼです。
今回は、長野県長野市に古くからある戸隠神社の旅行をもっと面白くするための情報をお伝えしていきたいと思います。
戸隠神社の概要から、戸隠山に伝わる伝承まで丸っと解説していきますね。
戸隠神社ですか?
結構山奥にあるひっそりとした神社ですよね。
そうですよ。
戸隠神社は、戸隠山周辺にある五つの社の総称です。
これらの社はすべて戸隠神社として、その伝承は非常に古いものです。
五つの社の中でも特に重要なのが奥社です。
この奥社は一説には紀元前210年に創建されたと伝えられています。
ええ?
そんな古くからあるんですか〜?
もちろん、あくまで一説みたいですよ。
紀元前は文字もないし、証拠はありませんからね。
後に書かれた書物にそういった記載があったとしても、それにどこまで神妙性があるかは疑問が残ります。
でも、分からないぐらい古い神社というのは間違いないですけどね。
別の説では平安時代に創建された宝光社が古いという説もあります。
そうですね。
さらに、奥社の近くには九頭竜社があり、こちらも戸隠神社の一つです。
九頭竜社の伝承は奥社よりもさらに古いと言われています。
伝説によれば、この地の地主神である九頭竜大神が奥社の多力男神という神を迎え入れたとされています。
九頭竜大神?
多力男神?
誰ですか?
その辺は今回の記事で説明していきますよ。
神社の縁起書によると、849年に僧侶の学問が、この地で奥社を発見し、初めて修験を行ったとされています。
このことから、戸隠神社は修験道の地としても有名ですよね。
その通りです。
さらに「扉の戸に隠す」と書く戸隠神社、この神社には一体どんな秘密が隠されているのでしょうか?
皆さんは、神秘的な伝承がどのようにして現代まで語り継がれてきたのか、興味はありませんか?
それでは、一緒に都各市神社の扉を開き、その奥深い世界に飛び込みましょう!
戸隠神社ってどんな神社?戸隠神社の概要
まずは戸隠神社の概要からお伝えしていきましょう。
️ 戸隠神社の位置
長野県長野市の北西部に位置する戸隠山のふもとにあります。
この神社は、奥社(おくしゃ)、中社(ちゅうしゃ)、宝光社(ほうこうしゃ)、九頭龍社(くずりゅうしゃ)、火之御子社(ひのみこしゃ)の五つの社があります。
戸隠神社は、自然豊かな環境の中にあり、特に紅葉の時期や雪景色が美しいことで知られています。徒歩や車で訪れることができ、登山やハイキングを楽しむ人々にも人気のスポットです。
五社巡りの説明
戸隠神社は五つの社から成り立ち、それぞれを巡ることを「五社巡り」と呼びます。
参拝の道のりと神社の特徴
奥社(おくしゃ)
- 杉並木参道: 奥社への道のりは、約2kmにわたる美しい杉並木が続きます。樹齢数百年の杉の巨木が立ち並び、神秘的な雰囲気を醸し出しています。
- 隋神門(ずいしんもん): 杉並木の途中にある大きな門で、ここを通ると一層の神聖さを感じられます。
- 奥社の本殿: 奥社の本殿は、山の中腹にあり、ここからの景色は絶景です。参拝の達成感を味わえます。
中社(ちゅうしゃ)
- 立派な社殿: 戸隠神社の中心的な社で、立派な社殿が特徴です。多くの神木があり、荘厳な雰囲気が漂います。
- 大鳥居: 中社の入口にある大きな鳥居は、参拝者を迎える象徴です。
宝光社(ほうこうしゃ)
- 石段と狛犬: 参道の石段や狛犬が古風な趣を感じさせます。歴史を感じさせる雰囲気が魅力です。
- 静かな境内: 比較的静かな場所で、心を落ち着けて参拝できます。
火之御子社(ひのみこしゃ)
- 芸能の神: 舞楽の神が祀られており、芸術関係者に人気です。ここでの参拝は、芸術的なインスピレーションを求める人々におすすめです。
九頭龍社(くずりゅうしゃ)
- 龍神信仰: 龍神が祀られており、強力なパワースポットとして知られています。特に水の神として信仰されています。
戸隠山の景観
- 四季折々の自然: 戸隠神社周辺は四季折々の美しい風景が広がります。特に秋の紅葉や冬の雪景色は絶景です。
戸隠そば
地元名物の戸隠そばも紹介されています。
そばの文化が戸隠に根付いています。
盛り方が特徴的で5つに分けて盛り付けされています。
5つの社の神様それぞれにお供えするためだそうです。
また、修験の修行中は五穀を避けるという風習があるのですが、蕎麦粉は5穀に入らないため、そばが名物となったんだとか。
水が綺麗で美味しい蕎麦が食べられます。
戸隠そば(とがくしそば)は、一般には、長野県長野市戸隠の蕎麦(そば)をさすんですよね。
岩手県のわんこそば、島根県の出雲そばと共に、日本三大そばの一つです。
だから、戸隠そばは一度は食べないとですね!
さすが、食べ物に関しては詳しいですよね。
ね〜ぼは!
戸隠神社の概要のまとめ
ルファ
今回の戸隠神社の概要はどうでしたか?
戸隠神社は、その壮大な自然と長い歴史、そして神秘的な伝説が織りなす特別な場所です。
ぜひ、ちょっと興味は出てきましたでしょうか?
そうですね!現地でしか味わえない空気感や景色、そして伝統的な戸隠そばも楽しんでみたいですね。
はい、私はもうおそばの事しか考えられません。
伝承①戸隠山は空から降ってきた!?天岩戸神話による出現伝承!
それでは次に、戸隠山にまつわる伝承をお伝えしていきましょう。
でも戸隠山の伝承ってたくさんありますよね。
ええ?そんなにたくさんあるるんですか?
どんなお話しがあるんですか?
戸隠神社にはたくさんの伝承がありますが、まずはその中でも最も重要な伝承であり、この地域の名前の由来ともなった「天の岩戸神話」についてお話しします。
岩戸神話と言ったら古事記の日本神話のお話ですね。
天の岩戸神話は、日本神話にも記載されている有名な話です。この神話が戸隠神社とどのように結びついているのかを解説していきます。
この神話が戸隠神社とどう関係しているのかというと、戸隠神社の創建伝説に深く結びついています。伝説によれば、戸隠山というのは、天の岩戸が投げ飛ばされた岩が山となったとされています。
ええ?どういう事ですか?
全然意味がわからないです〜。
確かに、「天岩戸が投げ飛ばされてその岩が山となる」と言われてもよくわからないですよね。
でも神話の面白さはその現実離れした話がいいんですよー!
私は納得してませんけど・・
エヌさんはきっちりしてますからね〜💦
戸隠神社を訪れた際には、今回の記事を思い出して、天の岩戸神話を身近に感じてくださいね。
戸隠神社は神話と深く結びついた神秘的な場所です。
歴史と伝承を知ることで、訪れた際の感動が一層深まることでしょう。
この記事を読んでいただき、戸隠神社の魅力を少しでも感じていただけたら幸いです。
天岩戸神話
天照大御神と須佐之男命の衝突
むかしむかし、神々の世界、高天原(たかまがはら)には、太陽の神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)と、その弟である暴れん坊の須佐之男命(すさのをのみこと)が住んでいました。
須佐之男命は、田んぼの畦を壊したり、馬の皮を逆剥ぎにしたりと、とんでもないいたずらを繰り返していました。
あまりにひどい須佐之男命のいたずらに、ついに天照大御神はお怒りになり、天岩戸(あまのいわと)と呼ばれる洞窟にお隠れになってしまいました。
太陽の神様がお隠れになると、世界は一瞬にして真っ暗闇に包まれました。
食べ物は育たず、人々は病気に苦しみ、世の中は大変なことになりました。
神々の知恵と舞
困り果てた八百万(やおよろず)の神々は、天安河原(あまのやすかわら)に集まり、どうすれば天照大御神を天岩戸から出すことができるかを相談しました。
様々な試みが行われましたが、どれも成功しませんでした。
まず、長鳴鳥(ながなきどり)を鳴かせてみました。
この鳥は現在の鶏であり、朝に鳴くことで太陽を呼び戻す力があるとされていました。
しかし、天岩戸の扉はびくともせず、失敗に終わりました。次に、天鈿女命(あめのうずめのみこと)様が招霊(おがたま)の木の枝を手に持ち、楽しい舞を踊り始めました。
周りの神々も一緒に騒ぎ立て、祭りのような騒ぎになりました。それを洞窟の中から聞いていた天照大御神様は、不思議に思われました。
「太陽の神である私が隠れているのに、外はどうしてこんなに賑やかで楽しそうなのか?」と。
気になった天照大御神は、そっと天岩戸の扉を少し開けて外を覗かれました。
天岩戸の開放と戸隠山の伝説
神々は大喜びし、「あなた様より美しく立派な神がいらっしゃいました!」と言い、鏡を使って天照大御神の顔を映しました。
天照大御神はそれが自分の顔だとは気づかず、もっとよく見ようと扉をさらに開けました。
その瞬間、思兼神(おもいかねのかみ)様が天照大御神の手を引き、手力男命(たぢからをのみこと)が岩の扉を一気に開け放ちました。
こうして、天照大御神は天岩戸から無事に出られ、再び世界に光が戻りました。
人々は再び太陽の恵みを受け、喜びと感謝の気持ちでいっぱいになりました。
この時、手力男命が岩戸を「エイッ」と持ち上げ下界へ投げすててしまわれました。
岩戸は宙を飛んで日本のだいたい真ん中に落ちました。
この時、天手力雄命が放り投げたのが「戸隠山」であるという話は、日本の神話として昔から語り伝えられており、この岩戸伝説と同じような話が、戸隠の古い記録である「戸隠山顕光寺流記(とがくしさんけんこうじるき)」や「戸隠本院昔事縁起(しゃくじえんぎ)」にも記されています。
神話についての感想
この「天岩戸神話」は、日本神話の中でも特に有名なエピソードで、神々の力や影響力を感じることができます。
須佐之男命のいたずらが天照大御神の怒りを引き起こし、結果として世界が暗闇に包まれるという展開は、神々の行動が人間社会に直接影響を与えることを示しています。
さらに、この物語は、太陽の重要性と、それに伴う自然の力を再認識させてくれますね。
そうですね。
この物語には多くの教訓が含まれています。
まず、神々の協力と知恵が重要であることが強調されています。
困難な状況に直面したとき、神々が一丸となって問題を解決しようとする姿勢は、現代においてもチームワークや共同作業の大切さを教えてくれます。
また、天鈿女命の舞や笑いの要素が問題解決に繋がった点は、柔軟な発想や楽しむ心が新しい道を開く可能性を示しています。
二人とも、ちょっと考えすぎじゃないですか〜?
でも、天手力雄命が岩を投げたシーン、すごいアクション映画みたいですね。
「エイッ!」って投げた岩が戸隠山になったなんて、スケールが大きい!
まるで神様たちが巨大なボウリングでもやってるみたい。
神話ってホントに面白いよね、昔の人たちがどうやってこんな話を思いついたのか、想像すると楽しいです。
そうですね。(巨大ボーリングはよく分かりませんが・・)
これからもこうした物語を大切にしていきたいですね。
天岩戸神話まとめ
天の岩戸神話は、日本の神話の中でも特に有名で、神話の一部として古くから語り継がれています。
戸隠神社がこの神話と深く関わりを持つ場所であることを知ると、訪れた際にその魅力が一層増すことでしょう。
神社の境内に点在する石や祠が、神話の一部を物語っていると考えると、その一つ一つが歴史の証人のように感じられるはずです。
まとめという事で、この物語のMVを作成しました。
音楽に合わせてストリーを確認できるので是非聞いてみてください。
伝承②絶世の美女が鬼女に!?戸隠山に伝わる紅葉鬼女の伝説
それでは次に戸隠にまつわる伝承の一つ、紅葉鬼女の話をしたいと思います。
遠い昔、奥州会津に生まれた絶世の美女、呉羽(くれは)こと紅葉(もみじ)の伝説ですね。
紅葉の美しさとその後の波乱万丈な人生、そして彼女が鬼女となり戸隠山で恐れられる存在になった物語です。
え、え、えーっと、それってつまり、美女が鬼に変身する話ってことですか?
それは恐ろしい〜!
鬼女伝説の話は、地域によっていろんな内容のものがあるんです。
そうですね。
今回はその中の一つという認識で聞いてくださいね。
それではどんな話だったのか見ていきましょう。
紅葉鬼女の伝説
むかしむかし、遠い奥州会津に呉羽(くれは)という名の絶世の美女が生まれました。
彼女の美しさは成長とともに広まり、やがて都へ上り、名を紅葉(もみじ)と改め、為政者の寵愛を受けるようになりました。
為政者というのは源経基のとこだと言われています。
平安時代中期の武士ですね。
しかし、紅葉の心には野心が秘められており、それが露見すると、彼女は都からはるか離れた信濃の山里、戸隠山へと流されてしまいました。
紅葉の心には野心?
何があったんですか?
これにはいろんな説があるのですが、経基の正妻に嫉妬したという説と正妻が病になった際に紅葉の呪いのせいと疑いをかけたれた説とあるんです。
信濃の地に流された紅葉は、その美貌とは裏腹に鬼女(きじょ)のような姿へと変わり果てました。
彼女は戸隠山の奥深くに潜み、山岳修験の霊場として最盛期を迎えようとしていた戸隠山に恐怖をもたらしました。
紅葉は徒党を組んで盗賊を働き、人々に恐れられる存在となりました。
その恐ろしい姿と力が知られるようになると、ついに冷泉天皇(れいぜいてんのう)が征伐を命じました。
征伐の指揮を執ったのは、名将平惟茂(たいらのこれもち)でした。
平惟茂とその軍勢は、紅葉鬼女が潜む荒倉山へと進軍しました。
途中、紅葉見物の美しい女性たち一行に出会いましたが、その正体は紅葉鬼女とその手下たちでした。
彼女たちの正体を見破った平惟茂は激しい戦いを繰り広げ、最終的に紅葉鬼女を討ち取りました。
この物語が展開された時代は平安中期、西暦967~969年頃だと言われています。
戸隠山はその頃、山岳修験の霊場として最盛期を迎えていた時代ですよね。。
この伝説は、室町時代から江戸時代にかけて能や浄瑠璃、歌舞伎で「紅葉狩(もみじがり)」という題名で描かれ続けました。
特に、河竹黙阿弥(かわたけ もくあみ)による歌舞伎『紅葉狩』(1887年)は、紅葉に相当する鬼の名を更科姫(さらしなひめ)として描かれました。
紅葉鬼女はまた、明治中期に出版された『戸隠山鬼女紅葉退治之伝』でも詳しく描かれ、紅葉の出自や戸隠以前の物語も含まれています。
この書物によれば、紅葉は第六天の魔王の力を持つ鬼であったとされています。
こうして、紅葉鬼女の伝説は多くの人々に語り継がれ、信濃の地に深く根付いた物語となりました。
この物語は、呉羽という美女が紅葉と改名し、野心によって鬼女となり、平惟茂によって討ち取られるまでの一連の出来事を描いています。
また、能や歌舞伎などの演劇や書物によって伝えられた詳細も含め、紅葉鬼女の伝説は多くの人々に親しまれています。
この物語は能や浄瑠璃、歌舞伎などで描かれ続け、特に河竹黙阿弥による歌舞伎『紅葉狩』が有名です。紅葉鬼女の伝説は信濃の地に深く根付いているんです。
なるほど!紅葉狩りって、ただの紅葉を見に行くことじゃなかったんだね。
次回は本物の紅葉狩りに挑戦しようかな!
その時はサンドイッチやおにぎりもたくさん持っていって・・・
ね〜ぼはピクニックに行きたいだけでしょ笑
それでは、この紅葉鬼女の物語のMVを作成しました。
音楽に合わせてストリーを確認できるので是非聞いてみてください。
伝承③戸隠神社九頭竜社に伝わる竜伝承!龍は善龍か悪龍か!
それでは次は九頭竜の伝承の話をしていきましょう。
九頭竜といえば、戸隠神社には九頭竜社もありますもんね。
はい、龍というのは古来より水神として祀られる事が多く、この戸隠の地でも色んな伝承が残ってるんです。
今回は2つの九頭竜の伝承をお伝えして、その伝承から当時の考え方なども僕なりの考えをお伝えしていきますね。
戸隠の九頭龍「調伏善龍化伝承」
むかしむかし、戸隠山という美しい山に、「九頭龍大神」という強力な龍神が住んでいました。
この龍神は戸隠神社に祀られており、九頭龍信仰の中心となっていました。
その起源は、鎌倉時代中期に記された『阿裟縛抄(あさばしょう)諸寺略記』に書かれています。
それによると、西暦800年代の中頃、学門という名の修行者がいました。
彼は法華経の功徳を得るために一心に修行を続けていました。
ある日、学門の努力が実を結び、九つの頭と龍の尾を持つ恐ろしい鬼が現れました。
この鬼は、学門の前でその力を示しました。
学門は驚きましたが、彼の法華経の力と信仰心により、この鬼は善神へと変わり、水神として人々を助けることになりました。
これが「調伏善龍化伝承」として語り継がれています。
その後、この龍神は「九頭龍権現」として崇められ、特に雨乞いの際に重要な存在となったんです。
雨と水を司るだけでなく、九頭龍は歯痛の治療にも霊験があるんですよね。
そうそう、人々は九頭龍の好物である梨を供えると、歯の痛みが取れると信じていたんです。
えええ?梨ですか〜?
いいな〜、梨もらえるなら私も龍に生まれたかった〜!
全く、ね〜ぼは〜💦
ほんとですね💦。
九頭龍は縁結びの神としても尊ばれる存在でもあるんですよ。
ね〜ぼには務まらない気がしますよ笑。
戸隠九頭龍の善龍伝承
それでは次に、もう一つの話戸隠に伝わる九頭竜の伝説をお伝えしていきましょう。
むかしむかし、飯綱山という山で修行をしていた学門という僧がいました。
彼は仏教の真理を求めて旅を続け、ある日、仏教の栄える場所を見つけたいという強い願いを抱き、持っていた金剛杵(こんごうしょ)を空高く投げました。
金剛杵は空を切り、遠く戸隠山の宝窟(ほうくつ)に落ちました。
その瞬間、金剛杵は眩い光を放ちました。学門はその光に導かれ、険しい山道を登り、ついに光が差す宝窟にたどり着きました。
金剛杵は空を切り、遠く戸隠山の宝窟(ほうくつ)に落ちました。
その瞬間、金剛杵は眩い光を放ちました。学門はその光に導かれ、険しい山道を登り、ついに光が差す宝窟にたどり着きました。
彼はその場所で深く祈り始めました。
夜が更けると、突然風が吹き荒れ、天が鳴り響く中、九つの頭を持つ巨大な龍が現れました。
それは九頭龍でした。九頭龍は学門に語りかけました。
「この地に大伽藍(だいがらん)を建て、仏法を広め、人々を救いなさい」と。
そして、自ら宝窟の中に入り、大きな岩で入口を封じました。
このため、龍が岩の戸で隠れていることから、この山は「戸隠山」と呼ばれるようになりました。
こうして、学門の修行と九頭龍の出会いが、戸隠山の名前の由来となり、後世に語り継がれることとなりました。
あれ?「戸隠山」って名前の由来は、岩戸神話の伝承から名付けられたんじゃなかったでしたっけ?
おお、ね〜ぼよく覚えていましたね!
そうなんです。
一番有名なのは天岩戸神話なのですが、この九頭竜伝承から名付けられたという話もあるんです。
戸隠にはいろんな伝承があって面白いんです。
このように、戸隠山には学門という修行者と九頭龍との出会い、そしてその後の信仰の広まりが伝わっています。
九頭龍の伝承には仏教の要素が強く含まれています。学門の修行や法華経の功徳が強調されていることから、仏教の教えと在来信仰が融合し、九頭龍信仰が形成されたことが読み取れます。
それでは、この九頭龍の物語のMVを作成しました。
音楽に合わせてストリーを確認できるので是非聞いてみてください。
伝承⑤戸隠比丘尼石伝承!女人禁制の山、その禁を破った者のの末路
それでは次の伝承に行ってみましょう。
次の伝承はなんですか?
お、ね〜ぼ乗ってきましたね!
次は比丘尼石の伝承です。
比丘尼って、お坊さんの女性バージョンの尼さんのことですよね。
そうですよ。
それではお話ししていきましょう。
比丘尼石伝承
昔々、戸隠という場所には特別な決まりがありました。それは、女性がその地に立ち入ることができない「女人禁制」という決まりです。女性が入ると霊場が汚され、神様の怒りを買うと信じられていたのです。
ええ?女性禁制って!!
差別ですよ〜!
そうですね。
今の時代では信じられないことですよね。
長野市の市街地から中社というお寺を過ぎて旧越後(えちご)道を歩くと、女人堂という建物があった場所にたどり着きます。
昔、善光寺から来た女性はここまでしか入れず、ここでお祈りをして引き返していました。
善光寺は長野県長野市の古くからあるお寺ですね。
また、戸隠の反対側から来ると、女人結界の碑が立つ場所があります。
女性はここから先に進めず、左の道を行くことなく中社に行くしかありませんでした。
今では考えられない厳しい決まりでした。
女人堂跡付近には碑が建っています。ここで道が分かれていて、右は越後道、左は奥社への道です。昔、女性は左の道へ進むことができませんでした。
ある秋の日、一人の比丘尼(びくに)とお供の人が戸隠にやってきました。
二人は奥の院を目指し、女人堂まで来ました。比丘尼はここから先は女人禁制であることを知っていましたが、気にせず奥へ進みました。
お供の人は慌てて止めようとしましたが、比丘尼は聞き入れず、どんどん奥へ進んでいきました。
お供の人は掟を破ることが恐ろしくて、動けなくなりました。
主(比丘尼)が神様の怒りに触れないように一生懸命祈るだけでした。
しかし、比丘尼はしばらく進んだ後、急に倒れ込んでしまいました。
そして、みるみるうちに石に変わっていきました。
驚いたお供の人は、なんとか思いとどまり、本坊まで駆け戻りました。
今でも女人堂跡地から奥社へ向かう道に「比丘尼石」と呼ばれる大きな岩があります。昔はどの岩が比丘尼石か分からなかったのですが、近くに住むお年寄りがいつもある岩にお供えをしているのがきっかけで、その岩が比丘尼石であることが分かりました。
地元の人たちは、この比丘尼石を大切に思い、石碑を建てて祀っています。この石碑は越水ロッヂの前にあります。
このお話は、昔の戸隠の厳しい決まりと、それを破った比丘尼の運命を教えてくれます。そして、今でもその出来事を伝えるために、比丘尼石が大切にされているのです。
そんな恐ろしい伝承があったんですね〜!
でも、なんでその時代、女人禁制とか、よくわからない決まりがあったんですか?
そしたら、その辺の時代背景も考えてみましょう。
ちなみにこれは僕の見解ですので正しいかは分かりません。
皆さんもいろいろと想像してみましょう。
1. 宗教的な価値観と性別の役割
「女人禁制」という決まりは、当時の宗教的な価値観と性別の役割の考え方を反映しています。
女性が霊場に立ち入ることで穢れると信じられていたことは、女性が不浄な存在と見なされていた証拠です。
これは、仏教や神道の教えの中にある「清浄」と「穢れ」の概念に基づいています。宗教儀式や修行の場である霊場は、特に清浄さが重要視されていたため、女性の立ち入りを禁じることでその清浄さを保とうとしたのです。
2. 社会的な規範と統制
このような厳しい決まりは、当時の社会がどれほど厳格に規範を守ろうとしていたかを示しています。社会的な秩序を維持するために、宗教的な規範や掟が重要な役割を果たしていました。
女性の立ち入りを禁じることで、宗教的な権威と社会的な統制を強化していたのです。
3. 女性の地位と権利
この話は、当時の女性の地位と権利が非常に制限されていたことを物語っています。
宗教的な行事や修行の場から女性を排除することで、女性の社会的な参加や影響力を制限していました。
これにより、女性は特定の役割に限定され、社会全体の中での地位が低く抑えられていたことがわかります。
4. 民間信仰と伝説の力
比丘尼の伝説は、民間信仰や伝説がいかに強い影響力を持っていたかを示しています。掟を破ると神罰が下るという恐怖心を植え付けることで、社会規範を強化し、人々を従わせる手段として機能していました。また、伝説を通じて、社会における教訓や戒めを伝える役割も果たしていたことがわかります。
5. 地元の信仰と文化
地元の人々が「比丘尼石」を大切にしていることから、信仰や伝説が地域文化に深く根付いていることがわかります。このような伝説は、地域のアイデンティティや共同体意識を形成する重要な要素となっていました。また、石碑を建てて祀ることで、過去の出来事や伝説を後世に伝える努力が続けられていたことも示されています。
このように、「女人禁制」の話からは、当時の宗教的価値観、社会的規範、女性の地位、民間信仰、地域文化など、さまざまな時代背景を読み解くことができます。
う〜ん、わかったようなわからないような!
現代とは常識が違いすぎて理解できないですが、当時の権力者はそうやって世の中をコントロールしていたんですね。
そうなんです。今は悪さをすれば警察が来て法律によって罰せられますが、昔は、辺境の地で悪さを取り締まるほど、ルールが定まっていなかったのため、「天罰が来る」みたいな迷信の方が、効果があったのかもしれませんね。
女性の地位に関しても権力者にとって、女性が社会に入り込む事の方が都合がよかったのかもしれません。
それでは、この比丘尼石伝承のMVを作成しました。
音楽に合わせてストリーを確認できるので是非聞いてみてください。
伝承⑥戸隠神社中社の三本杉伝承!人魚の肉を食らった者の末路とそこから見える当時の様子
そしたら、最後の伝承です。
ほんとはこの戸隠には他にももっと色んな伝承があるのですが、キリがないのでこの三本杉の伝承までお話ししましょう。
三本杉は戸隠神社の中社の境内にある3本の大きな杉にまつわる伝承ですね。
三本の大きな木になった美味しい実の話でしたっけ?
杉の木に実はなりませんよ💦
ね〜ぼは食べ物のことばかり考えないでください!
三本杉伝承
昔々、あるところに若狭の国という海辺の村がありました。そこに一人の漁師が住んでいました。漁師は妻を亡くし、三人の子供と一緒に暮らしていました。
ある晴れた日、漁師が一人で漁をしていると、入江の奥で美しい女性が水浴びをしているのを見つけました。
漁師は「こんなところで水浴びしている人がいるなんて珍しいな」と思い、しばらくその女性を見ていました。すると、その女性の体にはキラキラと光るウロコがついていることに気づきました。
「これは人魚だ!」と思った漁師は、網を使って人魚を捕まえました。
人魚は「どうか助けてください」と泣いて命乞いをしましたが、漁師はそれを無視してしまいました。そして、人魚を家に持ち帰り、その肉を隠しました。
ええ?人魚を持ち帰って肉にしたってすごく怖いんですけど💦
さすがに、私でも食べたくない💦
次の日、漁師は再び漁に出かけました。漁師が留守の間、三人の子供たちはお腹がすいてしまい、家の中を探していると隠されていた人魚の肉を見つけました。子供たちはそれが何の肉か知らず、お腹がすいていたのでそれを煮て食べてしまいました。
漁師が帰ってくると、隠しておいた人魚の肉がないことに気づきました。子供たちに聞くと、「お腹がすいて食べてしまった」と言いました。漁師は驚きました。
なぜなら、人魚の肉を食べると人魚になってしまうという古い言い伝えがあったからです。
果たして、子供たちの体にはウロコが生え始めました。漁師はどうすることもできず、悩んで眠れない日々を過ごしました。ある夜、疲れ果てて一瞬眠った時、夢の中でお告げを聞きました。
「漁師よ、髪をそりおとして出家せよ。
そして戸隠大権現に詣で、子供を救うため、忠誠を誓い、三本の杉を植えよ。
そして、戸隠三社の御庭の草を八百日踏んで、そちの無益殺生の後悔の真情を神に祈れ…」。
漁師が目を覚ますと、子供たちはすでに亡くなっていました。漁師は早速、お告げの通りに髪を剃り、お寺の住職に相談しました。そして「八百比丘(はっぴゃくびくに)」という名前を名乗り、海辺から戸隠大権現へ向かいました。
八百比丘(はっぴゃくびくに)は、現世の罪を減らし、子供たちの魂を救うため、三本の杉を正三角形に植えました。また、八百日間(約2年と3ヶ月間)戸隠三社の庭草(にはくさ)を踏み続け、神に祈りを捧げました。こうして八百比丘の名は永遠に語り継がれることになりました。
戸隠神社中社の前には、今でもその三本の杉の木が立っており、昔の伝説を語り継いでいます。
それでは、この物語から読み取れる当時の歴史的背景をいくつか分析してみましょう。
人魚伝説
人魚の存在やその肉を食べると人魚になるという伝承は、民間の信仰や伝説が深く根付いていたことを示しています。特に海辺の村では、海に関連する神秘的な生物や出来事が多く語り継がれていたことでしょう。
宗教的な価値観と行動無益殺生と贖罪
漁師が人魚を捕まえた行為が無益殺生とされ、その結果として大きな罪を背負うことになったという話は、仏教の教えである「不殺生戒(ふせっしょうかい)」を反映しています。仏教の戒律を破った結果、罪を償うための修行が必要となるという考え方が強調されています。
剃髪と出家
漁師が髪を剃り、出家して「八百比丘」という名前を名乗ることは、仏教の影響を強く受けていることを示しています。これは、罪を償うために世俗を離れて修行に専念するという仏教の考え方に基づいています。
神仏習合
物語の中で、漁師が戸隠大権現に詣でるように指示される部分は、神道と仏教が融合していた時代背景を反映しています。神仏習合の時代には、神道の神々と仏教の仏が同一視されることが一般的でした。
家族の絆と犠牲
漁師が子供たちのために自分の罪を償うための行動を取ることは、家族の絆と自己犠牲の重要性を強調しています。家族を守るために自らの行動を改め、苦難を乗り越えようとする姿勢が描かれています。
自然信仰
物語の中で三本の杉を植える行為は、自然を神聖視する信仰を示しています。自然物を神聖な存在として祀ることで、自然との調和を図ろうとする姿勢が見られます。戸隠神社の前に立つ三本の杉は、その象徴です。
罪と贖罪の重要性
物語全体を通して、罪を犯した場合、その罪を償うための努力が重要視されていることが分かります。これは、当時の倫理観や道徳観を反映しており、罪を償うことが個人の責任として強調されています。
どうですか?
こうしてみるとこの物語は、宗教的な信仰、民間伝承、家族の絆、自然信仰、そして社会的な規範や倫理観が交錯する中で形成されている気がしませんか?
時代背景としては、神仏習合の影響を強く受けた鎌倉時代から室町時代の価値観や信仰が反映されており、地域の文化や伝説が人々の生活や信仰に深く根付いていたことがわかります。
確かにこうして注意深くみてみると、当時の世の中の考え方が見えてくる気がしますね。
それでは、この三本杉伝承のMVを作成しました。
音楽に合わせてストリーを確認できるので是非聞いてみてください。
エンディング
いかがでしたか?都各市神社の扉を開き、その奥深い伝承の世界を垣間見ることができたでしょうか。神秘的な「天野岩戸伝承」、心を揺さぶる「紅葉伝説」、そして興味深い「屑流伝説」。どれも訪れる価値があり、実際に現地で感じると一層その魅力が増すことでしょう。
次は、あなた自身が戸隠神社を訪れ、その歴史と伝承に触れてみてはいかがですか?
戸隠神社はその景観ももちろん魅力的ですが、こういった時代背景を知ると旅行がもっと楽しくなると思います。
これからも、皆さんにワクワクするような歴史と伝承の物語をお届けします。
次回の記事もお楽しみに。
それではまたお会いしましょう。ありがとうございました!
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