慶喜の能力値ディベート対決!司会のね〜ぼ挨拶!
(ザワザワ・・)
(カンカンカンカン)
静粛に、静粛に!
本日はホームページにお越しいただきありがとうございます。
今回議長を務めさせていただくね〜ぼです。
趣味は寝る事です。あと、食べる事も好きです。
今回の議題内容は、江戸時代の最後の将軍、徳川慶喜です
慶喜さんは、江戸時代を終わらした男として有名ですよね。
彼のとった行動が、良くも悪くもその後の日本の礎になっているといっても過言ではありません。
果たして彼のとった行動は正しかったのか?それとも誤った判断をしてしまったのか?という議題において話し合いをしていただきます!
正しかったと主張するエヌさん、誤った判断をしてしまったと主張するルファさん、この2名でディベート対決してもらいます!
それでは先行は判断を正しかったと主張するエヌさんからお願いします!
それではディベート開始しください
徳川慶喜が優秀であると主張するエヌ、無能であると主張するルファのディベート対決
はい、ではまず、彼の行った政治的功績を主張させていただきます。
慶喜さんは、江戸幕府の将軍として国を統治する責任がありましたが、1867年には自らその地位を放棄し、天皇の直接統治を復活させることを提案しました。
これは大政奉還と呼ばれ、この行動によって徳川幕府から明治政府への平穏な政権移行が可能となりました。
また慶喜は、幕末の混乱期において、「開国」政策を進め、日本を近代化するための多くの改革を行いました。
これには、新たな軍隊の設立、学問と教育の推進、新しい制度の開発などが含まれます。
なるほど、それだけ聞くと素晴らしい将軍ですね!
それではルファさんには慶喜さんの犯した罪過(ざいか)について語っていただきましょう!
かしこまりました。
まずは戊辰戦争の開戦を招いてしまったことです。
大政奉還後、慶喜は一度は政治の舞台から退いたものの、新政府の方針に反対する一部の旧幕府勢力とともに武力抵抗を試み、これは戊辰戦争の引き金となり、多くの無意味な血を流す結果となりました。
当時、多くの若者がこの戦いで戦死しました。
会津での戦いはそれは悲惨なものだったと聞いております。
でも、戦争は必ずしも彼の意志だけで起きたわけじゃないですよね!
時代の流れ、旧幕府勢力の存在、そういった要素も多いにありました。
その中では、江戸の無血開城など、彼にできる事は精一杯やったと思います。
それはそうですが、将軍としての彼の決定が大きな影響を持つことは否めません。
やはり結果だけみると、多くの血が流れた事に対しての責任はあったと思います。
結果論だけでいうなら、慶喜が最後の最後まで抵抗しもっと大きな戦になっていれば、国力が下がり、諸外国からねらわれ、最悪、欧米諸国の植民地化というケースも考えられたと思います。
植民地にされた国の国民がどんな悲惨な目にあったのかは歴史を見れば一目瞭然です!
それを避けられたというのは、日本の将来を見据え、時代の流れに逆らわなかった慶喜さんの功績とも言えますよね!
また、彼自身も開国政策を進めたり、近代化のための改革を行ったりしていたんです!
近代化という意味では明治政府と同じ考え方だったとも言える状況で、強く抵抗する事なく身を引く事ができたのは英断だったのではと思います。
(カンカンカンカン)
ルファさんとエヌさんの意見は、慶喜さんがとても興味深い人物だったことを明確に示していますね。
慶喜さんのやられた政策はなんとなくわかりました。
ところで慶喜さんってどんな人なんですか?
それがわかれば、行動の原理が読めてくる気がします。
はい、徳川慶喜は才能と学識、耐久力と意志力、そしてユーモラスさという3つの重要な資質を持っていました。
これらの資質は彼が時代の混乱を乗り越え、自身の信念を持ち続けるために不可欠でした。そのため、彼の評価は極めて高いものであるべきです。
慶喜は幼少期から読書に嫌気がさしていたにもかかわらず、その後の生涯においては広範な学問を学び、特に書道における才能は明らかでした。
また、「仁者楽山(じんしゃらくざん)」の書は6歳で書かれたものとしては驚異的です。
これらは慶喜の学識と才能を示すものと言えるでしょう。
革新的な思考は彼が時代の混乱を乗り越え、日本を次の時代へと導くために必要不可欠な資質であったと言えます。
また、彼の改革力は多くの敵対者さえも感服させるほどでした。
これらの資質を考慮すると、彼の評価は高いべきです。
しかし、徳川慶喜の学問への否定的な姿勢や、自己中心的な行動は彼の評価を下げる要因です。
学問を疎かにして灸を据えられることもありましたが、「灸の苦痛を我慢するほうがまだ良い」と述べています。
指導者としては、学問を尊重し、他者を尊重する姿勢が求められます。
これらの欠点を考慮すると、彼の評価はそれほど高いものではないと言えるでしょう。
彼の自己中心的な性格や態度の不一致、そして決断力の欠如は彼の評価を下げる要因です。
これらの欠点を考慮すると、彼の評価は必ずしも高いものではないと言えるでしょう。
(カンカンカンカン)
以上そこまで!
だいぶ議論は深まったかと思われます。
本日はここまでといたしましょう。
慶喜の功績と罪過(ざいか)、どちらも彼の一部だからこそ、彼の人間性が浮かび上がりますね。
それぞれの視点から見ることで、慶喜さんの多面性が浮き彫りになります。
彼の功績と罪過を全て理解し、その上で評価を下すことが重要ですね。
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