こんにちは、素人歴史研究家ルファです。
こんにちは助手のエヌです。
ね〜ぼです。
お二人は、大昔の日本ってどんな世界を想像します?
う〜ん、木の実を集めたり、狩りをしているイメージですかね〜?
縄文時代や、弥生時代は書物がないのでよく分からないですが、なんとなく時代の輪郭が見えてるのが、飛鳥時代ぐらいですよね〜。
その前はというと、偉い人が大きな墓を造られたりしていた時代で、なんとなく地域で力を持った権力者がいたみたいですが、この時代に書かれた書物があるわけではないので、
不透明感が否めないですねぇ〜!
ですよね。
日本の正史とされる古事記、日本書紀は飛鳥時代後半から奈良時代にかけて、その当時残っていた書物や地域ごとの伝承をまとめて作成されたので、当時起こった事をリアルタイムで綴ったものではないんです。
う〜ん、木の実を集めたり、狩りをしているイメージですかね〜?なんか、おばあちゃんのおなあちゃんの昔話を聞いて、それを本にしたみたいな感じですかね?
人の記憶だけだと、ちょっと曖昧ですよね。
そうです。そうです。
人の記憶や伝承なので、正確ではないですし、当時の権力者の意向も反映されるので正史とはいえど、完全な正しい歴史かどうかは分からないんです。
しかも、当時は西暦という概念はないので、時間軸も正確に捉えられないんですよね。
さらに古代日本を治めていたのは近畿地方を中心に権力を持っていた大和朝廷で、それ以外の地域の歴史は教科書には載っていません。
確かに、日本の昔の時代は基本的に近畿の事しか教えてもらってませんね。
え〜、そうでしたっけ?
あまり記憶が〜
ね〜ぼは多分授業中寝てたんじゃないんですか?
そ〜かも〜!
ね〜ぼが寝ちゃう前に今日のお題を説明しますね。
古代、大和朝廷以外に、東北にも王朝があり、大和朝廷によって消されてしまった東北の王朝の歴史について解説したいと思います。
東北王朝の書かれた書物があり、それを今回解説しますが、残念ながら現代ではそれはほぼ偽書とされています。
ただ、その内容は全て嘘なのか?それとも多少の真実は含まれているのか?というのを考えるのが歴史の面白いところでもあるので、是非お付き合いください。
古史古伝、東日流外三郡誌
東北王朝の存在を示唆する書物の代表的なものと言ったら、青森県で見つかった『東日流外三郡誌』です。
『東日流外三郡誌』には、日本の歴史を塗り替えるような驚愕の事実が記されていました。
なんとそこには、ヤマト王権と対立した東北の超古代王朝アラハバキの存在が記されていたのです。
アラハバキとは、一説によると遥か古代から連綿と伝えられていて、特に、東北の蝦夷(えみし)の神様でそれを信仰する人々をアラハバキ族といいます。
一般的になじみは薄いのですが、祭神としている神社は全国に150社以上あるといわれています。
『東日流外三郡誌』によると、その時代は神話の時代から始まります。
神話の時代なので、西暦でいうと紀元前、縄文の時代から弥生時代、この辺は正確にはわかりませんが、とにかく遥か昔の話です。
東北でしばしば見つかる縄文土器「遮光器土偶」は、彼らが信奉したアラハバキの神の姿をかたどった御神体だと言われています。
遮光器土偶 (しゃこうきどぐう)は、目にあたる部分がイヌイットやエスキモーが雪中行動する際に着用する遮光器、(スノーゴーグル)のような形をしていることからこの名称がつけられました。
実際には遮光器を付けた姿の表現ではなく、目の誇張表現と考えられています。
土偶というと、まずこの遮光器土偶を連想すると思いますが、よくよく見ると結構不思議な形をしていますよね。
この遮光器土偶ってなんだか宇宙人みたいですね〜。
もしかしたら縄文時代の神様って宇宙人なんじゃないですか〜?
いやいや、宇宙人って、
そんなまさか〜笑?
いや実はね〜ぼの言ってる事はあながち絶対ないとも言い切れないんですよ!
現に学者で、そういう説を唱えている方もいらっしゃいますから。
とはいえ、なかなか信じ難い説ではありますけどね。
これはどう見ても宇宙人ですよ〜!
きっと古代、宇宙人が人類に知恵を与えたんです!
でも確か、遮光器土偶は、女性をモチーフに作った土器って聞いたことがありますよ。
古来、女性は神聖な存在として大切に扱われていたと。
他の土偶もちょっと怖いですが、女性に見えるものも多いですしね。
所で、ちょっと気になったんですけど、「蝦夷」ってなんですか?
場所の名前か何かですか?
でも、時代によっては四国の大和朝廷に与しない人々の事も言ったりしてたみたいです。
ちなみに征夷大将軍の「夷」の字は元々、大和朝廷に与しない蛮族を「征服」する「大将軍」という意味で使われていたみたいです。
北海道が蝦夷と呼ばれて、「夷」が使われるのは江戸時代は北海道はまだ、「大和朝廷に与しない蛮族」という位置付けの名残だったみたいです。
へ〜なるほど〜
その辺も興味深いですが、今回は東北王朝の動画ですから、本題に戻りますね。これからはもっと具体的に「東日流外三郡誌」に書かれていた内容を解説します。
東日流外三郡誌に書かれたヤマト政権に対立した東北のアラハバキ族
「東日流外三郡誌』に 記された歴史とは一体どんな内容なのでしょうか。
東北・津軽に最初に現れた民族は、アソベ族と呼ばれる人々だったといいます。
まだ日本列島が大陸と地続きだった頃、北から歩いて東北にたどり着きました。
彼らはまだ農耕技術が発達しておらず、主に狩猟採集を生業としていた。
またアソベ族は人々が争う事なく平和主義の民族だった言われています。
そして阿蘇部山、(現在の岩木山)を聖域として崇めて幸せに暮らしていました。
その後、東の大陸から、新たにツボケ族と呼ばれる民族が渡来してきた。
ここも一つの謎なのですが、日本の近海に東の大陸は存在しません。
そのため、東の大陸というのはアメリカ大陸から海を渡ってきたのか、もしくは古代日本の東の海に大きな大陸があり、現代ではそれがなくなったとも考えられます。
それが太平洋に沈んだとされるムー大陸ではないかとも言われたりしてます。
ツボケ族は馬を使いこなし、土器や刺青の技術習慣を持っていました。
ツボケ族は交戦的でそこでアソベ族との交戦が始まりました。
しかし、阿蘇部山の噴火によって次第にお互いに勢力を失います。
アソベ族?ツボケ族?
初めて聞いた部族の名前です。。
う〜ん、ちょっと難しいですが、古代、東北にやってきたアソベさんとツボケさんが喧嘩したけど、近くの山が噴火して、喧嘩がおさまったってことですか?
簡単に言ってしまえばそういうことですね。
それではその後東北はどうなっていくのでしょうか。
日本神話に登場した神、強神のナガスネヒコ
東北で争っていたツボケ族とアソベ族が噴火によって、一時、争いが沈静化したその後、再びこの地に別の勢力が渡来し、またこの地で争いが始まります。
これは紀元前7世紀頃のこととされています。
ひとつは春秋戦国時代の動乱から逃れてきた、晋の公子たちでした。
中国の文献『史記』によれば、前670年頃、晋の君主の献公(けんこう)が乱心し、自分の多くの子を殺したことから、国が乱れたといわれています。
しかし、「東日流外三郡誌」によると、殺されたのではなく日本列島に亡命したことになっています。
つまり、中国の王族が日本の東北にきたという事です。
そして、もうひとつは、近畿地方を治めていた、アビヒコとナガスネヒコの兄弟、そして彼らの従者たちです。
彼らは三輪山、今の・ 奈良県桜井市で、耶馬台国を治めていたというのです。
ところが、南方から九州を経由してやってきた日向族との戦いに破れて、津軽まで逃れてきたのだと書かれています。
アビヒコとナガスネヒコの兄弟は、晋の公女を妻とし、アソベ族とツボケ族の生き残りを和解させて、新しい民族アラハバキが誕生するのです。
そしてここに古代東北の一大勢力、アラハバキの王朝が誕生したというのです。
アラハバキとは元来、神の名前であり、古代中国の軍神、あるいは製鉄のタタラの神、自然万物の神と、諸説が入り乱れています。
縄文時代の遺物として、 東北で多数出土する遮光器土偶は、このアラハバキの御神体だとされています。
邪馬台国ですか?
あの卑弥呼の?
そうなんです。
東日流外三郡誌には邪馬台国の存在が示唆されているんです。
邪馬台国の場所は、近畿説や九州説、他にも沖縄や吉備など、多くの説がありますが、東日流外三郡誌には近畿にあったとされているみたいです。
ナガスネヒコは聞いたことがありますね。
確か、物部氏の祖神、ニギハヤヒに仕えていた神様ですよね。
あの神武天皇を一度退けた強者だったはず・・
日本神話では、神武天皇とニギハヤヒが和解したのに反対し、主君であるニギハヤヒに殺された神でしたよね。
そうです。
東日流外三郡誌には殺されてはおらず、東北に逃げ延びたことになってるみたいですね。
南方から九州を経由してやってきた日向族というのは、話の流れから、神武天皇の天津神、一団という事でしょう。
そして東北で王朝を築いた・・
もしほんとの話なら、なかなかロマンのある話です。
王朝統一後の東北地方
アラハバキ族は農耕・稲作によって栄え、東北地方を5つに分けて、それぞれ王を置き、統治しました。
5人の王たちは常に合議のもと、東北一帯を治めていったといいます。
やがて、日向族がヤマトを占拠し、 朝廷を作ると、幾度となく東北を攻めてきたました。
アラハバキ族はこれを迎え打っただけでなく、 大和朝廷を制圧し、 ヤマトにアラハバキ系の王を立てたこともあったとされています。
実は第5代孝昭天皇(こうしょうてんのう)や第8代天皇孝元天皇(こうげんてんのう)、 第9代天皇開化天皇らがそれにあたるというのです。
つまり、天皇家の万世一系がこの文書では否定されているのです。
平安時代、東北地方を支配した安倍一族は、ほかでもない、 アラハバキ王の末裔たちであったといいます。
平安時代末期に安倍一族の宗家となった安東氏は、津軽十三(とさみなと)を拠点に水軍整備し、インド、アラビアとも交易を行ったといいます。
ちなみに、「東日流外三郡誌」という書物は、「和田家文書」の一部とされてますが、その和田家文書には、源義経は安東水軍の船に乗り、モンゴルに逃れて「チンギス・ハーン」になったとも記されているのです。
栄華を誇ったアラハバキ、つまり安東氏も、1340年~1341年頃の南北朝時代・室町時代に、大津波が発生し、十三湊が崩壊したことで、滅亡したものの、安倍氏の末裔は、三春藩主(みはるはんしゅ)・ 秋田家となり、命脈を保ったとされているのです。
しかし、江戸時代に津軽領主となった津軽家による弾圧で、アラハバキ王国の存在を記す古文書は歴史から抹殺され、 残されたのが和田家に密かに伝えられ 『東日流外三郡誌」を含む「和田家文書」が戦後に和田家の屋根裏から見つかったというのです。
ええ〜、源義経はチンギスハーンだったんですか?
ね〜ぼ信じすぎです!
これは、古史古伝と言われる伝承の書物ですから!
ええ、そうなんですかね〜?
あとちょっとよくわからない所があって・・・
大和朝廷を制圧して、天皇の何人かがアラハバキ系の人だったというのはどういう意味なんですか?
それは、大和朝廷は基本的に世襲制で現代まで繋がっているのですが、それが何度か途絶えたという意味みたいですよ。
もちろん、東日流外三郡誌の言い分ではですけど。
例えば中国もそうなんですけど、中国を納めていたのはずっと中国の漢民族ではなかったんです。
一時期「元」という国が中華を納めていましたが、元はモンゴルのチンギスハンが作った国ですしね。
う〜ん、こういった、古史古伝は面白いんですけど、本当かどうかは疑わしいですからね。
その辺を、次回私が調べてみましょうか。
私ははっきり、きっちりしたことが好きなんですよね!
いいですね。それでは次回、エヌさんにそれを調べてもらいましょう。
いかがでしたでしょうか?
今回は古史古伝の一つ東日流外三郡誌に書かれた失われた東方王朝の記事でした。
真偽は置いておいて、なかなか面白いですよね。
次回はえぬさんに、東日流外三郡誌という書物について詳しく調べてもらいます。
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