大化の改新(たいかのかいしん)は、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)が中心となって行われ、蘇我入鹿を暗殺して蘇我氏の権力を排除した後に始まりました。

大化の改新の主な目的は、蘇我氏による一族独占的な政治体制を解体し、中央集権的な天皇中心の政治体制を確立することでした。この改新によって、多くの制度改革が行われました。
- 地方支配の制度改革:公地公民制が確立され、土地と人々は国家のものとされました。
- 律令制度の導入:中国の制度を参考にして、律令制が整備されました。これにより、法的な基盤が整い、中央集権的な国家運営が可能となりました。
- 官僚制度の整備:新たな官僚制度が確立され、それによって効率的な国家運営が行われるようになりました。
大化の改新は、日本古代史において、政治体制と社会制度が大きく変わった節目とされています。この改新によって、後の奈良時代や平安時代に繋がる基盤が作られました。また、天皇制が強化され、その後の日本の歴史においても影響を与え続けることとなりました。
と、一般的に言われています・・・・。
しかし、別の角度から歴史をみるとちょっと違う真実が見えてくるかもしれません。
あくまで一説のエンターテイメントとしてお楽しみください。

こんにちは、素人歴史研究家ルファです。

助手のエヌです。

ね〜ぼです。

私わかっちゃったんです。

ん?エヌさんどうしました?

何がわかったんですか?

平安時代最も権力を持った藤原氏!そのきっかけになった中臣鎌足の背後に隠された謎です!

中臣鎌足といったら飛鳥時代に中大兄皇子と一緒に、蘇我氏の暴走から天皇を守るために大事な式典で蘇我入鹿を暗殺した方ですよね!

そうです。
藤原氏の千年の繁栄!
中臣鎌足、この名前は古代史の英雄として知られています。
しかし、彼の晩年にはちょっと奇妙な落雷事件があったとされています。


落雷事件のなにが謎なんですか?

ね〜ぼ、古代日本では落雷というのは呪いのシンボルでもあるんです。
確かに古代の英雄に呪いのシンボルとなる落雷が屋敷に落ちると記載された書物が残ってるのは不思議ですよね。

英雄として記録されながら、呪いを連想させる落雷事件も記録されるこの2面性!
それが今回の謎のテーマなんです。
藤原氏の繁栄、中臣鎌足の英雄的な活躍、そしてその背後に隠された真実。
それに私は気づいてしまったんです。

ええ?すごい!

この謎を解くことで、我々は古代日本の歴史に新たな光を当てることができるのかもしれませんね。

では、始めましょう。
藤原氏の千年の繁栄の背後に隠された謎、その真相を解き明かすために。

それでは名探偵エヌさんの中臣鎌足の謎ぜひ最後までご視聴お願いします。
藤原氏の千年の繁栄の背景

藤原氏の千年の繁栄、その始まりは中臣鎌足に遡ります。
彼は蘇我氏の横暴に立ち向かい、天皇家の危機を救った英雄です。

当時の蘇我氏は天皇をないがしろにし、三代に渡って権力をほしいままにしていたんですよね!
そこから天皇家を救ったの中心人物の一人が中臣鎌足で、
その勇気ある行動によって、藤原氏はその後千年にわたり繁栄を続けていたんですよね。

でも、なぜ藤原氏はそんなに長い間、権力の中心にいられたのでしょうか?
他の氏族と何が違ったのですか?

もちろん中臣鎌足の政治的な才能と、彼が築いた強固な基盤によるものだと思うんですが、ただ、やはり蘇我入鹿の暗殺を主導し、その功績によって藤原氏の地位を確立した事が一番の大きな要因だと思います。

なるほど、その事件で、藤原氏は天皇家との結びつきを強化し、政治的にも経済的にも力をつけたんですね。その結果、他の氏族とは一線を画する存在となった・・。

ただ、彼の行動には”できすぎた正義”とも言える部分があるんですよね。
そこに疑問をもったのが今回の件を調べるきっかけになったんです。
中臣鎌足:古代史最大の英雄

中臣鎌足は、七世紀の蘇我氏の専横に立ち向かい、天皇家の危機を救って権力を得たというところまでは大丈夫ですよね!

はい、そこまでは理解しました!

その事件で天皇家もまた権威を回復し、国の方向を大きく変えましたよね。

でも、なぜ中臣鎌足はそこまでして蘇我入鹿を暗殺しなければならなかったのでしょうか?
もしかして彼自身の野望があったとしたら?

確かにその後の藤原氏の繁栄を見ると自身の地位と権力の確立にも関連していたかもしれないですよね!

しかし、彼の行動には正当性もあったと言えます。蘇我氏の横暴は、多くの人々にとって耐え難いものでした。中臣鎌足は、その状況を打破するために行動したと素直に受けとることも出来ますよね!

歴史の評価は常に変動します。
中臣鎌足の行動は、彼の時代においては英雄的だったかもしれない。しかし、現代から見れば、彼の意図と方法について疑問を持つこともあるでしょう!

彼の功績と謎、そしてその後の藤原氏の繁栄。これらは密接に結びついており、一方を理解するためには他方も理解しなければならないというわけですね!
落雷事件:神秘と疑惑

中臣鎌足の晩年、彼の館に突如として落雷がありました。
それまで元気だった彼が、間もなく病床に伏し、亡くなりました。
この事件は、単なる自然現象ではないと言われています。

古代において、落雷は祟りのシンボルとされているんですよね。
ということは中臣鎌足の館に落雷があったことは、何か特別な意味を持っていたのでしょうか?

そこも気になりますし、後、なぜ一国の正史に、個人宅の落雷事件が特記されていたのかも気になります。これはただの偶然では説明できないように思います。

その観察は鋭いですね。
この落雷事件は、中臣鎌足がなぜ祟られなければならなかったのか、そして、英雄だったはずの鎌足になぜ呪いと関連する落雷事件を書物に残したのか?
私の考えではこの呪いの元凶は、蘇我入鹿の仕業、またそれを慕うものたちの仕業である可能性が高いのです。


ええ?
それは逆恨みということですか?

いえ、違います。
実は蘇我入鹿は律令制度を軌道に乗せようとしていたという話があるんです。
しかし、中臣鎌足と中大兄皇子に邪魔され、すべてが夢と化した。
皇室を中心とする貴族階級が、全国の人民と土地を直接統治するための中央集権的な官僚支配体制の事!

律令制度?、律令制度というのは天皇を中心に、国民を統治するための中央集権の制度ですよね。
それはまさに、中臣鎌足と中大兄皇子が目指した社会構造ではなかったのですか?

記紀にはそう書かれています。
しかし、真実は逆で、律令制度を推し進める蘇我氏をこの世から葬って、その制度を自分たちで引き継いだ!
そしてのちの世を作ったのです。
古事記、日本書紀が書かれたのはもっと後の時代の鎌足の子孫である藤原不比等が関与して作成したもの。
いくらでも、真実を捻じ曲げられるのです。

ええ〜?それは大変な事じゃないですか?

でもそしたら動機はなんだったのでしょうか?

動機として考えられるのは、藤原氏が自らの権力を確立し、その地位を固めるためだったのではないでしょうか。
歴史の中で、権力者や有力な氏族が自らの利益のために史実を改ざんすることは珍しくありません。
特に、中臣鎌足やその後の藤原氏は、天皇家との結びつきを強化することで、自らの地位を不動のものとしようとしていました。
そして結果その通りになったのです。

なるほど、蘇我氏が律令制度を推進していたという事実が、後の藤原氏にとって都合の悪いものであった。
そのため、蘇我氏の功績を隠蔽し、自らの功績を強調することで、藤原氏の権威を高められた。
しかし、中臣鎌足の晩年の落雷事件についてまでは、消さなかった。
なぜならば、これを祟りとして捉えることで、彼の行動に対する神の裁きであるという印象を与え、彼の行動に疑問を持つ者たちを黙らせたとも考えられますね。

そう、これが、中臣鎌足の真実と、落雷事件の謎だったんです。

いかがでしたでしょうか?
本日の仮説はあくまで推測の域を出ません。
歴史考察は、資料の読み方によって、いろんな解釈ができますよね。

そうですね。
読み方を変えればまた違った真実が見えてくるかもしれません。

史実を正確に知るためには、さらなる研究や資料の発掘が必要ですね。

そうですね。歴史の真実は、時とともに変わることがあります。
今回の謎も、新たな資料や研究によって、さらに深く掘り下げられることでしょう。
とはいえ、中臣鎌足や藤原氏の功績は、日本史において非常に重要なものであり、彼らの行動や意図を理解することで、当時の社会や文化をより深く知ることができます。
歴史の謎を追い求めることは、僕たちが過去を知り、未来を築く手助けとなるのです。
最後までお読みいただきありがとうございました
コメント