1932年、世界は大恐慌の渦中にあり、その影が遠いオーストラリアの西部の地にも及んでいました。
そこでは、人間と自然との間で、予期せぬ戦いが静かに、しかし確実に始まろうとしていました。
退役兵たちが平和への希望を胸に耕した農地が、突如として新たな挑戦者を迎え入れることとなります。
それは約2万群のエミュー、食料を求めて彼らの農地へとやってきたのです。
この巨大な鳥たちの出現は、農民たちの日常を一瞬にして覆し、彼らの生活を根底から揺さぶりました。
それはまた、政府に前例のない行動を求める事態へと発展します。
この戦いは、ただの鳥との闘争ではなく、人間と自然界との複雑で繊細な関係について深く考えさせられる出来事でした。
1932年、オーストラリア西部で起こった、エミューとの異例の対決であり、人間と自然の複雑な関係を浮き彫りにした出来事、それがエミュー戦争なのです。
マスコットのね〜ぼです。
ね〜ぼ、今日はオープニングでお伝えしたように、本当にあった人間とエミューの大戦争の話をしていこうと思います。
エミュー?
エミューってなんですか?宇宙人?
今日はSFの話ですか?
いや、確かに宇宙人ぽい響きですが!
いやいや、エミューですよ!ダチョウみたいな・・・
実物は見た事ないですが、大きい個体だと、体高がなんと2.0mもある巨大な鳥ですよ!
ええ〜2メートル!それは大きいですね。
でも鳥は鳥ですよね?
戦争だなんて大袈裟ですよ。
大規模な鳥の駆除のお話ですよね。
・・・大規模な鳥の駆除か〜・・・
動物をなんだと思ってるんですか!!
まあ、ね〜ぼは動物の味方ですもんね・・
でも駆除なんて一方的なものではなかったらしいんですよ。
軍まで出てきて、それはまさに戦争だったんです。
ええ?軍って軍隊ですか?ひどい・・
それでエミューはどうなっちゃうんですか!!
まあ、まあ、順序立てて説明していきますので落ち着いてください。
このブログでは、素人歴史研究家が歴史の謎や文化や伝承を動画にしているブログです。
素人なので、史実をお伝えするというより、エンタメ感覚でみていただけると嬉しいです。
歴史に興味を持つきっかけになってくれればと思います 。
ではまず、そのエミュー戦争に至るまでの時代背景をお伝えていきますね。
エミュー戦争の背景
1932年、世界は大恐慌の深い影の中に沈んでいました。
この年、オーストラリアの西部で、歴史に残る奇妙な戦いが繰り広げられることになるのです。
この不思議な事件、エミュー戦争の背景についてお話ししましょう。
この物語は、経済的困難の中で生きる人々と、生存をかけた大自然の住人たちの間で起こりました。
大恐慌は世界中にその暗い影を落とし、オーストラリアの西部も例外ではありませんでした。
小麦の価格は底を打ち、農民たちの生活は日々厳しさを増していきました。
オーストラリア政府は、第一次世界大戦の退役兵たちに新たな始まりを提供するため、彼らに農地を与えました。
これらの勇敢な人々は、戦場での経験を背負いつつも、平和な生活を築こうと農地での新たな生活を始めました。
しかし、彼らが直面することになる最大の挑戦は、まだ彼らを待ち受けていました。
繁殖期を終え、食料と水を求めて旅をしていた約2万群のエミューが、彼らの農地に目をつけたのです。
これらの巨大な鳥は、彼らの農地を自分たちの食堂と見なし、農民たちの収穫を食べ尽くし始めました。
こうして、経済的困難と自然の力が交錯する中、エミュー戦争の舞台が整いました。
2万もの大軍のエミューって!
想像するとちょっと怖いですね。
そうですね!
しかもエミューって飛べない鳥なんですが、その代わり足が早くて時速50キロで走ることもできるんですよ!
2万の巨大な鳥が時速50キロで走り回ってたらそれは大変です。
また雑食でなんでも食べてしまうので、農家の被害は相当なものだったと思いますよ。
大恐慌中で生活が苦しい中での「エミューの乱」は流石に農家さんも可哀想ですね。
「エミューの乱」って?
そんな言い方するのはね〜ぼだけですよ。
でも、確かに当時の世界恐慌は大変だったんですよ。
オーストラリアでも、農家には政府が補助金の形での援助を約束して小麦の生産拡大を奨励したそうなのですが、補助金は支払われることはなかったんです。
さらに政府の奨励と約束された助成金にもかかわらず、小麦の価格は下がり続け、事態は深刻になっていたんです。
追い討ちをかけるように、エミューは小麦畑を守るための柵もガンガン壊して、柵の修理費用や、柵がなくなったことでまた別の動物が畑に侵入して被害が拡大!
大変な時期だったんですね〜
もちろん、良い、悪いの話ではありませんが、ついにオーストラリア政府が動出すんです。
エミュー戦争 第1次作戦
農家たちは、この巨大な鳥の群れに対して、なす術がありませんでした。
彼らは政府に助けを求め、オーストラリア陸軍砲兵隊のメレディス少佐がこの不可解な任務に指名されました。
彼とその兵士たちは、機関銃を装備してエミューとの戦いに臨むことになりました。
しかし、エミューたちは想像以上に賢く、素早かったのです。
長雨によって広範囲に分散してしまい、最初の作戦は延期されました。
11月2日、晴れ間を見てメレディス少佐は部隊を率いてキャンピオンに移動し、エミュー50頭を発見。
しかし、エミューは細かい群れに分かれ、巧みに逃走しました。
最初の機関銃による一斉射撃は射程の関係で効果がなく、2回目の射撃でようやく少数のエミューを倒すことができました。
11月4日、メレディス少佐は大きな群れを発見しましたが、銃が作動不良を起こし、多くのエミューを逃がしてしまいます。
部隊はエミューを追い詰めるためにトラックからの射撃も試みましたが、その手段も無効でした。
最初の交戦から6日後、2500発の弾薬を消費したものの、エミューの犠牲頭数は明らかでなく、50から500頭とされています。
こうして第1次作戦は幕を閉じたのです。
おお、エミュー!すごいです!
軍人を翻弄したんですね。
そうなんです。
しかし、撤退した後も、エミューによる被害は終わることがありませんでした。
農地は猛暑と旱魃に悩まされ、数千頭のエミューが襲来するようになったのです。
農家たちは再び支援を求め、ジェームズ・ミッチェル西オーストラリア州首相は軍事支援の再開に強い支持を表明するのです。
ええ?、人間がついに本気になるんですね!
それではエミュー戦争 第2次作戦とその終焉をお話していきましょう。
エミュー戦争 第2次作戦
国防大臣は農家の要請を受け入れ、軍隊を再び戦地に派遣することを承認しました。メレディス少佐は再びその地に足を踏み入れ、エミューとの第二の戦いが始まったのです。
1932年11月13日、軍隊は戦地に到着し、最初の2日間で約40頭のエミューを倒しました。
しかし、戦果は思うように伸びず、12月2日までに毎週およそ100頭のペースでエミューを銃で倒すのが精いっぱいでした。
メレディス少佐は12月10日に呼び戻され、その報告では弾薬9860発を使って約1000頭を倒しました。
しかし、2万のエミューの総数を考えるとこれは人類の敗北と言っても過言ではありません。
その後、エミュー戦争は、国費の浪費という厳しい批判を受けました。
しかし、政府は戦争の終了後、農家たちに対し、戦費として計24ポンドの請求書を送るなど、さらに国内は大荒れとなったと言います。
しかし、それでも、エミューの被害は収まらず、農家は1934年、1943年、1948年にも軍の支援を要請しましたが、これらはいずれも政府によって却下されました。
エミュー戦争は、イギリスでも流行語となり、保護主義者の中には「希少種エミューの根絶」として掃討作戦に反対する声も上がりました。
オーストラリアの高名な鳥類学者、ドミニック・サーベンティ―博士は、これを「エミューを大量殺戮しようとする試み」と評しました。
エミュー戦争は、ただの鳥との戦いではなく、人間と自然との関係、そして予期せぬ結果に直面することの重要性を教えてくれる出来事でした。
このエミュー戦争は、人間と自然との共生の難しさ、環境保護の重要性、そして政策決定の複雑さを示す歴史的な出来事として、後世に教訓を残しているのです。
いかがでしたでしょうか?
ね〜ぼはエミュー戦争の話はどうでした?
ん〜、なんとも言えない戦争でしたね〜。
鳥と戦うなんて、こんなに大きな被害があった戦争があるなんて考えたこともなかったです。
本当ですね。人間と自然との関係って、複雑ですよね。
特に、政策決定は難しい問題をはらんでいましたよね。
でもエミュー、かわいそうになっちゃっいました。
お腹をすかせてたんですもんね。
そうですね。
でも、農家の人たちも生活がかかっていたから、どちらも大変だったと考えるとやるせないですね。
はい、なんだか難しい問題ですね。
なんだかお腹空いてきました〜!
ね〜ぼの食欲も難しい問題ですね。
それではまた次回の歴史トークで会いましょう!
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