こんにちは、素人歴史研究科R改めルファです。
こんにちは、助手のNです。
ね〜ぼです。
Nさん、ね〜ぼ、我々の生活する日本のお隣の国、韓国や北朝鮮とはいろんな国際問題もあります が、それはここ近年の話。
もっと古い、民族の起源って知ってますか?
う〜んお隣の国だし、同じアジア人だし、元々は同じ民族なんじゃないんですか?
私は、人間じゃないので、あまり考えた事はなかったですね〜
(ね〜ぼの場合、まあそうか・・・)
まあ、Nさんの言う通り、本当に元を正せば、近いは近いのですが、我々が思っているほど近くもないんらしいですよ。
元々日本人は、沖縄の方から北上してきた人と、朝鮮半島からきた人と、オホーツクの方から南下してきた人達が合わさって日本人となってきたので、あながち、間違いではないのですが、今の日本人と、朝鮮人とでは、遺伝的同質性は低いと言われてるらしいのです。
へ〜そ〜なんですね。
それは意外です。
不思議ですよね〜。
日本人は朝鮮半島から来ていて・・、、
日本と朝鮮は距離も近いのに・・・、
遺伝子は近くない・・
う〜ん、ちょっとよくわからないです。
なんか眠くなってきました・・
確かにこのままではよくわからないですよね。
というわけで今回は日本のお隣の朝鮮人の起源について解説してみようかと思います。
それではまずは日本人のルーツからお話ししていきますね。
日本人のルーツ
今の人類の元、ホモサピエンスは約20万前にアフリカから始まりました。
それが、長い年月を得て全世界に伝播していき、日本には約4万年〜2万年前に3つのルートで来たと言われています。
当時は、今より氷河期で海面が低く陸地部分が多く、日本に入りやすかったと言われています。
3つのルートとは北海道側からと、朝鮮から九州の北部へきた人と、沖縄の方から九州南部へきた人とがそれぞれいたと言われています。
これが日本に入ってきた最初の人類です。
その後も、チョロチョロは入ってきていたと思われますが、日本の国内でどんどん人口は増えていきました。
縄文土器などを作り始めたのが、前14000年ぐらいで、そこから縄文時代と呼ばれます。
そして、弥生時代にまたも多くの人が、朝鮮半島から入ってきます。
その時本格的に稲作が入ってきたわけです。
なるほど、大きく分けると、2段階で分けて日本に人が入ってきたんですね。
そうですね。
時代が新しくなるに連れて、「大量の人が来る」=「侵略となる」ケースが多くなりますが、それは、稲作が定着し、食糧を補完できるようになってからの話なのです。
なので、当時は、もっと小規模で、何かを奪うためにやってくるという事はなかったんだと思います。
最初にきた人々が縄文人で、弥生時代に稲作を持ってきたのが渡来系弥生人って呼ばれてるんですよ。
そ〜なんですね。
じゃあ、縄文人と渡来系弥生人との間で争いはなかったんですね〜。
自然と仲良くなってお米の作り方を教えてもらったりしたんですね〜。
そうやって、日本の土地にいろんな人が来て、それが交わって今の日本人ができてきたんですね。
でも、朝鮮半島から多くの人が来たなら、日本人と朝鮮人とは一緒なんじゃないんですか?
そーですよね〜。
その時代までなら、そういってもいいかもしれませんが、弥生時代や古墳時代以降、ちょっと変わっていくんです。
それではどうのように変わっていったのかお話ししていきますね。
朝鮮人と日本人
日本に最も近い外国である朝鮮は、 歴史的にも結びつきが強いです。
また見た目も、「朝鮮人」と「日本人」はよく似ています。
アフリカからやってきた北東アジアに移り住んだ集団が、弥生時代から7世紀にかけて日本に移住した、ともいわれています。
これは2回目の流入期です。
そうなると一見、現在の「日本人」と「朝鮮人」が近そうですが、実はそうではないのです。
「日本人」と「朝鮮人」のHLA(ヒト白血球型抗原)を比較したところ、両者の遺伝的同質性は低いという研究結果があるのです。
HLAとは、白血球における血液型です。
歴史的に、なぜ両者は異なる遺伝的グループとなったのでしょうか。
古代、「日本人」は混血によって形成されましたが、 8世紀以降には大きな人口流入は起きませんでした。
8世紀にもなると、稲作も定着し、身分の差もできてきて、大陸でも国内でも争いも多くなり、まとまった集団が来日するのは土地を奪いにくるという事です。
しかし、日本は島国なので、簡単に侵入できませんでした。
一方で、朝鮮半島は日本とは異なり、近代に至るまで多くの集団が流入し、混血が進んだという側面があります。
朝鮮半島は、中国人や満州人といった強力なグループが周囲にあり、 さらに近代以降はロシアと日本が大国となりました。
そのようなパワーバランスの地理的中心にある朝鮮半島は、 地政学的に主体的に国家運営を行うことが難しいのです。
その時代ごと各所から侵略にあい、それに伴って、いろんな人種と混じり合うことで、徐々に日本人と朝鮮人は離れていったと言われています。
ということで、極東に位置し、周囲を海に囲まれた日本では、異なる血統グループの流入は限定的だったため「日本人」 が形成されました。
しかし、朝鮮半島には時代ごとにさまざまな血統グループが流入することになったのです。
そう考えると日本って地政学上、良い立地だったんですね。
国の繁栄ってやっぱり地理がほんとに重要なんですよね。
同じ大陸だと隣国の大きな国の影響を受けやすいし、かといって遠すぎると情報が入ってこないので、近代化が遅れてしまいますからね。
私は近代化が遅れてもいいから自分達のペースでやっていったほうが幸せだと思いますけどね〜。
確かにそれもいいのですが、あまりに文明に開きがあると、見つかった時に力で制圧されるケースが歴史上多いんですよ。
大航海時代のヨーロッパが見つけた国をどんどん植民地化していった事を考えると、ある程度、外の情報もないとやっぱり怖いですよ!
朝鮮半島は大国、中国と陸続きだったので、民族を形成する上でも大きく影響を受けたというわけです。
日本は基本的に、国内だけで増えていったので大きな民族の変化はありませんでしたが、朝鮮半島ではどのような事が起こっていったのかをNさんに調べてもらいましょう。
はい、わかりました。
ここからは私Nが朝鮮半島の民族がどのように変わっていったか調べますね。
朝鮮半島の歴史
朝鮮半島では、もともとこの地に住んでいた人と満州人、モンゴル人、漢人といった人々との混血が進んだことから、「朝鮮人」には複数の系列民族が存在します。
「日本人」と「朝鮮人」の遺伝的同質性が必ずしも高くないことからも、純粋な韓人はもはや存在ないと言われています。
韓人とは朝鮮半島南部から中部に住んでいた民族であり、1世紀には三韓といって、3つの大きな国がありました。
これら三韓の後継国が、百済(くだら)、任那(みまな)、新羅(しらぎ)です。
百済は古代日本との同盟国であり、また『日本書紀』には任那に任那日本府というヤマト王権の出先機関が置かれたとあり、日本との結びつきが深かったと言います。
4世紀から7世紀にかけて日本に流入した渡来人は、韓人ということになります。
この韓人と一体化して現在の「朝鮮人」を形成した主なグループが満州人です。
満州人は、朝鮮半島北部から南シベリア地域にかけて住んでいた民族です。
満州人が紀元前1世紀につくったのが高句麗(こうくり)です。
高句麗は、668年に中国・唐と同盟を結んだ新羅によって滅ぼされました。
これにより、新羅は朝鮮半島で最初の統一王朝となりました。
新羅は韓人による王朝ですが、10世紀になると再び、満州人が多数派の高麗(こうらい)が建国されます。
これ以降、韓人と満州人の混血が進みました。
13世紀になると、高麗はモンゴル人の中国王朝・元に降伏し、属国化されました。
元は超巨大国家で、ヨーロッパの一部から中国全土も収めていた国で、日本も危ない時期がありました。
元寇がまさにそれです。
しかし、日本は島国なので、やはり攻めづらかった事もあり、なんとか退けました。
14世紀に中国が明王朝に替わると、高麗王が李成桂(りせいけい)のクーデターによって廃され、李氏朝鮮が興されました。
この李氏朝鮮もまたツングース系満州人です。
朝鮮半島の歴史は、韓人とツングース系満州人の両者によって進み、やがて混血が進み、 今日の「朝鮮人」が形成されたのです。
朝鮮半島はやはり、陸で大国と繋がっているから、満州や、中国、モンゴルから定期的に攻められていろんな国の一部だった時代が多く、その間に、混血が進み、日本人とは民族的にも変わってきたんでしょうね。
う〜ん、そう考えるとなんだか、周りに振り回されて可哀想な気がしますね〜。
そうですね。
今世界で起こってる紛争や戦争もいろんな歴史の色々な要因から起こるものも多いんでしょうね。
でも元を正せば人類は同じ種族ですからね。
今後もっと化学進歩が発展し、争わなくてもいい状態になっていければいいですね。
というわけで、今回は日本のお隣の朝鮮人について解説させていただきました。
こんなに近くの国なのに、日本とは全く違う歴史を辿ってきたわけです。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
YouTubeにて動画も配信してるのでもしよかったら見てください
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