鞍馬山は、京都にある霊山であり、山頂には鞍馬寺が建っています。
山中には修験者の修行場や霊場があり、信仰の対象となっています。鞍馬山は、自然と霊性の融合した神秘的な場所として知られています。
今回は鞍馬山の伝承を探ってみましょう🎵
こんにちは歴史素人研究家ルファです。
助手のエヌです。
ね〜ぼです。
この間、ハイキングで山に登ったんですよ!
気持ちよかったな〜!
お二人は山って言ったらどんなイメージがありますか?
山といったら、美味しい空気と自然の景色ですかね!
登り切った時の爽快感はたまらないです。
そうそう、頂上で食べるおにぎりは格別なんですよね〜!
あったかいお茶があるとなおいいです。
また、いい陽気だと眠くなっちゃうんですよ〜!
はあ〜、なんだか想像したら眠くなってきちゃった〜
ね〜ぼ、始まったばかりです。
まだ寝ないでね
でもお二人ともいいですね〜!
情景が目に浮かぶようです。
でも、世界的にも山というのは神聖かつ、ちょっと怖く不気味なものの象徴としての側面もあったんですよ。
日本も例外ではありません。
確かにそうですね。
妖怪や鬼の類も山に住んでいるイメージもありますもんね。
人は、平地や海沿いの方が住みやすいですし、知らない場所というのはやはり怖いものですもんね。
そ〜ですか?
私は動物なので山は怖くないですよ〜!
(ね〜ぼの生態ってなんだろう?)
まあ、ともあれ、そんな人々に畏怖されてきた存在の山
そんな山の恐ろしさや奇妙な伝承が残る代表的な場所の代表例が京都にある鞍馬山なんです。
そこには昔、天狗が住んでいたという伝承が残ってるんです。
というわけで今回は鞍馬山に残る、不思議な天狗伝承について解説にしようかと思います。
鞍馬山の天狗伝説
京都市左京区にある鞍馬山は、古くから山岳信仰が盛んな霊山です。
山岳信仰は、自然崇拝の一種で、狩猟民族などの山岳と関係の深い民族が山の自然環境に対して抱く畏敬の念、雄大さや厳しい自然環境に圧倒され恐れ敬う感情などから発展した宗教形態であると言われています。
古代日本において山岳信仰に仏教の要素が混ざりながら成立した日本独自の宗教で修験道というものがあり、その修行場の一つが鞍馬山でした。
現在ではパワースポット目的で訪れる参拝者もいますが、それ以上に観光客の関心を集めるのは、 天狗伝説です。
天狗伝説の有名な話として、若かりし源義経が鞍馬山で天狗に剣術を習っていたというものがあるのです。
この伝承は古くから有名あったものですが、江戸時代には出版物を通じて一般庶民にも広く知られていました。
源義経が剣術を教わった天狗は、鞍馬天狗(くらまてんぐ)または鞍馬山僧正坊と呼ばれ、鞍馬山の奥、僧正ヶ谷に住むと伝えられる大天狗です。
日本八天狗の一尊に数えられている物凄く有名な天狗なんです。
鞍馬天狗!
なんか聞いたことあります。
多分、昔ヒットした『鞍馬天狗』という小説の影響で、今でも漫画などで「鞍馬」という名前は使われたりしてますから、それで聞いたことがあるんじゃないかなと思います。
幕末を舞台にした時代小説シリーズで、主人公の神出鬼没の勤王志士である剣士が名乗る名で、映画でもヒットしていたようですし。
確か、義経と鞍馬天狗の話は、具体的な出典はわかっていないんですけど、能などで表現されて有名になったみたいです。
また、『御伽草子おとぎぞうし・天狗の内裏だいり』によると、鞍馬天狗は鞍馬山に存在する目には見えない「天狗の内裏」に住んでおり、手下に数多の小天狗を従えていて、近隣の山々の天狗にも顔が利く大天狗だったんですって。
なんと人間を妻としていて、神通力で人の素性を見通したり、地獄や浄土にも飛んでいくことができ、内裏を訪れた義経を大日如来となった亡き父・義朝と会わせた後に師弟の契約を結んだって事が書かれているんです。
ええ〜すご〜い!
鞍馬天狗にそんな設定があったんですね。
設定って・・
まあ、あくまで伝承ですからね〜
でもそもそも天狗ってなんなんですか?
いい妖怪なんですか?悪い妖怪なんですか?
鳥っぽいイメージもあるし、鳥の妖怪なんですか?
そもそも妖怪なんですか?
確かにどうやってあの形になっていったんでしょうね。
それでは天狗についてもう少し詳しく調べてみましょうか・
天狗とは?
そもそも天狗とは一体なんなのかというとこちらも諸説ありますが、仏法からはみ出した僧侶や恨みを持って死んだ人間の成れの果てだといわれ、
修験道では、天狗は修行者や修行場を守護する霊だとされています。
厳しい修行や神秘的な呪術で知られた修験者たちは、一般の人々からすれば薄気味悪い存在でもあったようで、そうした修験者と天狗のイメージが重なった結果、天狗という山に住む妖の形ができていったのだと考えられます。
絵巻や絵図でイメージ化された天狗が修験者のような恰好をしているのも、そのためです。
元々、天狗は日本の妖怪ではく、ルーツは中国だと言われています。
隕石(いんせき)が大気圏に突入する際の衝撃音が犬のほえる声に聞こえたことから、「天の狗(いぬ)=天狗」と名付けられました。
「天狗」が日本に伝えられたのは、7世紀で『日本書紀』によれば、637年2月に大きな星が東から西へと流れ、雷のような音がとどろき、これが中国の天狗というものか、と噂され広まったようです。
中国では、天狗の出現は戦乱の予兆とされていました。
『日本書紀』では天狗の記事の後に、反乱あったことも天狗を有名にしたと追われています。
ただ、流星・隕石としての「天狗」は、日本では定着せず、その代わりに、『日本書紀』の「天狗」に「あまつきつね」という和訓が付けられ、平安時代中期の10世紀ころから、天狗は狐(きつね)のように「人を化かす妖怪」として知られるようになりました。
さらに平安時代後期から中世にかけて、天狗は空をかけることから、鳥のような姿でイメージされるようになりました。
そして江戸時代になると、鼻が高かい今の天狗のイメージになっていったようです。
さらに、天狗は妖怪というより神に近い存在へと昇格していきました。
山の神として捉えられ信仰を集めていったようです。
ええ〜すご〜い!
へ〜
そうやって変化していったんですね!
なるほど、だから「狗いぬ」の字が使われていたり、狐や鳥、妖怪や神様など沢山のイメージがあるんですね。
時代とともに色々なイメージがつく事で今の天狗の形になっていったんですねぇ。
そうなんです。
天狗以外にも、こうやっていろんなイメージが重なって出来上がったものなんてものも多そうですよね。
天狗ではないですが、鞍馬山には他にも伝承があるんですよ。
鞍馬山では千手観音像せんじゅかんのんも古くから祀られているのですが、
実はそこにも面白そうなエピソードがあるんですよね。
次回はそこを調査してもいいですか?
いいですね〜!
では次回は鞍馬山の千手観音の伝承についての記事を書きますね。
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