こんにちは、素人歴史研究家ルファです。
助手のエヌです。
ね〜ぼです。
以前、2024年の大河ドラマの紫式部の記事を投稿しましたよね。
はい、確か、紫式部の人間関係の相関図について解説したんですよね。
そうそう、平安時代は人間関係がわかると面白いんです。
確かに〜!
そうなると個人個人の事をもっと知りたくなります〜
ね〜ぼです。
はい、源氏物語という恋愛長編小説を書かれた事でも有名ですよね。
そうです。でも、紫式部がなぜ小説を書いていたのか、どんな生い立ちなのか?
この辺は気になる所ですよね〜。
確かに〜!
私の口寄せの術で紫式部さんを呼び出すんですね!
そうです!
僕は忙しいので、お二人で話を聞いてきて下さい。
あ、ルファさん、さては昼寝するつもりですね?
ね〜ぼじゃないんだから!
それではね〜ぼ口寄せの術お願いします〜!
はい、了解しました〜!
口寄せの術〜!
ボワン
紫式部登場
あれま!
ここはどこかしら?
ここは未来の日本ですよ!
ここは未来?
見た事ない生き物もいるし、すごい体験だわ!
小説のネタになりそうね
こらこら、そんな話は置いといて!
紫式部さんに聞きたいことがあってお呼びしました。
紫式部の小説家としてのルーツ
改めて、初めまして、紫式部さん。
今日はお時間をいただきありがとうございます。
いえ、こちらこそ。
というか、時間も何も、急にここに飛ばされてきたのですが・・
まあ、いいわ!何をお尋ねになりたいのですか?
たくさんお聞きしたい事はあるのですが、まずは、あなたがなぜ文学に興味を持ったのか、その原点を教えていただけますか?
私の父、藤原為時は学者で詩人でもありました。
母を早くに亡くした私は、父のもとで育ち、父の影響を受けましたね。
家には常に書物が溢れており、私はそれらを読むことで楽しみを見つけ、自分自身の表現方法を模索しました。
その経験があなたの紫式部さんの源泉となったのですね。
そういえば、あなたの名前、紫式部は実は通称だと伺いましたが?
はい、それは正しいです。『源氏物語』のヒロイン、紫の上と、父の役職、式部丞から名付けられました。
私の本名は伝えられていません。
当時は名前に霊的な力があると信じられており、本名をあまり口にする習慣はありませんでした。
ええ〜?こっそり教えてくれませんか?
いやです!
そこをなんとか!
だめです!
けち〜!
こら、ね〜ぼ、紫式部さんを困らせないの!
それでは、『源氏物語』があなたの生涯の作品となりましたが、その中で最も伝えたかったメッセージは何でしょうか?
私の物語は、人々の生と愛、そして悲しみについてのものです。
それぞれのキャラクターが持つ感情の深さと複雑さを描くことで、読者に人間性の本質を理解させ、感じてもらいたいと思っています。
あなたの文学への深い愛情と才能について理解を深めました。
それでは次にあなたの宮廷での役割についてお話しいただきたいと思います。
紫式部の宮廷内の役割
女房?障子さんの女房?ん?
当時、女房というのは、現代の意味と違うんですよ。
平安時代の「女房」という言葉は、男性が妻を指すものではなく、宮中(きゅうちゅう)で働く貴族の女性を指すんです。
でも、そのような地位に就くまでの道のりは大変だったのではなかったですか?
それは多くの努力と学びの結果でした。
私は書物を読み、和歌を詠むことに多くの時間を費やしました。
そして、私の物語、『源氏物語』が宮中で注目を集めるようになったことも、私の地位を高める一助となりました。
なるほど〜!『源氏物語』は宮中(きゅうちゅう)でどのように受け入れられていたんですか?
物語はすぐに評判になり、その評判は一条天皇の耳にも届きました。天皇は「源氏物語の作者には日本書記の教養がある」と私を称賛してくれました。
紫式部さんすご〜い!
ライバルは清少納言!?
では次に、当時の皇室での関係性やライバルについてお聞きできればと思います。
私のライバルと言ったら、彼の方の事ですね!
いいでしょう!どんな質問でもお答えしますよ。
貴女が仕えた彰子様は、後に著名な「この世をばわが世とぞ思ふ望月のかけたることもなしと思へば」という歌を詠んだ藤原道長さんの娘でしたが、実は彰子様より前に一条天皇の中宮の座にいた女性がいましたね。
う〜ん、何やら複雑な関係ですね。
そのような政治的な状況は、皇室の女性たちの生活に影響を与えたのでしょうか?
そのとおりです。藤原家の慣例では、娘が天皇の后になり、その子が次の天皇となることで、摂政や関白として政治の実権を握ることが普通でした。そのため、天皇に愛された女性たちの背景には、常に政治的な駆け引きがありました。
その中で、清少納言と貴女はどのような関係性を持っていたのでしょうか?
清少納言と私の宮仕えをした時期は実際には、ずれていて、宮中で顔を合わせることはなかったです。
ただし、私たちは共に文学に情熱を注ぎ、同じく皇室に仕えたという点で、何らかの意味でライバルのような存在だったと言えるでしょう。
好敵手と書いてライバルですね!
う〜ん、確かにそんな話ばっかりされたらちょっといやですよね〜
栄光の影に、若き日の苦悩
紫式部さん、あなたの華麗なる生涯についてもっと知りたいです。
皇后の女房であり、人気作家となり後世に名を遺すなど、非常に華やかな人生ですが、実際のところはどうだったのでしょうか?
私の生涯を華やかだと評する方がいるとは驚きます。確かに皇后に仕え、物語を書くという特異な立場にありましたが、その背後には数々の困難がありました。
ええ、意外です。
ご本人はそう思われてたんですね。
その困難について詳しく教えていただけますか?
まず、私は母親を早くに失い、父親に引き取られました。そして、父親の一族は衰退し、父自身も失業しました。
私にとって、本はそんな時でも私の心を支えてくれる存在でした。
そんな状況だったんですね〜それは大変でしたね〜。
その後のご経験はどのようなものでしたか?
父が越前に赴任することになり、私も京を離れて北国へ行きました。
しかし、北国の冬の厳しさに驚いて、私は京へ戻りました。そして、父の上司であった男性の後妻となりました。
その男性との生活はどのようでしたか?
夫は私よりも20歳以上年上で、女性関係が派手で家庭を顧みることが少なかったため、寂しい日々を過ごしました。そして、その夫にもすぐに先立たれてしまったのです。
それは大変な経験だったと思います。
その後のあなたの人生はどう変わったのでしょうか?
夫を亡くした後、人生の困難と儚さをよく理解するようになりました。
そんな中で、私は筆を取り、『源氏物語』を書き始めたのです。
あなたの困難を乗り越えて得た経験と洞察力が、『源氏物語』という偉大な作品を生み出したのですね。
人に歴史ありですね!
紫式部と道長の関係
少し前の話で、道長さんにスカウトされたような事をおっしゃってましたが、道長さんと言ったら、あの藤原道長さんですよね?
道長さん?そんなにすごい人なんですか?
道長さんはすごい人ですよ!
平安時代はその世代その世代で有力な貴族はいましたが、その中でも最強に権力を持っていた人です。
ちょっと噂で聞いたのですが、お二人は恋愛関係にあり、源氏物語はお二人の話をモチーフにされたとか!
確かに、私と道長様との間には、恋愛関係を指摘する説が存在します。
それは『尊卑分脈(そんぴぶんみゃく)』という本の記述に基づいている話ですね。
『尊卑分脈(そんぴぶんみゃく)』?なんですか?それは?
食べ物ですか?
違います!
『尊卑分脈』は貴族の系譜を記録した本で、私について「源氏物語作者」「道長妾(めかけ)」と記されています。「妾」は本来、愛人を意味しますからね。
ということはあの噂は本当だったんですね?
つまり、あなたと道長さんは恋愛関係にあったと解釈でよろしいでしょうか?
え?アプローチを断ったんですか?
もうちょっと詳しく教えてください。。
道長様が「あなたはさぞ恋愛経験が豊富で、よく口説かれもするでしょう」という内容の和歌を私に贈って下さいました。
それに対して私は「私は誰にも惹かれておりません。心外です」と返したんです。
ええ〜?
しっかりお断りしてるじゃないですか?
それだけではありません。
他にも道長さんとのお話で日記に書いてることがあります。
それは、「夜に寝ていると、道長が部屋を訪ねてきて一晩中戸を叩かれた」「戸を開けていたら後悔していたでしょう」って。
もし私と道長が恋愛関係であれば、せっかく訪ねてきた恋人を無視するはずがありません。
ええ〜そなんだ〜!
それならば、愛人説はあまり現実的ではないということですね?
何か言い方が気になりますね〜
後はご想像におまかせします。
怪しい〜
紫式部さん、今回はお時間いただき、ありがとうございました。
時間をいただくも何も、勝手に呼び出されただけですが・・
でもこちらも楽しかったです。
この体験を題材にまた執筆活動に励もうと思います。
怪しい〜
おお、紫式部さんは帰られたんですか?
はい、今帰りました!
どうでした?何か面白い話は聞けましたか?
はい、ガールズトークで盛り上がりました!
ん?ガールズトーク?
でもまあ、楽しかったならそれでいいですが!
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