こんにちは、歴史素人研究家ルファです。
皆さんは投資の神様、ウォーレン・バフェットはご存知でしょうか?
1930年8月30日生まれの現在92歳で今なお投資の世界で活躍されているおじいちゃんです。
投資の神様というだけあって、バリバリのお金持ちですが、彼の名言の一つに、
お金は、ある程度まで、人を面白そうなところへ連れて行ってくれる。しかし、お金があっても あなたのことを愛してくれる人の数が増えたりはしないし、より健康になれたりもしない。
というものがあります。
これを聞いて、綺麗事じゃん!と思う方もいれば、確かに!と思う方もいると思います。
今置かれてる環境によって、考え方は変わるものですよね。
もしかしたらウォーレン・バフェットという人の人生を知れば、その境地を少しは理解できるのではと思い、今回はウォーレン・バフェットの生い立ちや幼少期の当時のアメリカの時代背景について調べてみたいと思います。
1930年代アメリカの時代背景
バフェットの生まれた1930年のアメリカは、大恐慌の初期に位置しており、国内経済が深刻な危機に瀕してたそうです。
大恐慌は、1929年10月にニューヨーク証券取引所で株価が急落した「ブラック・チューズデイ」から始まり1939年まで続く長い不景気時代でのことです。
この株価暴落は、アメリカ経済に壊滅的な打撃を与え、多くの企業が倒産し、失業率が急上昇しました。
もちろん、この不景気はアメリカだけでなく、全世界に電波し、第2次世界大戦の要因にもなっています。
この時代は、経済不況による苦境に直面している人々が多く、生活が非常に厳しくなりました。
多くの銀行が取り付け騒ぎにより破綻し、多くの預金者が貯金を失いました。
さらに、農業生産も低迷しました。
これにより、農業従事者や農業従属地域の経済が大きな打撃を受けた時代だったんです。
バフェットが生まれた時代というのは、決して恵まれた時代ではなかったんですね。
しかし、このような困難な状況下でも、アメリカは政策面で立ち直りを図りました。
フランクリン・D・ルーズベルト大統領は、1933年に就任し、ニューディール政策を実施しました。
この政策は、公共事業の拡大や雇用対策、銀行や証券業界の規制強化など、経済再建を目指す一連の施策を含んでいました。
これにより、次第にアメリカ経済は回復の兆しを見せ始めた時代でもあったんです。
文化面では、この時代は「ハーレム・ルネサンス」と呼ばれる黒人文化の隆盛期でもありました。
黒人芸術家や作家がニューヨークのハーレム地区を中心に活躍し、アメリカ文化に多大な影響を与えました
当時は、まだ黒人差別が激しい時代で、それを変えるきっかけとなった出来事だったんですね。
1930年代のアメリカは、大恐慌という歴史的な経済危機に直面しながらも、政策や文化の面で新たな展開を見せる時代でもあったのです
それではそんな時代に生まれたバフェットの人生をみていきましょう。
バフェットの人生
バフェットは1930年ネブラスカ州オマハで生まれ、子どもの頃からビジネスの才能を発揮していました。
彼はコーラを仕入れて販売し、新聞配達やゴルフ場でのボール拾い、競馬の予想新聞販売など、さまざまな仕事を通じて収入を得ていました。
11歳の時には、初めて株式投資に手を出し、姉と共にシティ・サービスの株を購入しました。
株価が下落した後に回復し、バフェットは小さな利益を得るために売却しましたが、その後株価はさらに上昇しました。
この経験から、彼は重要な教訓を学びました。
それは、株価に執着せず、小さな利益を急いで得ようとしないこと、そして他人のお金を投資に使う際には慎重であるべきだということです。
彼が13歳で初めて所得税を申告したなんて話は有名ですよね。
高校時代には、友人と一緒に中古のピンボールを購入し、理容店に置くビジネスを始めました。
このビジネスは成功し、最終的に週50ドルの利益を上げるまでになりました。
彼はこの事業を退役軍人に1,200ドルで売却するというもはや大人顔負けのビジネスを行っていたのです。
やがて彼はコロンビア大学で人生の恩師とも言えるベンジャミン・グラハムと出会い、ベンジャミンのもとで学び、投資の基本原則を身につけます。
ここからバフェットはどんどん資産を増やしていきます。
1962年、バフェットはテキスタイル会社バークシャー・ハサウェイを買収し、それを持ち株会社に変革。
彼の投資哲学に基づいて多くの企業を買収し、バークシャー・ハサウェイは急速に成長を遂げました。
バフェットはその後も多くの成功した投資を行いました。
その中でも特に有名なのは、ソロモン・ブラザーズやコカ・コーラへの投資です。
彼は、企業の基本的な価値を見極め、長期的な成長を重視する投資を行っていきます。
バフェットは莫大な富を築きましたが、彼はその富を他人のために使うことを信条としています。
それは、それまでの彼の生き方の成功や失敗を繰り返す中で生まれた信条なのでしょう。
また、彼はビル・ゲイツと親交があり、ゲイツ財団への寄付や慈善活動を通じて、世界中の人々の生活を向上させることを目指しました。
晩年のバフェットは、引き続き投資活動を行いつつ、後進の育成や投資知識の普及にも力を注いでいます。
彼は自分の後継者を選び、バークシャー・ハサウェイの将来を見据えているのです。
ウォーレン・バフェットは独自の投資哲学があり、その投資哲学は、「バリュー投資」と呼ばれるものだそうです。
これは、企業の本質的な価値を理解し、長期的に見て割安な銘柄を見つけ出して投資することを指します。
彼は感情や市場の短期的な動きに左右されず、企業の将来性や経営陣の質を重視して投資を行っています。
それは、お金だけでは人は幸せに慣れないことを知っているからです。
バフェットは、お金はただ富を増やすための手段ではなく、より良い社会を築くための道具だと信じているのです。
この考え方には、バフェットの生きた時代背景と人生の経験が影響してるのかなと思います。
それではバフェットの人生の何がそこまで影響を与えたのか探ってみましょう。
彼の幼少期と父の影響
ウォーレン・バフェットの父親は、彼に節度と倫理に基づいた投資をすることの重要性を教えました。
多分、その時代、アメリカで起こった大恐慌の経験が大きかったのだと思います。
そこで、お金の大切さや人々のためにお金を使うべきだと考える大きな要因となったのではと思います。
ベンジャミン・グラハムの影響
バフェットがコロンビア大学で学んだ際、彼の師であるベンジャミン・グラハムから、「株は単なる数字ではなく、実際の企業を表している」という考え方を学びました。
これによって、バフェットはお金を稼ぐだけでなく、人々の生活を向上させる企業に投資することの重要性を理解しました。
成功による富の増加
ウォーレン・バフェットは、投資の成功により莫大な富を築きました。
彼はその富を活用し、慈善活動や社会貢献を通じて人々の生活を改善しようと考えるようになりました。
ゲイツ財団との関係
ウォーレン・バフェットはビル・ゲイツと親交があり、ゲイツ財団の活動に触発されています。
彼は2006年にゲイツ財団に寄付を行い、以降も慈善活動を積極的に行っています。
これは、彼がお金を人々のために使うべきだという考えをさらに強化したんだと思います。
これらの要因が組み合わさって、ウォーレン・バフェットはお金を人のために使うべきだと考えるようになりました。
彼は自身の富を使って、世界中の人々の生活を向上させることを目指しているんだと思います。
いかがでしたでしょうか?
ウォーレン・バフェットは、企業は投資家のお金を社会的大義のために使うべきではなく、株主にとって最も利益になることにフォーカスすべきだと考えているそうです。
また、お金は人の為に使うべきだとも語っています。
個人的にはまだバフェットのような思考になるようなレベルではありませんが、バフェットの人生を振り返ることで、ちょっとでもその思考に近づけたような気がしました。
皆さんも歴史を学ぶことで、今の生き方を見直すきっかけになってくれればなと思います。
ウォーレン・バフェットのような成功者に学ぶことで、自分たちの人生も豊かにしていきましょう。
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