歴史の中の神秘的な物語、アマテラスと伊勢神宮の関係!そして八咫鏡の行方について熱く語り合います。
その中で、古代の事件、失われた神器の謎、そしてそれぞれのキャラクターが持つ個性的な視点からの感想で、歴史の面白さと謎を再発見していきましょう🎵
こんにちは、助手のエヌです。
マスコットのね〜ぼです。
前回は、伊勢神宮の神社にフォーカスしてお話しましたよね。
伊勢神宮の内宮に、高祖神の天照大御神が祀られていて、外宮が豊受大御神って神様が祀られてるんですよね?
その通りですよ、ね〜ぼ
天照大御神が伊勢の地に祀られるようになった背景は、実はすごく興味深いんです。
そこには長い物語があるんですよ〜。
え?本当に?ちょっと知りたいな〜。でも…お腹がすいてきた…。
(笑)食べ物のことばかり考えているね。でも、今はルファのお話を聞こうよ。
ありがと、エヌさん!
ということで今回の記事は、天照大御神が伊勢神宮に祀られるようになるまでの物語について記事にしていきますね。
うーん、ルファさんの話を聞いていると眠くなっちゃうけど、面白いね!
眠くなるって!!ね〜ぼは一言多いいんだよな・・
まずはアマテラスの誕生からのストーリーを解説しますね。
アマテラスの誕生
天照大御神の出生は、宮崎県の禊池で、お父さんのイザナギの左目から生まれたと日本神話では言われています。
お父さんから?、左目?など疑問に持たれる方もいると思いますが、神話なので!
そもそも神々の話では、
そう言った摩訶不思議なことも多いのです。
そして、アマテラスは父、イザナギから、天の国を治めるように言われ、高天原を治めるのです。
そうして、一生懸命高天原を治めていたアマテラスに事件が起きます。
それは海の国を治めていた弟、スサノオがなぜか、高天原にやってきたのです。
スサノオは暴れん坊なので、高天原を襲いにきているかと警戒していましたが、どうやら誤解だったらしく、スサノオは高天原に居させることにします。
しかし、そこはやはり乱暴者のスサノオです。
悪気があるかないかはわかりませんが、とにかく暴れて迷惑をめちゃめちゃかけちゃうんです。
弟の悪さで心を痛め、アマテラスは落ち込み岩屋に引きこもります。
これが有名な天岩戸伝承です。
太陽神アマテラスが引き篭もったせいで、この世から光が消え真っ暗になってしまいます。
「あれ、アマテラスさん!?スサノオ以上にみんなに迷惑かけてない?」と思ってしまったのは僕だけでしょうか?
そんなこんなで、アマテラスを岩戸から出す作戦を知恵の神を中心に相談します。
その作戦というのが、岩屋の前で宴会を開き、アマテラスが気になって覗いた所に鏡を用意し、鏡に映った自分の姿に、新しい神が太陽神が現れたと勘違いさせ、戸惑っている所を力づくで引っ張りだすというものでした。
知恵の神にしては大丈夫か?と思われる作戦ですが、見事アマテラスは作戦に引っかかり、地上は光を取り戻すのです。
ここで使われていた鏡というのが、八咫鏡と言われ、天皇家の神宝と言われる三種の神器の一つになるのです。
神話を巡る三者三様の感想
あの天岩戸神話ね、アマテラスが引きこもったの、私なら同じことするかもしれないです。
親しい人からの裏切りって、すごく痛いものだから。
ね〜ぼは嫌なことあっても寝たらすぐ忘れそうだけど・・)。
確かにアマテラスも大変だったと思います。
だけど、スサノオの乱暴な性格も考えると、何とも言えないな。
彼も、自分のやり方で愛情を示してたのかもしれないよ。
でも、岩屋に閉じこもって光を奪うって…!
太陽神としての責任を考えると、ちょっと大袈裟だったかもしれないですね。
でも、岩戸から出す作戦のところは面白かったです。
さすが、知恵の神!
あれはびっくりですね!
鏡で自分を映して、新しい神が現れたと錯覚させるなんて…
鏡見るの好きだから、アマテラスの気持ち、わかるります。
新しいお菓子見つけた時の気持ちと似てる!
ね〜ぼはいつも食べ物のことばかり(笑)でも、三種の神器の話、歴史的には重要だですよね。
アマテラスと八咫鏡
時は流れ、アマテラスの孫、邇邇芸を地上世界に送り出す際、アマテラスが邇邇芸に持たせたのが、この八咫鏡だったのです。
その時アマテラスは言いました。
「この鏡を私だと思って大切に扱いなさい」
そこから、この鏡にはアマテラスの御霊が宿るとして、八咫鏡がある場所がアマテラスを祀る場所となるのです。
それから長い間、八咫鏡は邇邇芸子孫に代々受け継がれ、神は天皇となり、10代天皇、崇神天皇の時代まで宮中、つまり、天皇と同じ住まいに祀られます。
しかし、この崇神天皇の時代に疫病が蔓延し、日本が壊滅の危機に立たされたそうです。
困った崇神天皇はアマテラスをアマテラス単体でしっかり祀ろうと考えます。
そこで選ばれたのが、伊勢の地・・
ではないんです。
最初は大和の笠縫邑(かさぬいむら)という場所に祀られ、その後、第11代垂仁天皇の時代に、もっとふさわしい場所を!ということで、近畿地方を転々とし、そしてようやく落ち着いたのが、伊勢だったというわけです。
この大和の笠縫邑がどこになったのかというや、元伊勢と呼ばれる、伊勢神宮の前にアマテラスがいた場所などもたくさんあり、その足取りは正確にはわかりませんが、元伊勢と言われる神社の伝承を調べてみると結構面白いです。
伊勢までの道のり
ほんと、アマテラスってすごいですよね。
八咫鏡を孫に持たせて、それが今でも天皇家の神宝の一つとして受け継がれてるなんて!
この鏡、ただの鏡じゃなくてアマテラスそのものって考えると、ちょっとロマンチックですよね。
まさに、伝説や神話には魅力があるわ。
特にアマテラスが「この鏡を私だと思って大切に扱いなさい」と言ったこと、それがどれだけ重要だったかがわかりますね。
でもね、伊勢以前にも祀られてた場所があったんですね。
それが大和の笠縫邑ってところだったんだって!
伊勢が最終地点って言われてるけど、そこまでの道のりも大事ですよね。
それにしても、移動するのが大変そう…お腹すいたな。
伊勢が最終的な場所になった理由や、それ以前の場所での出来事、そこにはどんなドラマがあったのかしら。
ちょっと想像するとワクワクしますね。
歴史の中には、まだまだ知らないエピソードがいっぱいあるんですよね。
エピソードより、伊勢の名物おはらい町の食べ物が気になるな…。
ね〜ぼ、また食べ物のことしか考えてないのね(笑)
でも、歴史的な場所に行くと、そこのグルメも楽しみの一つですね。
そうですね!
歴史もグルメも、全部楽しむのが旅の醍醐味ですね!
その後の八咫鏡
現在八咫鏡は一体どこにあるのでしょうか?
それは本体は伊勢神宮と、形代は宮中にあると言われています。
形代というのはいわばレプリカで、本体のアマテラスの御霊を分けた物という考え方らしいのです。
しかし、実際に昔の現物が残っているかというのはわからないそうです。
というのも、八咫鏡を含めた3種の神器は天皇ですら見る事を許されていないからです。
少なくとも、レプリカの形代は何度か紛失している記述が残っています。
1回目は平家と源氏が戦った際、平清盛の娘が天皇家に嫁ぎ、その息子である、まだ当時幼かった安徳天皇がその戦いで海に身投げするのですが、その際、八咫鏡を持ったまま、亡くなったようです。
そこにも、いろいろ言われがあり、「鏡は船に残っていた」や「その後一生懸命探したら見つかった」など言われたりしています。
また形代の八咫鏡は江戸時代の宮中の火災により粉々になってうという事件もあります。
今宮中にあるのは伊勢神宮の本体から分霊したものが形代として安置されているみたいですね。
しかし、本体も形代も誰もみたことがないので、その辺は謎なんですね。
失われた神器の謎
さすが、八咫鏡は歴史に名を刻んでんですね!
でも、実物が見られないのはちょっと残念だな…。
でも神器ってさ、紛失したり火災で粉々になったりするなんて、もっと大切に保管しておくべきじゃない?
それはそうね。でも、時代背景や事情を考えると、そういう事故も仕方がないこともありますけどね。
ただ、形代があることで、大事なものを失ってもそれを継続する努力が感じられて、少し安心です。
平家と源氏の戦いの話、聞くたびに胸が熱くなるよ!
安徳天皇が海に身投げするシーン、まさに歴史のドラマですよね!
安徳天皇が鏡を持って身投げするって…その鏡、結局どこに行ったのかな?
餅がどこに行ったかと同じくらい気になるな。
ね〜ぼ、また食べ物のことを考えているのね(笑)でも、神器の行方は歴史の謎の一つですよね。
実際に目撃者も少なく、情報が限られているから、真実は何なのかは誰にもわからないわ。
でも、その謎があるからこそ、歴史がさらに面白く感じるよね!
エンディング
いかがでしたでしょうか?
伊勢神宮は神話の時代から存在し、今なお、多くの観光客が集まる人気スポットなんです。
これだけ歴史があると、何か不思議なパワーがあるからこんなに人が集まるのかもしれませんね
そうですね。私も伊勢神宮に行って、そのパワーをあやかりたいと思いました。
ちなみに、アマテラスの食事を用意する豊受大御神(とようけおおみかみ)のいる外宮では今でも毎日、朝と夕方、神事として食事を作ってお供えしているそうです。
それを1500年以上も続けてるんですって!
一般公開はされていないそうなんですが、毎日必ず行われているようなので時間を合わせて参拝すると神事の一端を垣間見ることができるみたいですよ!
それはすごいですね。
こうして、神社に行くことが減った現代でも、そういった神事が今なお続いているんですね。
皆さんももしよかったら、人生に一度は伊勢神宮にお参りに言ってみてください。
コメント