こんにちは、素人歴史研究家ルファです。
助手のエヌです。
ね〜ぼです。
お二人とも、日本で一番高い山くて美しくて、雄大で、神聖な山はどこだと思います?
そんなの富士山に見舞ってるじゃないですか?
一番高い山は富士山ですが、美しさや雄大さや、神聖さは、人によって違うと思います!
地域地域によって山岳信仰はありますし、それは個人の主観だと思います。
いや、真面目!!
確かにその通りですが、そこは流してくださいよ〜💦
でも、富士山が日本で一番有名な山であることは間違いないと思います。
富士山は日本一高い山で、その姿は美しいだけじゃなくて、昔からたくさんの人々が注目してきたんですよ。
そして、富士山はただの山じゃなくて、時に人々を苦しめる大災害を起こす火山なんです。
歴史を見ると、富士山は何度も噴火してきたんですよ。
その記録はたくさん残っていて、その中からも十数回噴火したことがわかるんです。
最初の噴火が記録されたのは、ずいぶん昔の781年。
それからしばらくの間、特に平安時代にはよく噴火していたんだけど、1083年以降はあまり噴火しなくなって、それから今までの間に4回しか噴火していないんです。
ええ?昔はそんなに噴火していたんですか〜?
確か、
・800〜802年に起こった「延暦の噴火」
・864〜866年に起こった「貞観(じょうがんだいふんか)の噴火」
・1707年に起こった「宝永の噴火」
という3つの噴火は特に大きくて、たくさんの人々がその影響を受けたから、「三大噴火」と呼ばれているんですよね。
そうなんです。
日本で一番高い山ということで、その被害は甚大だったとも言われているんです。
なので、今回は、そんな富士山の「三代噴火」について調べてみましょう!
800年〜802年 延暦の噴火
800年〜802年といったら平安時代の初期の時代です。
確か、西暦794年に桓武天皇により、長岡京から平安京(現在の京都市)へと都が移された事で平安時代が始まったんですよね。
平安時代が始まってすぐに富士山が噴火していたんですね!
京都から富士山は遠いとはいえ、桓武天皇は災難ですね〜。
確かに不憫ですね!
この富士山噴火の出来事は『日本紀略』や『富士山記』などの文献に記録されています。
雨のような大量の火山灰が降ったほか、スコリアという(火山ガラス)の降下や溶岩流が発生したようなんです。
特に甲斐側では溶岩流、駿河側では火山灰の被害が大きかったとされているんですよ。
この噴火は昼夜問わず大量の噴煙を噴出し、昼間でも夜のように暗くなったとも記録されていますよね。
ええ〜、それは怖いですね〜
大量の火山灰の降下により、当時の東海道であった足柄路が通行不能となり箱根路を作ったんですって!
箱根が関所として発展して行ったのは、富士山噴火の影響もありそうですね。
864年〜866年 貞観の噴火
次は貞観の大噴火についてお伝えしますね。
この貞観大噴火は記録が残ってる物の中で最大の噴火だったって言われているんです。
山の一部が割れて出てきた溶岩は、山から下まで流れて、周りの草木を全部焼き尽くしてしまったんです。
青木ケ原や剣丸尾という場所の岩は、この時に流れ出した溶岩が固まったものなんです。
青木ヶ原の樹海というのは有名ですよね。
心霊スポット特集とかでよくみますよ〜
ええ、富士山の噴火で亡くなった人の怨霊が現れるんですか〜?
いや、そういうわけではないんです。
噴火によって流れてきた溶岩が固まってできた岩石の事を「玄武岩(げんぶがん)」っていうんですけど、この玄武岩はなんと磁石のような力を持っているんです。
だから、「富士の樹海に行くと、方位磁針がうまく働かなくなる」といううわさがあるんです。
だから昔は、青木ヶ原の樹海に入ると出てこられなくなるなんて話があって、そこから幽霊が出る噂が広まったんですよ。
でも、実はこれ、ちょっと大げさな話なんだです。
確かに、玄武岩の近くに方位磁針を持って行くと、ちょっとだけ反応するかもしれないけど、全く使えなくなるほどではないらしいですよ。
でも、樹海の中は景色がすごく似ていて、迷いやすいことは迷いらしいですけど!
貞観の大噴火といえば、もう一つ、大きな事件もあったんです。
今、富士山の名所で富士五湖という湖があるんですが、この噴火が起こるまでは4つだったって言われているんです。
富士五湖といえば、本栖湖(もとすこ)精進湖(しょうじこ)西湖(さいこ)河口湖(かわぐちこ)山中湖(やまなかこ)ですよね。
そうです、そうです。
そのうちの西湖と精進湖はもともと剗の海という大きな湖で、当時の噴火の流れてきた溶岩によって一部が埋まって2つに分かれたんですって!
ええ〜?湖を埋めちゃう溶岩の量って!!
それはすごい量だったんですね〜
貞観の大噴火は当時の様子が書物にも残っているんです。
「日本三代実録」という書物の内容は以下のとおりです。
ええ〜?すごい怖い!
こうして記録が残っているとすごく想像しちゃいますよね〜
1707年 「宝永の噴火」
宝永大噴火(ほうえいだいふんか)は、江戸時代中期の1707年(宝永4年)に起きた富士山の噴火である
最後は宝永大噴火です。
これは、江戸時代中期の1707年(宝永4年)に起きた富士山の噴火です。
こちらは富士山噴火の一番最近な物ですよね。
貞観噴火が一番大きいと言われてますが、学者によってはこちらの宝永大噴火が一番大きいという学者もいるくらい大きな噴火だったとんですよね。
100キロ離れた江戸にまで火山灰が降ってきたそうですよ。
江戸は東京で、富士山は静岡、山梨だから、間の神奈川県とかもすっぽり被害にあったってことですよね〜!
確かに、そう考えるとすごい範囲が被害にあったんですね〜。
こちらの噴火による被害は新井白石という人が書いた本に詳しく書かれているんです。
5〜10センチも積もったんですか?
雪なら溶けてなくなるけど、火山灰は解けないから大変だったでしょうね!
また、この時、甲斐国甲府藩主だった柳沢吉保という人が、この火山灰を採取して保存しました。それは現在も奈良県大和郡山市にある「豊田家史料」という資料に保存されているんです。
つまり、1707年の富士山の大噴火は、その影響が江戸まで及び、人々の生活に大きな影響を及ぼしました。そして、その火山灰は現在まで保存され、その時の様子を伝えています。
エンディング
いかがでしたでしょうか?
今回は日本の3大噴火 – 延暦の噴火、貞観の噴火、宝永の噴火について解説してきました。
これらの噴火は大きな災害を引き起こしましたが、一方で、その影響は自然環境の形成や科学的な理解に貢献しました。
私たちはこの大地が、火山の力によって形成されてきたことを忘れてはなりません。そしてそれは、私たちの生活や歴史にも大きく影響を及ぼしてきました。火山の力を理解し、それに適応しながら生きていくことは、私たちがこの美しい島国、日本で暮らす上での重要な課題ですね
そして最後に、過去の大噴火から学び、将来の可能性を予測し、備えることで、私たち自身と次の世代が安全に生きていくことができる必要な知識を学んでいきたいですよね。
今後起こるであろう富士山噴火についてのおすすめの本⇩
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