富士山の噴火の歴史!「三大噴火」はいつ起こって何が変わった!? 

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日本史
富士山とは?

富士山は日本一高い山で、高さは3,776メートルもあり、形がとてもきれいな円錐形をしていて、日本を代表する美しい自然の一つです。
冬には山頂が雪で覆われる様子は、日本のアートや文化にもよく描かれています。
富士山は自然だけでなく、信仰の対象でもあります。古来、人々は富士山を神聖なものとして見てきました。
2013年にはその美しさと文化的な重要性が認められ、富士山はユネスコの世界文化遺産に登録されました。

富士山は自然の力と美しさを感じることができる、すごく特別な山なんです!

ルファ
ルファ

こんにちは、素人歴史研究家ルファです。

エヌ
エヌ

助手のエヌです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

ね〜ぼです。

ルファ
ルファ

お二人とも、日本で一番高い山くて美しくて、雄大で、神聖な山はどこだと思います?

ね〜ぼ
ね〜ぼ

そんなの富士山に見舞ってるじゃないですか?

エヌ
エヌ

一番高い山は富士山ですが、美しさや雄大さや、神聖さは、人によって違うと思います!
地域地域によって山岳信仰はありますし、それは個人の主観だと思います。

ルファ
ルファ

いや、真面目!!
確かにその通りですが、そこは流してくださいよ〜
💦

ルファ
ルファ

でも、富士山が日本で一番有名な山であることは間違いないと思います。

ルファ
ルファ

富士山は日本一高い山で、その姿は美しいだけじゃなくて、昔からたくさんの人々が注目してきたんですよ。
そして、富士山はただの山じゃなくて、時に人々を苦しめる大災害を起こす火山なんです。

歴史を見ると、富士山は何度も噴火してきたんですよ。
その記録はたくさん残っていて、その中からも十数回噴火したことがわかるんです。
最初の噴火が記録されたのは、ずいぶん昔の781年。
それからしばらくの間、特に平安時代にはよく噴火していたんだけど、1083年以降はあまり噴火しなくなって、それから今までの間に4回しか噴火していないんです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

ええ?昔はそんなに噴火していたんですか〜?

エヌ
エヌ

確か、
800〜802年に起こった「延暦の噴火」
864〜866年に起こった「貞観(じょうがんだいふんか)の噴火
1707年に起こった「宝永の噴火」

という3つの噴火は特に大きくて、たくさんの人々がその影響を受けたから、「三大噴火」と呼ばれているんですよね。

ルファ
ルファ

そうなんです。
日本で一番高い山ということで、その被害は甚大だったとも言われているんです。
なので、今回は、そんな富士山の「三代噴火」について調べてみましょう!

800年〜802年 延暦の噴火

ルファ
ルファ

800年〜802年といったら平安時代の初期の時代です。

エヌ
エヌ

確か、西暦794年に桓武天皇により、長岡京から平安京(現在の京都市)へと都が移された事で平安時代が始まったんですよね。
平安時代が始まってすぐに富士山が噴火していたんですね!

ね〜ぼ
ね〜ぼ

京都から富士山は遠いとはいえ、桓武天皇は災難ですね〜。

ルファ
ルファ

確かに不憫ですね!
この富士山噴火の出来事は『日本紀略』『富士山記』などの文献に記録されています。
雨のような大量の火山灰が降ったほか、スコリアという(火山ガラス)の降下や溶岩流が発生したようなんです。
特に甲斐側では溶岩流、駿河側では火山灰の被害が大きかったとされているんですよ。

日本紀略

日本紀略(にほんきりゃく)は、平安時代後期に編纂された歴史書です。六国史の抜粋と、六国史以後後一条天皇までの歴史を記しています。範囲は神代から長元9年(1036年)まで。編者不詳。漢文、編年体、全34巻。

日本紀略は、平安時代後期の歴史を研究する上で、貴重な史料となっています。また、日本紀略は、平安時代後期の政治・経済・文化・社会などの様子を詳しく伝えており、当時の日本社会を理解する上で重要な資料となっています。

富士山記

富士山記(ふじさんき)は、平安時代の官人・都良香(みやこのよしか)が著した富士山の記述です。『本朝文粋』巻十二に収録されています。富士山記は、富士山の歴史、地理、神話、風俗などを記した貴重な史料です。

富士山記によると、富士山は、昔は「不二山」と呼ばれていました。不二山は、女神・浅間大神が住む山でした。浅間大神は、火山の女神であり、富士山の噴火を司る神でした。富士山は、また、修験道の聖地でもありました。修験道は、山を神聖視する宗教です。修験道の修行者は、富士山に登り、修行を積みました。

富士山記は、富士山の理解を深めるために重要な資料となっています。

エヌ
エヌ

この噴火は昼夜問わず大量の噴煙を噴出し、昼間でも夜のように暗くなったとも記録されていますよね。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

ええ〜、それは怖いですね〜

ルファ
ルファ

大量の火山灰の降下により、当時の東海道であった足柄路が通行不能となり箱根路を作ったんですって!
箱根が関所として発展して行ったのは、富士山噴火の影響もありそうですね。

864年〜866年 貞観の噴火

ルファ
ルファ

次は貞観の大噴火についてお伝えしますね。
この貞観大噴火は記録が残ってる物の中で最大の噴火だったって言われているんです。
山の一部が割れて出てきた溶岩は、山から下まで流れて、周りの草木を全部焼き尽くしてしまったんです。
青木ケ原や剣丸尾という場所の岩は、この時に流れ出した溶岩が固まったものなんです。

エヌ
エヌ

青木ヶ原の樹海というのは有名ですよね。
心霊スポット特集とかでよくみますよ〜

青木ヶ原樹海

青木ヶ原樹海(あおきがはらじゅかい)は、山梨県富士河口湖町と鳴沢村にまたがる広大な森林です。約3,000ヘクタールの面積を有し、日本最大の樹海として知られています。
青木ヶ原樹海は、富士山の北西麓に位置し、標高は約1,000メートルから1,400メートルです。地形は平坦で、樹木はほとんどがスギとヒノキです。
青木ヶ原樹海は、1,200年ほど前に富士山の噴火によって形成されました。当時、噴出した溶岩が冷えて固まり、その上に樹木が生え始めたのです。青木ヶ原樹海は、その独特の景観から、多くの観光客や写真家が訪れています。
青木ヶ原樹海は、自然豊かな場所ですが、危険な場所でもあります。迷い込んだり、遭難したりする恐れがあります。そのため、青木ヶ原樹海は、死の森とも呼ばれています。
また、自殺者が出ている場所なので、不謹慎な行為は避けましょう。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

ええ、富士山の噴火で亡くなった人の怨霊が現れるんですか〜?

ルファ
ルファ

いや、そういうわけではないんです。
噴火によって流れてきた溶岩が固まってできた岩石の事を「玄武岩(げんぶがん)」っていうんですけど、この玄武岩はなんと磁石のような力を持っているんです。
だから、「富士の樹海に行くと、方位磁針がうまく働かなくなる」といううわさがあるんです。
だから昔は、青木ヶ原の樹海に入ると出てこられなくなるなんて話があって、そこから幽霊が出る噂が広まったんですよ。

エヌ
エヌ

でも、実はこれ、ちょっと大げさな話なんだです。
確かに、玄武岩の近くに方位磁針を持って行くと、ちょっとだけ反応するかもしれないけど、全く使えなくなるほどではないらしいですよ。
でも、樹海の中は景色がすごく似ていて、迷いやすいことは迷いらしいですけど!

ルファ
ルファ

貞観の大噴火といえば、もう一つ、大きな事件もあったんです。
今、富士山の名所で富士五湖という湖があるんですが、この噴火が起こるまでは4つだったって言われているんです。

エヌ
エヌ

富士五湖といえば、本栖湖(もとすこ)精進湖(しょうじこ)西湖(さいこ)河口湖(かわぐちこ)山中湖(やまなかこ)ですよね。

ルファ
ルファ

そうです、そうです。
そのうちの西湖と精進湖はもともと剗の海という大きな湖で、当時の噴火の流れてきた溶岩によって一部が埋まって2つに分かれたんですって!

ね〜ぼ
ね〜ぼ

ええ〜?湖を埋めちゃう溶岩の量って!
それはすごい量だったんですね〜

ルファ
ルファ

貞観の大噴火は当時の様子が書物にも残っているんです。
「日本三代実録」という書物の内容は以下のとおりです。

日本三代実録の一部を簡単要約

大昔、富士山が大きく噴火しました。
噴火は山頂を壊し、周囲の植物を焼き尽くしました。
さらに、噴火から出た溶岩や岩が流れて、本栖湖と剗の海という二つの湖を埋めてしまったんです。
湖の水は熱湯になって、魚や亀なんかは全て死んでしまいました。
そして、人々の家も溶岩によって埋まってしまい、生き残った家にはもう人の姿はありませんでした。
この大噴火の前には、大地震が起こり、雷が鳴り、豪雨が降りました。そして、雲や霧が立ち込めて、暗闇に包まれました。そのため、山と野原の区別もつかなくなるほどだったんです。そして、その後にこれらの大変な災害が起きたのです。
この富士山の大噴火は、地震や雷雨に続いて起こり、その結果、周囲の自然環境や人々の生活に大きな影響を及ぼしたのです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

ええ〜?すごい怖い!

エヌ
エヌ

こうして記録が残っているとすごく想像しちゃいますよね〜

1707年 「宝永の噴火」

宝永大噴火(ほうえいだいふんか)は、江戸時代中期の1707年宝永4年)に起きた富士山噴火である

ルファ
ルファ

最後は宝永大噴火です。
これは、江戸時代中期の1707年(宝永4年)に起きた富士山の噴火です。

エヌ
エヌ

こちらは富士山噴火の一番最近な物ですよね。
貞観噴火が一番大きいと言われてますが、学者によってはこちらの宝永大噴火が一番大きいという学者もいるくらい大きな噴火だったとんですよね。
100キロ離れた江戸にまで火山灰が降ってきたそうですよ。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

江戸は東京で、富士山は静岡、山梨だから、間の神奈川県とかもすっぽり被害にあったってことですよね〜!

ルファ
ルファ

確かに、そう考えるとすごい範囲が被害にあったんですね〜。
こちらの噴火による被害は新井白石という人が書いた本に詳しく書かれているんです。

新井白石の書をわかりやすく解説

その日、昼前から雷が鳴り始め、南西の方向から黒い雲が出てきて、空から雪のような白い灰が降り始めたんです。それによって、昼間でも江戸の町は真っ暗になり、ろうそくの明かりをつけないと何も見えなくなりました。

そして、最初に降ってきた灰は白かったけど、夕方になると灰の色が黒く変わったんです。これは噴火が進むうちに火山灰の成分が変わっていた証拠なんですよ。この時、江戸に降り積もった火山灰の厚さは5-10cmくらいだったとされています。

この火山灰は風で飛ばされて、細かい粉になって空気中に広がりました。それが呼吸に影響を与えて、たくさんの人々が咳をするようになったんです。それは当時の歌にも詠まれています。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

5〜10センチも積もったんですか?
雪なら溶けてなくなるけど、火山灰は解けないから大変だったでしょうね!

ルファ
ルファ

また、この時、甲斐国甲府藩主だった柳沢吉保という人が、この火山灰を採取して保存しました。それは現在も奈良県大和郡山市にある「豊田家史料」という資料に保存されているんです。

つまり、1707年の富士山の大噴火は、その影響が江戸まで及び、人々の生活に大きな影響を及ぼしました。そして、その火山灰は現在まで保存され、その時の様子を伝えています。


エンディング

ルファ
ルファ

いかがでしたでしょうか?

今回は日本の3大噴火 – 延暦の噴火貞観の噴火宝永の噴火について解説してきました。
これらの噴火は大きな災害を引き起こしましたが、一方で、その影響は自然環境の形成や科学的な理解に貢献しました。

エヌ
エヌ

私たちはこの大地が、火山の力によって形成されてきたことを忘れてはなりません。そしてそれは、私たちの生活や歴史にも大きく影響を及ぼしてきました。火山の力を理解し、それに適応しながら生きていくことは、私たちがこの美しい島国、日本で暮らす上での重要な課題ですね

ね〜ぼ
ね〜ぼ

そして最後に、過去の大噴火から学び、将来の可能性を予測し、備えることで、私たち自身と次の世代が安全に生きていくことができる必要な知識を学んでいきたいですよね。



今後起こるであろう富士山噴火についてのおすすめの本⇩


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