藤原障子(ふじわらのあきこ)

藤原障子(988年-1074年)は、平安時代中期の貴族女性。藤原北家、摂政藤原道長の長女。一条天皇の中宮、後一条天皇、後朱雀天皇の生母。女院。院号は上東門院。大女院とも称された。

障子は「あきこ」とも「しょうこ」とも呼ばれる。

988年(永延2年)、藤原道長の長女として生まれる。999年(長徳元年)、一条天皇に入内し、中宮となる。一条天皇の崩御後、1011年(寛弘8年)、後一条天皇を即位させ、中宮となる。1036年(長元9年)、後朱雀天皇を即位させ、上東門院となる。

藤原道長の全盛期を支えた女房であり、その政治的影響力は大きかった。また、和歌にも優れており、和歌集『障子集』を著した。

1074年(承保元年)、86歳で死去した。

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