日本に邪馬台国があったとされる時代は中国の書物「魏志倭人伝」に記載されています。
魏志倭人伝によると3世紀だったと言います。
『魏志』倭人伝は、中国の歴史書『三国志』の一部で、古代の日本(倭国)についての記述が含まれている部分を指します。
『三国志』は中国三国時代の歴史を記述したもので、その中の『魏志』は魏という国家に関する記述をまとめたものです。
その中の「倭人伝」は、倭人(古代日本人)についての記録が含まれた書物です。
同書には、倭国の地理や風俗、社会体制などについても触れられています。
ただし、その記述は中国側の視点から書かれており、また古代の情報源であるため、その詳細や正確さについては議論の余地があります。
しかし、もしかしたらわざと邪馬台国の位置を曖昧に記したという説があるのです。
あくまで一説なので温かい目でお読みください
こんにちは、素人歴史研究家ルファです。
助手のエヌです。
ね〜ぼです。
古代日本史最大の謎、邪馬台国!
この謎について考えるのは本当に興奮しますよね〜。
最近色々発掘も進んでますしね〜。
はい、同時の生活や政治体制、色々気になる事はありますが、やはりどこにあったのか?という事が最大の謎ですよね〜。
九州説と、畿内説があるんですよね〜
そうですね!
九州説と畿内説は有力です。
でも、他にも沖縄説、四国説、出雲説、北陸説、東北説、北海道説、フィリピン沖合説・・・・
えええ!ルファさん、後半は適当に言ってません?
私の事侮ってるんですか〜?
ね〜ぼ、実は本当にそんな説があるんですよ!
確かに、ここまで多いとなんでもありな気がしてしまいますが・・・
そうですよ!ね〜ぼ、心外です!
エヌさんのいうとおり、そういった説は本当に数えきれないほどあるんです。
疑ってごめんなさい・・・
なんでそんなことになってるんですか?
それは中国の書物、魏志倭人伝のせいなんです。
「せい」ってそんな言い方しないであげてください。
昔のことなので、それは正確には書けないですよ〜
それが、違うんです!
実はわざと魏志倭人伝では邪馬台国の場所をわかりずらく書いた可能性があるんです。
ええ〜!?
ええ〜!?
わざと、わかりにくく書いたっていうんですか?
それはなんのために?
これはもしや「名探偵エヌさん」のシリーズですかね?
はい、今回は私、名探偵エヌが中国の書物「魏志倭人伝」に書かれた邪馬台国までのルートを分かりにくくした理由を暴こうと思います。
みなさん、この話はあくまで一説ですよ!
史実であるかは分からないので、そうかもしれないという感じでお楽しみください!
ルファさん私は本気です!
当時の中国の時勢
まずは当時の中国の時勢を見ていきましょう!
当時の中国は三国志の時代ですよね!
三国志!?
なんか聞いた事があります!
よく漫画とか映画とかになる時代ですよね!
ね〜ぼは三国志を知らないんですか?
すごい時代ですよ!
『三国志』は、中国の古典文学の一つであり、三国時代(魏・呉・蜀の三つの国が並立した時代、220年〜280年)の歴史を描いたものです。
この時代は、中国の歴史における重要な転換期であり、政治的な混乱と英雄的な人物たちが登場する時代でした。
日本でいう戦国時代みたいな熱い時代ですか?
そうですね!3つの強国が覇権を取り合っていた時代なので、戦国時代ほど国の数は多くないですが、各国の英雄譚がかっこいいんです。
一度ここで年代を確認しておきましょう!
三国志の時代は220年〜280年!
卑弥呼の生きた時代は170年〜248年だと言われています。
(生まれた年は色んな説がありますが・・)
なるほど〜、卑弥呼が成人になり活躍していた時代はまさに三国志の時代と合致するんですね。
そうですね!魏志倭人伝は、その名の通り魏の国家に関する記述をまとめたもので、その中の「倭人伝」という、倭人(古代日本人)についての記録が含まれているんです。
では、当時の魏の作家さんが書いた書物なんですね?
ね〜ぼ、そこなんです。
実は魏志倭人伝が書かれたのはもう少し後の時代の「晋」の時代の陳寿(ちんじゅ)さんなんです。
晋の時代というと、三国志の魏の曹操の右腕だった司馬懿さんが興した国ですよね。確か、司馬懿さんが魏を乗っ取って、自分の一族で国を作ったんですよね?
そうなんです。
でも魏の全盛期は司馬懿さんは東方担当ということで、倭国、つまり日本という国を意識していた人物でもあるんです。
う〜ん、ちょっと話がややこしくなってきましたね〜
そうですね。
ではここで一度話をまとめてみましょう。
- 日本の邪馬台国と中国の三国志時代は同時期だった
- 魏志倭人伝は魏の国の歴史を書いた書物の中で日本との交流を描いたものだった。
- 日本との交流を担当していたのは、魏のトップだった曹操の右腕の司馬懿だった
- 司馬懿はその後、魏を乗っ取る形で晋という国を立ち上げた
- 晋時代の陳寿(ちんじゅ)が魏志倭人伝を書いた。
まとめるとこういう事ですね
う〜ん、でもまだ魏志倭人伝に書かれていた日本への行き方を分かりずらくした理由はよく分からないです。
そうですね。
それではその辺の真相部分に迫っていきましょう!
邪馬台国の場所を遥か遠くに思わせたかった陳寿の思惑
魏志倭人伝によれば、卑弥呼は、魏の国から金印をもらったという事が書かれているんです。
ああ、金印ですね!
その金印が見つかれば、見つかった場所が邪馬台国の場所であると言われるぐらい重要なものですよね。
金印もらえるなんて、卑弥呼さんは余程気に入られていたんですね〜
気に入られていたなんてものじゃないんですよ!
実はこの金印をもらえるというのはものすごい事なんです。
当時魏は中華を掌握しようとしていた時代で3国の中でも一番力を持っていました。
そこで、魏の力を示すために中国以外の色んな国と交流を深めていたのですが、この金印を与えられた国は日本と今のインドあたりのクシャーナ朝だけだったんですって!
ええ〜?金印を貰えたのは2カ国だけだったんですか?
確か、朝鮮半島の国は銅印が与えられていたと聞いた事があります。
金、銀、銅でいうと金印を与えられたという事は、余程日本との交流を大切にしようとしていたんですね。
そうなんです。
というのも、魏国にとって西側と東側に強力な仲間の国があるという事を、蜀や呉に示すことができればそれだけで牽制力が増しますからね!
「うちにちょっかいを出せば、東の倭国と西のクシャーナ朝が黙ってないぞ」ってな感じで!
なるほど〜、魏の大将の曹操さんと、卑弥呼さんが仲良しだったわけじゃないんですね〜
いや、ね〜ぼ。
外交というのは、仲がいいとか悪いとかではないんですよ!
お互いにとってメリットがあるかないかなんです。
日本にとっても、大国魏に認められるという事は名誉な事でしたし、お互いにウィンウィンの関係だったんですよ〜!
友情とかではないんですね〜!
なんだか寂しいですね〜
そして、中国では蜀が滅び、呉が滅び、魏が徐々に力を失っていきます。
そこで、司馬懿さんにのっとられちゃうんですね!
そう、そして晋という新しい国が生まれ、その時陳寿は同時の書物や伝聞をまとめて魏志倭人伝を書くんです。
でも、なぜ分かりずらくしたんですか?
そこに意味はあるのでしょうか?
晋という国は司馬懿がきっかけでできた国!
つまり、その後に書かれた書物は時の権力者の意向を大きく見せる必要があるんです!
そのため、邪馬台国という国が遠くの国であった方が都合がいいんです!
なるほど!司馬懿はすごい遠い国と交流があり金印を渡し、従わせていたと見せかけたかったんですね!
確かに、本を読んだ人は晋を作った司馬懿さんってすごい力を持っていたんだって思いますもんね
そうなんです。
司馬懿は、魏を乗っ取った人物ですから、それらを払拭するには司馬懿の功績を大きく見せる必要が当時あったと考えられるんです!
なるほど!動機は十分ってわけですね!
ただ陳寿も歴史家としてのプライドもあったのでしょう!
完全な嘘と言いうより、真実を混ぜつつ分かりずらくしたというわけです。
これが、魏志倭人伝の日本への行き方が分かりずらく解読ができない真相なんです!
今回の、エヌさんの推理はいかがでしたでしょうか?
これはエヌさんの妄想ではなく、そういった説が本当にあるんです。
もちろん真実かどうかは分かりません。
しかし、時の権力者の意向で書物というのは真実を隠すことはよくある話です。
特に古代の事はよく分からない事が多いので想像すると楽しいですよね
最後までお読み頂きありがとうございました。
三国志の漫画といったら横山先生の三国志!
三国志はキャラが多いので、顔の見分けがつかな〜い!なんて事もありますが、やっぱり一番好きな作品です。
⇩よかったら読んでみてください!⇩
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