吉野ケ里遺跡の新発見!!邪馬台国論争に一歩先進!?

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日本史

2023年に吉野ヶ里遺跡から新たな石棺が見つかりました。
当時、偉い人の墓によくみられる「赤い顔料」が石棺墓から発見され、もしかしたらここが邪馬台国だったのでは?と話題になりました!
結局副葬品が見つからず、決定打にはならなかったのですが、古代の謎を解くための材料が一つ増えたというのは考古学の世界では大きな一歩ですよね。

ルファ
ルファ

こんにちは素人歴史研究家ルファです。

エヌ
エヌ

助手のエヌです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

ね〜ぼです。

ルファ
ルファ

お二人とも聞いてください。

この間、こんな記事がネットに上がってたんですよ。

ルファ
ルファ

こちらなんですが、

毎日新聞デジタル2023年6月5日に掲載されていた記事
吉野ケ里遺跡の石棺、中から赤い顔料 「クニ」のリーダーの墓か

ルファ
ルファ

こちらの記事をちょっと要約しますね。

佐賀県文化課は、弥生時代の吉野ケ里遺跡で新たに発見された石棺墓(せっかんぼ)の蓋を開け、内部に赤色顔料の痕跡が残っていることを確認したそうなんです。
この墓は弥生後期、邪馬台国時代に存在した可能性がある首長の墓とみられているんですって。
吉野ケ里遺跡の調査はここ最近は調査が止まってたのですが、10年ぶりに再開したところ、今年4月にこの石棺墓(せっかんぼ)が発見されたのですが、規模や位置、単独埋葬などから判断して、2世紀後半~3世紀中ごろの有力者の墓と推測されたそうなんです。
なお、弥生後期の有力者の墓が少ない吉野ケ里遺跡で、新たに石棺墓が発見されたことは重要な発見なんです。
今後は副葬品の有無などが調査される予定で今注目を集めているんです。

毎日新聞デジタル参照
ルファ
ルファ

ということなのですが、これはとんでもないことになってきましたね!

エヌ
エヌ

ええ!それは凄いです!

今後、もし新たな発見があれば、日本古代史最大の謎、「邪馬台国がどこにあったのか」という問題に終止符が着くかもしれませんね。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

ええ〜と全然何が凄いのかわからないです〜

つまり、遺跡からお墓が見つかったという事ですよね

なんだか当たり前な気がするのですが・・・

ルファ
ルファ

は〜、ね〜ぼは全然わかってないですね〜

エヌ
エヌ

全くですね〜

ね〜ぼ
ね〜ぼ

ええ〜、そんな事をいうと私はもう寝ちゃいますよ〜。

ルファ
ルファ

ごめんなさい、ごめんなさい。

ね〜ぼにもわかるように説明しますね。

ルファ
ルファ

というわけで、今回は、新たに発見された吉野ケ里遺跡のお墓について一体何が凄いのか解説していきますね。
邪馬台国の場所がなぜわからないかを先に説明しますね。

邪馬台国の場所がなぜわからないか

エヌ
エヌ

まず、邪馬台国の場所ってまだどこにあったのかわかっていないんです。

いろんな学者たちが今も、どこにあったのか論争している大問題なんですよ〜!

ね〜ぼ
ね〜ぼ

そこなんですよね〜。

弥生時代、卑弥呼さんが治めていた邪馬台国があるというのは聞いたことがあるんですけど、なんで、あるのはわかっているのに、場所がわからないんですか?

例えば、お饅頭が美味しいということはわかってるのに誰もお饅頭を食べたことがないと言ってるのと同じじゃないですか?

なんで場所がわからないのに、存在するって言われてるんですか?

エヌ
エヌ

その例えがちょっとわかりづらいですが、なんとなく言わんとしていることはわかります。

ルファ
ルファ

確かにそうですよね。

邪馬台国があったという事はわかってるのに場所がわからないというのは不自然ですよね。

というのも、実は、邪馬台国があったと言ってるのは日本の歴史書ではなくて、中国の歴史書に書いてある事だからなんです。

しかも、日本について詳しく書かれた書物ではなく、中国の歴史を語った書物の一部に、中国の東にそういう国があって交流があったという程度の事しか説明されてないんですよ〜。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

う〜ん、わかったような、わからないような〜

ルファ
ルファ

つまり、ね〜ぼが夏休みの日記を毎日つけていたとして、夏休みに旅行にいったらその日も日記をつけるでしょ?

その一日の日記にちょっと日本の事が書かれていた程度のものだったという事なんですよ。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

なるほど、じゃあ、日本について書かれた書物ではなく、中国の物語にちょっと出てきた脇役としてしか書かれていないという事なんですね?

エヌ
エヌ

そうそう、そういう事です。

しかも、その書物の魏志倭人伝には邪馬台国への行き方が書かれてるんですけど、九州の上の方まではなんとなく読み取れるらしいのですが、そこから海路で何日進んで、そして陸路で何日進んだら邪馬台国があるみたいな書き方になっていて、それをそのまま解釈すると、海のど真ん中になってしまうらしいんです。

なので、その辺の解釈を変えて考えると、九州説や近畿説、他にも沖縄説や吉備説、北陸説など色々な説があるというわけなんです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

そっか〜、でもそしたら、結局その魏志倭人伝という中国の書物では邪馬台国の場所はわからないじゃないですか?

ルファ
ルファ

そう、書物からではわからないので、そこで出てくるのが遺跡などを発掘して古代の事を研究している考古学なんです。

じゃあ次は、今回の記事にあった吉野ケ里遺跡について説明していきますね。

吉野ケ里遺跡ってどんな遺跡?

ルファ
ルファ

吉野ケ里遺跡は佐賀県にある日本最大級の弥生時代の遺跡で、3つの町村にまたがっています。

この遺跡は、「クニ」の中心集落や弥生時代の移り変わりを体現していて、日本の古代史を解明する上で重要な情報源となっているんです。

また、この遺跡は魏志倭人伝に記載された「邪馬台国」の時代を思わせるもので、国の特別史跡にも指定されているんですよ。

もちろん、この遺跡以外にも邪馬台国だと疑われる遺跡は多くありますが、ここはその中でも結構有力な遺跡なんですよ。

弥生時代(紀元前5世紀から紀元後3世紀)は、日本における稲作文化の開始と定住文化の形成期で、日本文化の基盤を築いた時代とされ、吉野ケ里遺跡からは、銅剣やガラス製の玉などの出土品が見つかり、それらは国の重要文化財にも指定されているんです。

これらの学術的価値は非常に高いですよ。

遺跡は佐賀平野東部の段丘地帯に位置し、その地形により古代の遺跡が多く存在していることが知られている遺跡なんです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

へ〜、そんな凄い遺跡だったんですね

ルファ
ルファ

そうなんです。

昭和10年以前の研究では主に福岡地方の方が発掘が進んでいたのですが、佐賀で見つかった吉野ヶ里遺跡の規模が大きい事がわかってからは調査が進み、大きな壺みたいな形をした甕棺(かめかん)や、土で作ったお皿や壺などの弥生土器がたくさん見つかったんですって。

他にも、昔の人が使っていた骨や貝製のブレスレット、鏡、ツルハシの形をしたものなどが見つかっていて、現段階でもまだまだ見つかってない物もたくさんあるんじゃないかって話なんです。

エヌ
エヌ

ルファさん、ここには私も疑問があります。

福岡が大陸との交易が盛んだったというのは、大陸との距離が近かったことも考えると納得できるのですが、佐賀に大きな遺跡が見つかったというのは、なんでなんでしょうかね。

ルファ
ルファ

う〜ん、一応言われているのは吉野ヶ里遺跡がある佐賀平野は、肥沃な土地と海が近く、山があって防御になるような地形だから、昔の人たちが住みやすかったと言われているんです。

なので、福岡だけでなく、佐賀県の吉野ヶ里遺跡にもたくさんの昔のものが出てきてるのですが、それだけかと言われると、他にも何か理由はありそうですけどね。

それでは今回の吉野ヶ里遺跡でお墓が見つかったという事について説明していきますね。

吉野ヶ里遺跡でお墓が見つかった

エヌ
エヌ

今まで吉野ヶ里遺跡ではいろんな遺跡は見つかっていたのですが、大きなお墓は見つかっていなかったんです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

お墓ってそんなに大事なんですか?

ルファ
ルファ

古代に置いてお墓というのはめちゃめちゃ重要ですよ。

古代のお墓の大きな意味として社会的ステータスの誇示というものがあるんです。

お墓の大きさ、装飾、位置、埋葬された物品などは、亡くなった人の社会的地位や富を反映するんです。

例えば、エジプトのファラオのピラミッドとか始皇帝の巨大な陵墓とか!

特に当時中国の影響を受けていた事を考えると、日本でも弥生時代の遺跡で大きなお墓が見つかれば、それは卑弥呼のお墓である可能性が高まるという事なんです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

ええ〜じゃあ、吉野ヶ里遺跡でお墓が見つかったという事は邪馬台国は佐賀の吉野ヶ里遺跡だったってことなんですね〜。

それは世紀の大発見じゃないですか〜!

エヌ
エヌ

ね〜ぼ、残念ながら、お墓があったというだけでは邪馬台国があった証明にはならないんです

そのお墓が、卑弥呼の墓の証明にはなっていないですからね。

ルファ
ルファ

そうなんです。

ややこしいのが、「卑弥呼」や「邪馬台国」という言葉は、中国の表記であって当時の日本でそう呼ばれていたわけではないんですよ。

なので、今後お墓から見つかったものの中から、中国の王様が卑弥呼に渡したものが見つかって、それが、しっかり証明されたら初めて、そこが邪馬台国だったって言えるわけですね。

エヌ
エヌ

でも、お墓が見つかったという事は、お墓の埋葬物の中からそういったものが見つかる可能性があるわけで、今回のニュースは凄い事なんですよ。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

なるほど〜、さらに発掘が進み当時の中国の王様が卑弥呼に送ったものが見つかったら邪馬台国の場所がわかるんですね。

私も、佐賀に行って探してきま〜す。

ルファ
ルファ

やめて〜、多分邪魔になるから〜!!

エヌ
エヌ

いや絶対邪魔になりますよ!


ルファ
ルファ

いかがでしたでしょうか?

今回のニュースはもしかしたら、邪馬台国の場所が判明するかもしれない有力な発見でした。

とはいえ、他の候補地でも、いろんな物が発見されたりと、まだまだ判明には時間がかかると思いますが、いつか本当の事がわかる時がくるかもしれませんね。

エヌ
エヌ

そうですね

邪馬台国は考古学ではなく古事記の内容から考える学者もいるみたいで、天孫であるニニギは九州に降り立って、その子孫である神武天皇は、東征と言って近畿に移ったという描写があるので、もし、邪馬台国が、皇室に関係していたら古事記のどの辺りの話なのかとか、はたまた、皇室とは関係のない国で、争って敗れた国なのかとか、色々考えると面白いんですよね〜。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

最初は全然わからなかったですが、少しわかると想像が膨らむのでいろんな想像ができるので面白いですね〜。

ルファ
ルファ

というわけで今回は、吉野ケ里遺跡でお墓が見つかったというニュースから、邪馬台国の謎について解説しました。

最後までご視聴いただきありがとうございました。


邪馬台国の卑弥呼の漫画です^^
こちらも面白いのでオススメです!

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