助手のエヌです。
マスコットのね〜ぼです。
現在、草薙の剣は愛知県名古屋市の熱田神宮のご神体として祀られています。
今日は、日本の三種の神器の一つである草薙剣についての最後の中世~現代編のお話しします。草薙剣は神話の時代から現代まで、日本の歴史と共に歩んできた特別な剣です。
神代編、古代〜中世編、は以前記事にしておりますので、是非そちらもみてみてください。
その長い歴史と興味深いエピソードを一緒に辿っていきましょう。
草薙剣の旅路もいよいよ最終章。
今日はその中でも特に重要な出来事をピックアップしてお話ししますので、ぜひ最後までお付き合いください。
草薙剣の物語は、まるで冒険映画のような感じですね!
私もワクワクしながらお話しに参加します!
1.2天智天皇、天武天皇の時代の草薙剣
草薙剣盗難事件、天武天皇の草薙剣の祟り
日本書紀の記述
『日本書紀』は、養老4年(720年)に成立した日本の歴史書です。
この書によれば、天智天皇7年(668年)に僧侶の道行が草薙剣を盗んで新羅に逃げようとしました。
しかし、途中で風雨に遭い道に迷って日本に戻ってきたと記されています。
この記述では道行の素性やその後の経緯については触れられていません。
また、事件から18年後の朱鳥元年(686年)に天武天皇が病に倒れた際、その原因が草薙剣の祟りであると占いで判明しました。
そこで、草薙剣は尾張国の熱田社(現在の愛知県名古屋市にある熱田神宮)に奉納されました。
熱田太神宮縁記の記述
鎌倉時代初期に成立した『尾張国熱田太神宮縁記』では、道行を新羅僧として描き、さらに詳細な説話を提供しています。
この縁記によると、道行は熱田社から草薙剣を盗み出し本国に持ち帰ろうとしましたが、伊勢国で剣が自ら抜け出して熱田社に戻りました。
道行は再度剣を盗み出して摂津国から出港しましたが、海難に遭い難波に漂着しました。
その後、道行は草薙剣を捨てようとしましたが、剣が体から離れず、ついに道行は自首して死罪に処せられました。
朱鳥元年(686年)には、天武天皇の病が草薙剣の祟りと見なされ、剣は熱田社に移されました。
本書紀と本書紀の記述の違いをみていきましょう。
まずは『日本書紀』の記述から見てみましょう。
ここには、668年に僧侶の道行が草薙剣を盗んで新羅に逃げようとした話が載っています。
しかし、途中で風雨に遭い、道に迷って日本に戻ってきたと記されています。
そうですね。
この記述では、道行の素性やその後の経緯については詳しく触れられていないのが特徴です。
道に迷って戻ってくるなんて。
GPSがあればよかったのに!
確かに、当時の人々もGPSがあれば便利だったでしょうね(笑)。
次に、『尾張国熱田太神宮縁記』を見てみましょう。
この書物は鎌倉時代初期に成立しました。
ここでは道行を新羅僧として描き、さらに詳細な説話が提供されています。
そうです。
この縁記によると、道行は熱田社から草薙剣を盗み出し、本国に持ち帰ろうとしましたが、伊勢国で剣が自ら抜け出して熱田社に戻ったとされています。
道行は再度剣を盗み出し摂津国から出港しましたが、海難に遭い難波に漂着しました。
その後、道行は草薙剣を捨てようとしましたが、剣が体から離れず、最終的には自首して死罪に処せられたと記されています。
剣が自分で戻るって、まるで映画のシーンみたいですね!
まさに、“戻るべきところに戻る”ってやつですね!
そうですね(笑)。
この二つの書物から、草薙剣の盗難事件がどれだけ重要な出来事だったかが読み取れます。
そして、時代や地域によって記述が異なるのも興味深いです。
平安時代末期の草薙剣
時は流れて平安時代末期!
時代が進むにつれ、草薙剣の名は再び歴史書に登場することとなります。
平安時代末期の1183年(寿永2年)、平家が壇ノ浦の戦いで源氏に破れ、滅亡したときのことです。
この戦いで、草薙剣の運命は大きく変わることとなりました。
壇ノ浦の戦いと草薙剣の消失
「吾妻鏡」や「平家物語」によれば、平家の敗北が決定的となった壇ノ浦の戦いで、平清盛の妻、二位尼(にいのあま)が、まだ8歳の安徳天皇を抱き、草薙剣と八尺瓊勾玉を身に付けて海に入水しました。
後に八尺瓊勾玉は見つかりましたが、草薙剣は失われてしまいました。
この事件は、宮中で祀られていた形代(かたしろ)の草薙剣が失われたことを意味し、当時の朝廷にとって大問題となりました。
形代ってなんですか?
形代というのは本物の御霊を移したコピー品といった所でしょうか。
コピー品とはいえ、本物と同等に扱われていたものなんですよ。
1185年(元暦2年)3月14日、源頼朝は九州にいる部下に使者を送り、平家追討にあたり、三種の神器と安徳天皇を無事に京都へ返すよう命じていたそうなんです。
頼朝にとっては、平家を滅ぼすことの他に、三種の神器を取り戻すことも重要な使命だったのです。
それほど、草薙剣が重要だったって事ですね。
そうなんです。
壇ノ浦の戦いで平家が敗れた後、源氏は何としても三種の神器と安徳天皇を助け出したいと考えてたので、平清盛の妻時子が草薙剣を持って入水し、安徳天皇も海に沈んでしまったという報せが届いたとき、源頼朝は大きな衝撃を受けたと思いますよ。
その後、草薙剣はどうなっちゃんですか?
草薙剣の喪失は大きな問題でしたが、のちに順徳天皇が伊勢神宮から贈られた剣を新たに草薙剣の形代とし、現在まで受け継がれています。
という説が一般的ですが、ここにはいろんな説があり、大きな謎の一つにもなっているようです。
室町時代(1443年)
そしてまた時は流れます。
時代は室町時代、ここでも草薙剣を巡って事件が起こるんです。
南北朝時代の争い
室町時代の初期、南朝と北朝という二つの皇室が日本にありました。
南朝の後醍醐天皇が亡くなるまで、南北朝の対立は続きました。
初代将軍足利尊氏(あしかがたかうじ)と二代将軍足利義詮(よしあきら)はこの問題を解決できず、南北朝の関係は悪化していました。
しかし、三代将軍足利義満(よしみつ)の時代にようやく和解が成立しました。
義満と南朝は和解しようとしましたが、北朝は事前に知らされておらず、「そんな話聞いてない!」と反発しました。
和解の条件として、南北朝が交互に天皇を輩出することが取り決められていましたが、北朝はこれを無視し、親子での皇位継承を続けました。
これに南朝は「和約無効」と叫び続けました。
そんな時代があったんですね〜!
そうなんです。
こんな時勢の中、草薙剣も時代のうねりに巻き込まれていくんです。
禁闕の変と草薙剣の盗難
足利義政(よしまさ)が八代将軍だった時代に事件が起こりました。
嘉吉三年(1443年)9月23日、南朝の通蔵主(つうぞうす)と金蔵主(こんぞうす)兄弟が数百人を率いて御所(天皇の住まい)に突入し、火を放ちました。
当時の後花園天皇は逃げましたが、彼らは草薙剣と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を奪いました。
室町幕府はすぐに兵を送り、事件は迅速に解決されました。
草薙剣は3日後に清水寺(きよみずでら)で発見されました。
しかし、八尺瓊勾玉は奪われたままでした。
首謀者たちは捕えられ、生き残った者も厳しく罰せられました。
ちなみに、八尺瓊勾玉は10年以上も旧南朝方に奪われたままでしたが、嘉吉の乱で没落した赤松氏(あかまつし)の家臣たちが再興を目指して奪還し、宮中に戻しましたと言います。
三種の神器ってそう考えると、やっぱり凄い影響力のある秘宝なんですね。
本当にそうですよね。
長い時代、大切にされてきた物って、それだけで価値が生まれる物なんです。
機能性はないかもしれませんが、時代を動かす価値のあるものってすごくないですか?
天保10年(1839年)の草薙剣盗難事件
さらに時代は流れ、江戸時代。
ここで、また、草薙剣の2回目の盗難事件が起こるんです。
天保10年1月19日の朝早く、八剣宮に妖しい僧が現れるという事件がありました。
この出来事は昔の新羅の僧・道行(どうぎょう)が行ったことと非常によく似ています。
道行は天智天皇の時代に盗みを働こうとした狼藉者ですね。
しかし道行は神剣を遠くまで持ち去り、今回の僧はわずか1里(約4キロメートル)ほど東に動かしただけでした。
それでも神の力や霊験によって、翌朝には本殿に戻されたと言います。
この際に神殿を改造したそうです。
危ない〜。そんな事件もあったんですね。
太平洋戦争末期(1945年)
いよいよ現代に近づいてきました。
時は第二次世界大戦時です。
1945年、第二次世界大戦が終わる直前、日本は連合国軍の攻撃を受けていました。
名古屋もたくさんの爆弾を落とされ、熱田神宮の建物も焼けてしまいました。
このとき、草薙剣の安全が心配されました。
そこで、昭和天皇(しょうわてんのう)は大臣たちに「この大切な剣を安全な場所に移そう」と考えました。
いろいろな場所を検討した結果、飛騨一宮水無神社(ひだいちのみやみずなしじんじゃ)という神社が疎開(そかい)候補地に選ばれました。
もし戦争がもっとひどくなったら、天皇は草薙剣を持って長野県の松代(まつしろ)という場所にある大本営(だいほんえい)に避難することも考えていました。
しかし、1945年8月15日に日本は降伏を決め、戦争は終わりました。
ポツダム宣言(せんげん)を受け入れた日本は、連合国軍が日本に入ってくる準備をしました。
その間、草薙剣は8月の終わりから9月の中旬までの間、一時的に水無神社に移されました。
こうして、草薙剣は無事に守られ、戦争を乗り越えることができました。
なんとか戦争もこれで無事に乗り切ることができたんですね。
よかった。よかった。
こうやって、長い歴史の中で、大切に守られてきたからそこ、その重要性が増してるんですね。
確かに!
何も知らない人にとっては機能を持たない古い刀ですからね〜。
歴史を知ると、今後も守っていきたいと思いますね。
まとめという事で、この物語のMVを作成しました。
音楽に合わせてストリーを確認できるので是非聞いてみてください。
エンディング
現在、草薙剣の本体は熱田神宮に祀られ、その形代が皇居の「剣璽の間」に安置されています。
草薙剣は神聖なものであるがゆえに、天皇や熱田神宮の宮司でさえも実物を見ることは許されていません。
長い歴史の中では、江戸時代に熱田神宮の神官数人が見たという記録もありますが、見ると祟りにあって死んでしまうという恐ろしい噂もあります。
草薙剣は、神話から現代に至るまで数々の伝説と共に受け継がれ、多くの謎に包まれたまま存在し続けています。この宝剣は、これからも日本の歴史とともに受け継がれていくことでしょう。
今日お話ししたように、草薙剣は日本の歴史と密接に結びついています。その旅路は時代と共に様々なドラマを生み出しました。今でも草薙剣は熱田神宮に祀られ、その神秘的な存在は多くの人々に敬われています。
そうですね。草薙剣の歴史を知ることで、日本の文化や信仰についても深く理解することができます。
このような宝剣が今も存在し続けることは、とても素晴らしいことです。
本当にそう思います。今日のお話を聞いて、草薙剣についてもっと知りたくなりました。皆さんもぜひ、草薙剣のことをもっと調べてみてくださいね!
それでは、今日はここまでです。次回もお楽しみに。ご視聴ありがとうございました!
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