忍者は、日本の戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍したとされる特殊な戦闘員やスパイです。その起源は詳しく分かっていない部分もありますが、一般的には、平安時代末期から鎌倉時代にかけての戦乱の時代に誕生したと考えられています。
しかし、もっと古い時代、実は中国が忍者の起源だという説があるのです。
こんにちは、素人歴史研究家ルファです。
助手のエヌです
ね〜ぼです
えい!えい!
う〜ん、中々難しいな〜
ええ〜っと、ね〜ぼは何をやってるのかな?
今、忍術の影分身の練習をしてるので、邪魔しないでください。
いやいやね〜ぼ
昔、忍者という存在は居たかも知れないですが
本当の忍者でも影分身の術は使えないと思いますよ
あれは、漫画や小説の創作物ですからね
ええ〜そうなんですか?
じゃあ、口から火を吹くことも?
できません
じゃあ、水の上を走る事も?
できません
風呂敷で空を飛ぶことも?
できません
じゃあ、敵の城に潜入して情報収集することも?
だから、できませ・・・
いやそれはやってたかも知れないですね。
ええ〜じゃあ、忍者ってなんなんですか〜?
口から火は吹けないのに、城に潜入はできるんですか〜?
わからないです〜
ああ〜、眠気が・・・
ええ〜っと、ね〜ぼは何をやってるのかな?火が吹けないと潜入はできないという、ね〜ぼの思考回路はよくわからないですが・・
確かに、忍者って日本の文化で、海外の方にも人気がありますが、実はその実態はよくわからない事が多いですよね〜。
確か忍者は封建時代に存在した諜報(ちょうほう)・謀略・撹乱の技術を集大成した職業ですよね
そうそう、エヌさんのいうとおり
でも、学術的にはまだ未解明の部分が多く、誤解されたイメージが国内外に広まっているんですよ
確か、史料には忍者の存在が確認できる南北朝時代以降には多くの記録が残っているのですが、それら資料はが軍記物ばかりで、一次史料はあまり残ってないみたいなんです
軍記物?、一次資料?
軍記物、一次資料派ですね・・・
なるほど〜、じゃあ、影分身のお話も創作かも知れないんですね〜
残念です〜
じゃあ、忍者ってどうやって誕生したんですか?
そしたら今回はそんな忍者の起源にまつわる噂や伝承やそれに纏わる人物についてお話していきましょう
神話に出てくるような意外な人物が忍者の起源だった!みたいな話もあるのでめちゃくちゃ面白いんです
今回は第一弾、古代編から解説していきますね
でもその前に、忍者って一体なんなのか、おさらいしておきましょう
忍者とは?
日本人であれば誰しも知っている「忍者」という存在!
でも実は、学問的にまだまだ未解明の部分が多いんです
その起源は、荘園制度に反発した13世紀後半の抵抗勢力にあるとされていますが、その真相は謎に包まれているんです
ただ、南北朝時代(1336–1392)以降には史書に「忍び」という存在が登場しているから、存在は確かなものなんです
そんな「忍び」たちは戦国時代から江戸時代にかけて、暗殺や情報収集、スパイ活動などで活躍した影の者たちだったんです!
敵対する勢力や人物の情報を収集して、奇襲や暗殺を敢行する、まさに日本の特殊部隊!
彼らが持つ特殊技術には、身体操作や体術、暗号解読や伝書鳩の訓練、爆発物や火器の製造・使用などがあるんです!
しかも変装や偽装技術もマスターして、自身の正体を隠して敵を翻弄していました!
忍者って常に黒い衣装を着ているってイメージがありますが、実際はいろんな色の衣装を使い分けてたって言われています
目隠しをつけてたり、鎖鎌や手裏剣を使ってたと思われてるのですが、これらの武器は一般の武士や兵士も使ってたんです
あくまでも特殊な技術や知識を持ってることが忍者の特徴なんです!
もちろん、忍者が常に暗殺や諜報活動に従事していたわけじゃありません
彼らには、軍事上の情報収集や監視、奇襲や特殊な戦闘技術の習得など、多彩な役割があったんです!
依頼者の要求に応じて、様々な任務を遂行するため、単なる暗殺者や諜報員というわけじゃないんです!
まさに、日本の歴史において欠かせない存在だったんです!
へ〜、忍者は秘密工作員であり、暗殺や情報収集に特殊技術や変装術を駆使して活躍した影の者たちだったんですね。
そ〜ですね。
そんな忍者の起源には、一般的に複数の説があるんですよ。
そうですね。
人生かけて努力してきたもの、さらにいうと先祖から託されたものが、じわじわ薄れていくのはほんとに寂しい事だと思います。
だからなのか、それぞれの流派の忍者は古代の伝説的な人物が「実は自分達の流派だった!」なんて言い張る話も多くあるんですよ。
ではそんな、いろんな伝承のある忍者の面白い起源説も紹介していきますね。
実は忍者の起源となる人物は日本だけにとどまらず中国からという話もあるんです。
中国説
まずは中国から始まったとされる説を紹介しますね。
殷の時代の「伊尹」(いいん)
忍者の起源が中国といっても、あくまで忍者っぽい仕事を始めて行っていた人物が中国にいたということで、それを起源としたというイメージで捉えてください。
つまり、敵国に潜入し情報を引き出して自国に貢献したと伝わる人物です。
最も古い時代の人は「伊尹」(いいん)と呼ばれる人物で、中国で最も古い「殷」の時代の初期の宰相です。
殷の時代とは紀元前1600年で、伊尹は元々料理人でした。
料理も凄腕だったのですが、政治力、軍略力も長けていて、敵国「夏(か)」という国に料理人として潜入し、情報を引き出したり、細工をしたりして見事「夏」を滅ぼす事に貢献しました。
中国の殷の時代ってずっと昔の事なのはわかりますが、中国の歴史のどの辺のことですか?
殷という時代は中国史でも最も古い王朝ですよ!
中国史上、殷の時代は、紀元前16世紀頃から紀元前11世紀にかけての時期に相当して、殷の時代の前は、三つの(夏、商、周(か しょう しゅう)という国があったと言われてるのですが、伝説や史書によれば、夏の最後の王を倒して王位を継承したことから殷王朝が始まったとされています。
古代なので伝説的な話も多い時代ですが、日本はこの時期は縄文時代ですからそう考えると凄いですよね。
へ〜、日本人が狩りをしたり、木の身を拾ってる時にすでに、大国同士で戦争してたんですね〜。
確かにそう考えると不思議な感じがしますね。
それではもう少し時代が降った次の忍者起源説の太公望を解説していきますね。
太公望
次に忍者起源説でよく言われるのが太公望です。
太公望はその殷という国が徐々に腐敗してきた時代の人物で、殷を滅ぼすのに協力した人物です。
「太公望」(たいこうぼう)は、紀元前の中国史上有名な伝説的人物で、紀元前11世紀頃に活躍したとされています。彼は、文化人・儒学者・政治家・軍人・道士・占い師・釣り人など、多彩な才能を持ち、多くの逸話や伝説が残されています。
殷を滅ぼした「周」という国の王様がまだ若い頃、呑気に釣りをしている太公望をみて、「彼こそが殷の時代を終わらし、新しい時代を作るのに不可欠な人間だ」と言わしめ、勧誘したなんて話は有名ですよね。
孫子
次は「孫子」です
「孫子」(そんし)は、紀元前500年頃の中国戦国時代の軍事思想家であり、著書『孫子兵法』という書をを残した人物です
『孫子兵法』は、戦争における戦術や戦略についての考え方をまとめた書籍で、戦争における勝利を目指すための理論を示しました
その内容は、中国のみならず、世界中の軍事指導者たちに広く受け入れられ、現在でも戦略家やビジネスマンなど、さまざまな分野で用いられています
『孫子兵法』は、主に13章からなり、戦争の機会や目的、敵と味方の強さや弱さ、戦術や戦略の実行方法などを詳しく説明しています 「負けないための兵法」と称される『孫子』の大要(たいよう)は、以下4点に集約されます
1 基本戦争は避け、敵を味方に変える
2 強き者とは戦わず、弱き者と戦う
3 強き者の弱点が見つかるまで、戦わない
4 強き者の弱点がわかれば、これを集中して攻める
つまり『孫子』の真骨頂は「戦わずして勝つ」です
孫子は、戦略の実行には、敵の情報を収集し、自軍の能力を正確に把握し、常に状況を把握することが必要であると説いていますまさに忍者の起源になる教えですよね。
徐福
中国の起源説の最後は「徐福」です。
徐福(じょふく)は、紀元前200年代、秦代末期から漢代初期にかけて活躍した伝説的な人物です。
真偽はさておき、あの始皇帝に仕え、不老不死の薬を探した人物として有名です。
不老不死の薬は蓬莱山にあるとし、その蓬莱山が日本にあったなんて話もあり、日本には徐福の来日伝説が数多く残っています。
徐福が日本に連れてきた女性が忍者の起源だったとか、徐福自身が忍者だったとか、とにかく謎に包まれた人物なんです
秦の始皇帝の命を受けて東方探検に赴き、長江河口に船団を率いて南海に至ったとされます。
徐福の実在性ははっきりしておらず、伝説的な部分が多いとされていますが、彼が中国と日本の間の文化交流に影響を与えた可能性があると言われているんですまた、徐福は中国の歴史書である『史記』にも登場し、中国の古代史においても重要な人物の一人とされています。
ええ、そんな昔から忍者っぽい考え方をしていた人がいたんですね〜。
確かに、伊尹(いいん)や太公望、孫子、徐福(じょふく)などの人物は、それぞれ、敵国に潜入して情報を収集したり、戦術や戦略についての考え方を示したりしたことが、忍者の特徴とも言える活動につながっているということでしょうか
どの説も真偽のほどは定かではありませんが、面白い起源説ですよ。
ですよね〜 。
孫子なんて、まさに今でも使える考え方をそんな昔から言っていたなんて驚きです。
逆にいうと人間の本質はあまり変わらないのかもしれませんね。
「戦わずして勝つ」か〜
戦わないで、どうやって勝つんですか〜?
「戦わずして勝つ」は何も、何もしなくていいというわけじゃないんですよ
無謀な戦いを挑んで、両者に大きな被害を出すくらいなら、敵が戦ってもしょうがないと負わせるように知略を巡らせるという戦略なんです
よくも悪くも、現代において「核」も戦わずして勝つの戦略の一つです
非常に危険ではありますが、一定の抑止力として使われている側面もありますからね。
この均衡がくづれた時は恐ろしいですけど!
私は徐福伝説に興味があります。
不老不死の薬って流石にありえないですよね。
なのに日本では、割と人気があって徐福が来たと言われている場所が多くあるんですよね。
徐福がもし日本に来ていたとしたら起源200年ぐらい
日本では弥生時代ぐらいですかね
だからか、稲作技術を広めた渡来系弥生人は徐福なんじゃないかなんて話もあります
でももし本当に彼が日本に来ていたら、今まで日本になかった文化や技術、農耕、鉄器製造、紙の製造、建築技術、陶芸などが広まって日本の発展に大きな影響を与えたのかもしれませんねとにかく徐福は、深ぼれば深ぼるほど興味深い人物なんです
へ〜徐福さんってすごい人だったんですね。。
もちろん、それが事実かはわかりませんが古代史に置いて気になる人物である事は間違いないです。
さて、それではこれから、日本の忍者の起源じゃないかって人を紹介しますね。
と言いたい所ですが、今回はここまでとしましょう!
中国も話も古代すぎて壮大な話でしたが、日本は日本でまた信憑性が薄いですが、ロマンのある話が多いのでそちらも楽しみにしててくださいね!
エンディング
さて、それではこれから、日本の忍者の起源じゃない忍者という職業はなかったと思いますが、忍術っぽい働きというのは古代中国でもおこなわれていたんです
やっぱりどの時代も情報操作による撹乱や密偵というのは争いごとには不可欠だったんですね。
いつの時代も変わらないものですね〜。
ですね!
最後までご視聴頂きありがとうございました
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