戦国時代の忍者集団!軒猿、風磨一族、雑賀衆!甲賀、伊賀意外にも活躍した忍者とは?

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日本史

前回は戦国時代の忍者でも特に有名な甲賀、伊賀忍者を解説しました。
しかし、戦国時代に活躍したのは甲賀、伊賀だけではありません。
ということで今回は戦国時代のその他の忍者達について解説していきます。


ルファ
ルファ

こんにちは、素人歴史研究家ルファです。

エヌ
エヌ

助手のエヌです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

ね〜ぼです。

ルファ
ルファ

今回は伊賀、甲賀以外の忍者についても解説していきますね。

忍者起源説!日本の忍者のルーツは日本神話!古事記のあの神!?
前回は忍者起源説が中国だったというお話を記事にさせていただきました。太公望や徐福、孫子など伝説的な人物が忍者の起源だった...

上杉謙信の忍者集団・軒猿(のきざる)

軒猿という忍者集団は、戦国大名・上杉謙信に仕えていました

彼らは夜盗組、伏齅(ふせかぎ)、聞者役(ききものやく)と呼ばれ、1561年の第4次川中島の戦いにおいて、軍師の山本勘助が提案した啄木鳥戦法による武田軍の奇襲を回避するため、情報収集を行いました。

その情報によって上杉謙信は奇襲を回避し、武田軍に大打撃を与えました

彼らの名前は江戸時代に書かれた忍術の秘伝書「萬川集海」にも載ってるんです

風磨一族

風磨一族は戦国末期に活躍したとされる相州乱波(そうしゅうらっぱ)です。
風磨一族の風磨小太郎は聞いたことがある人もいるかもしれません。

『北条五代記(ほうじょうごだいき)』によれば、乱波とは「他家へ忍び入り、山賊、夜討、強盗して物盗ること上手なり才智ありて、計略めぐらすこと、凡慮(ぼんりょ)におよばず」といい、小太郎はこうした関東乱波のうち、小田原北条氏に属した風魔一族の頭領であったと。言われています!
元来は「風間」一族という漢字だったとも言われてます。

北条早雲に始まり、約一〇〇年間関東に君臨した小田原北条氏を陰で支えたのが乱波集団の風魔一族で、合戦に際してはあらかじめ敵の領国に忍び入り、城地を混乱させたり、得意の夜討で敵陣を攪乱したりしたといいます。
『北条五代記』には、風魔小太郎について次のように記されています。
身長七尺二寸(約二・二メートル)の大男で、筋骨隆々、眼はさかさまに裂け、口も両方に大きく裂けて四つの牙が出ていた。頭は福禄寿のように高く、鼻も高く、声を出せば五〇町(約五・五キロ)先まで聞こえ、低く乾いた声も出した・・
そう聞くと、とんでもない化け物ですね。
でも、これが小太郎の風貌を記した唯一のものなんですって!

でもこうした記述が、逆に小太郎の実像を誰も知らなかったということを物語っていますよね。

『北条五代記』には、次のような話も載っています。

北条五代記(要約)

それを察した小太郎は、夜の河原での話し合い中、突然たいまつを振って叫んだ。
すると風魔一党はいっせいに立ち上がった。
ところが甲州透破たちは意味が分からず、うろうろしているうちに正体を見破られ、捕えられて斬られた。

これは「居すぐり」「立すぐり」という、紛れ込んだ敵を見破るための手段だったんですね。
その風魔一党も小田原北条氏が滅ぶと、闇の中に消えました!

一説には、江戸に出て盗賊団になったなんて話もあるんです。ちなみに「小太郎」の名は、代々風魔一党の頭目の通し名であったみたいですよ。

「雑賀衆」(さいかしゅう)

 雑賀衆は戦国時代に紀伊国を中心に活動した傭兵を生業とする忍者集団で、海運・貿易が盛んな地域で伝来したばかりの鉄砲を多数調達して、火術にも長けた当時最先端の軍事力を有していたらしいです。頭領には鈴木孫一が代々継承し、5つの地域に分かれて独自に雇用先を選択していたんですって。織田信長に味方する地域と石山本願寺側に味方する地域で分かれ、戦場で雑賀衆同士が激突することもあったそうです。しかし豊臣秀吉の紀州征伐によって敗北し、雑賀衆は壊滅し、残った忍者達は全国に散り散りとなりました。また、同時期に本拠地として活躍していた根来衆(ねごろしゅう)も壊滅したそうです。

現在も本願寺では孫市まつりが毎年開催されているんです。

伊達家に仕えた黒脛巾組(くろはばきぐみ)

伊達家には、黒い脛当てが目印の忍者集団である「黒脛巾組」という組織が仕えていました。彼らは、柳原戸兵衛(やなぎはら とへえ)という人物を首領にしていました。

黒脛巾組の存在は、伊達家の本拠地である地方の修験者と交流があったために形成されたと言われています。伊達政宗と言ったらは幼少期に疱瘡で右目を失明し、隻眼となった事で有名ですが、1584年、伊達政宗が家督を相続すると、周辺諸国との戦が激化していく中で、黒脛巾組を結成したみたいですよ

ね〜ぼ
ね〜ぼ

へ〜戦国時代にはそんなたくさんの忍者がいたんですね〜。
知らなかったです。

エヌ
エヌ

他にも、戦国時代の忍者はたくさんいましたよ
佐賀藩で活動の忍者集団・嬉野忍者(うれしのにんじゃ)、毛利元就の忍者集団・座頭衆 ・世鬼一族(せき一族)、信濃国(しなののくに)の戸隠流忍者(とがくしりゅう)など、多くの忍者が活躍していたんです。

ルファ
ルファ

そうそう、忍者はそもそも影の存在ですから、表立ってその活躍が歴史に残ることも少ないので、戦国武将ほど知られてませんが、彼らがいたからこそ、今の日本があるといってもいいと思いますよ!

エンディング

ルファ
ルファ

いかがでしたでしょうか
今回は、戦国時代に活躍した忍者たちについて解説しました
戦国時代の忍者たちは、その特殊な技術や知識を駆使して、多くの武将たちの側で様々な任務をこなしてきました
その活躍は、戦乱の時代において重要な役割を果たしたと言えますよね!

ね〜ぼ
ね〜ぼ

なるほど〜!

忍者たちの偉大な功績が、現代にも続いているということですね。

ルファ
ルファ

次回はこの忍者編の最終章!江戸時代の忍者について解説する記事を作成しようかと思っています

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