日本の多彩なお盆文化を探る!由来・歴史から地域独自の風習まで詳しく解説

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観光地伝承【徳島】
ルファ
ルファ

こんにちは、素人歴史研究家ルファです。
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エヌ
エヌ

助手のエヌです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

マスコットのね〜ぼです。

記事コンセプト

これらの場所は単なる美しい景色や楽しいアトラクション以上のものを提供してくれます。それは、その土地固有の歴史的背景、伝説、そして時には忘れ去られた物語です。

このチャンネルでは、観光地それぞれの歴史を深掘りし、訪れる価値がなぜ高いのか、その背景にあるストーリーを詳しくお伝えします。歴史を通じて、それぞれの場所がどのようにして今の姿になったのかを探っていきましょう。

ルファ
ルファ

さてさて、暑い季節が今年もやってきましたね。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

こんなに暑いとアイス食べたいです〜!
いや、待ってください。
スイカも、メロンもいいですね〜
いや、冷やし中華も捨て難いです。
ラーメン、カレー、親子丼、すき焼き・・・

エヌ
エヌ

後半は、夏関係なく、ただお腹が空いてるだけでしょ?

ルファ
ルファ

食べ物もいいですが、夏の大きな行事と言ったらやっぱりお盆です。
お盆の起源や、地域毎の風習、意味などは知ってますか?

ね〜ぼ
ね〜ぼ

お盆は、普段仕事してる人がお休みできる期間で、バカンスに行くための期間じゃないんですか?

エヌ
エヌ

まあ、現代ではそういったお盆の風習は薄れていますが、多くの人が、里帰りして実家に帰ってお墓参りするというイメージはあるかと思います。
でもしっかりとしたお盆の意味合いはあまり知らないかもしれませんよね。

ルファ
ルファ

ですよね。
僕自身も、あまり詳しく知らなかったので、今回調べてみました。
また、地域によってはユニークなお盆の過ごし方なんてもあるので、今回はその辺をお伝えしていきますね。

この記事を動画で見たい方はこちら
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お盆とは?日本の伝統的な風習

お盆は日本の夏を象徴する伝統的な風習で、ご先祖様の霊を迎え入れ、供養するための行事です。
この風習は、7月または8月に行われる地域が多く、日本全国で様々な形で行われています。
お盆の由来や歴史、具体的な習わしについて詳しく見ていきましょう。

お盆の由来と歴史

お盆の起源は、サンスクリット語の「ウランバナ」に由来する盂蘭盆(うらぼん)から来ています。
この盂蘭盆はインドに伝わる目連尊者(もくれんそんじゃ)の伝説が基になっています。
目連尊者は、死後に餓鬼道に落ちた母親を救うために、お釈迦様の助言を受けて供養を行い、母親が成仏したことを祝う行事です。
日本にこの風習が伝わったのは7世紀頃とされ、斉明天皇の時代には仏教形式のお盆の法要が営まれました。

当初は朝廷が営む供養として位置づけられていましたが、鎌倉時代に入ると民間にも普及し始めました。
室町時代には送り火の風習が現れ、江戸時代に入ると完全に庶民に定着し、僧侶が家々を回って棚経(お経)をあげるようになりました。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

お盆というのは仏教の考え方のものだったんですね〜!

エヌ
エヌ

そうですね。
また斉明天皇の時代って所が私は痺れますね。
斉明天皇というのは、仏教が日本に入ってきた厩戸王の時代の少し後の時代で、蘇我氏の乙巳の変の時、蘇我入鹿の首をはねられた時に現場にいた天皇なんです。
斉明天皇は、2度天皇の役職に就いた女性天皇で乙巳の変の時は皇極天皇という名前でしたが、目の前でそんな事件もあった方の時代に、このお盆という風習が日本に入ってきたって考えると面白いですよね〜。


ルファ
ルファ

確かに、当時の日本の状態とリンクさせるとまた考え深いものがありますよね。

せっかくお盆の起源の話なので目連尊者(もくれんそんじゃ)の伝説も気になりませんか?
こちらの話も詳しく調べたのでお伝えしますね。

お盆の起源、目連尊者(もくれんそんじゃ)の伝承とは?

昔、お釈迦様という偉いお坊さんがいました。そのお弟子の一人に目連尊者という方がいました。
目連尊者(もくれんそんじゃ)はとても熱心に修行をして、不思議な力を手に入れました。
その力は、たくさんの人を助けるために使われました。

ある夏の暑い日、目連尊者は木陰で休んでいました。
そこに、母と一緒に楽しそうに歩いている子供たちが通りかかりました。
それを見て、目連尊者は何年も前に亡くなった自分の母を思い出しました。

AI画像

「母は今、どこにいるのだろう?」と考えた目連尊者は、自分の力を使って母を探すことにしました。

目連尊者は天眼という特別な力を使って、母を探し始めました。
そして、ついに地獄の入り口にたどり着きました。地獄にはいろいろな場所がありました。
煮えたぎるお湯の地獄や、針の山の地獄、血の池地獄などです。

目連尊者は、焦熱地獄を覗いてみました。
すると、そこに自分の母が横たわっているのを見つけました。
母はとても苦しそうで、目連尊者に「水をください」と頼みました。
でも、目連尊者が持ってきた水はすぐに熱くなり、飲むことができませんでした。

悲しくてたまらない目連尊者は、お釈迦様のところに行き、事情を話しました。
すると、お釈迦様は目連尊者のお母さんが生前に行った悪い行いについて教えました。

目連尊者の母は、目連尊者を大変かわいがっていましたが、それが故に、道理の通らないこともありました。
ある日、暑くて喉が渇いた人が水を求めてきましたが、母は「この水は目連のための水」と言って、その人に水をあげませんでした。

AI画像

お釈迦様は、人々に物を施すことの大切さを教えていましたが、母はそれができなかったのです。
そのため、母は地獄に落ちてしまったのです。

目連尊者は、母のために何かできないかと考え、お釈迦様に再び相談しました。
お釈迦様は、「七月十五日に多くの人々に食べ物を施しなさい」と教えました。
目連尊者はたくさんの食べ物を用意し、人々に施しました。

その後、再び母を訪ねると、母は喜びながら空に昇っていくのが見えました。
目連尊者はとても嬉しくなり、お釈迦様に
「この行事を続ければ、他の地獄に落ちた人たちのも救われますか?」と尋ねました。
お釈迦様は「そうです、良い心を持って行えば、必ず良いことが起こります」と答えました。

この日、村のあちこちで喜びの声が聞こえ、みんなでお祝いをしました。このお話は、母を大切に思う気持ちと、他の人を助けることの大切さを教えてくれます。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

我が子に与える水を他人に与えなかったら地獄に行くんですか〜?
私は好物を他人に渡さなかった事があるので地獄に行くんですか〜💦

エヌ
エヌ

目連尊者の伝説のお話は多少話を変えて現代にこのっているので、流石にそれだけで地獄に行くわけじゃないと思いますよ〜笑
話によっては母親がもっと意地悪く書かれている話もありますしね。

ルファ
ルファ

そうですね。
このお話は仏教の施しの教えや、先祖を大切に思う気持ちというものを伝えたかったんじゃないでしょうか?
この伝承が元で、先祖を大切にするという今のお盆の風習につながっていくんです。

お盆の期間と地域差

ルファ
ルファ

それではお盆の期間と地域差についてお話ししていきましょう。

エヌ
エヌ

お盆の期間は地域によって異なりますよね。
一般的には7月13日から16日までの新暦の期間、または8月13日から16日までの新暦8月盆の期間が多いです。
例えば、東京や神奈川県などの都市部では新暦の7月盆が主流ですが、農作業が忙しい地域では旧暦に近い8月盆が行われることが多いです。
また、沖縄や奄美地方では旧暦の7月13日から15日にお盆を行う伝統を守り続けていますよね。
ただこれもさらに細かな地域によって違いはありますけど!

ルファ
ルファ

そうですね。
ほぼエヌさんが言った通りなんですが、もう少し細かくみていきましょう。

お盆の期間

お盆の期間は、地域によって異なる場合がありますが、主に次の3つの期間に分かれています。

  1. ほぼ全国(関西・東北・北海道): 8月13日~16日
  2. 都心部(東京・横浜など): 7月13日~15日
  3. 南西諸島(沖縄・奄美地方など): 8月8日~9月6日あたり
ルファ
ルファ

これらの期間にはそれぞれ歴史的背景があります。

お盆の期間に歴史的背景

お盆の期間が最初に広まったのは江戸時代とされ、当時は月の満ち欠けに合わせて7月15日をお盆の最終日とし、13日から15日までの間に法要を行っていました。

明治時代に新暦が導入されたことで、お盆の期間の考え方が全国的に分かれました

  • ほぼ全国(8月13日~16日): 旧暦の7月13日~15日を新暦に適応させたもの。
  • 都心部(7月13日~15日): 旧暦の期間をそのまま新暦に当てはめたもの。
  • 南西諸島(8月8日~9月6日): 江戸時代の月の満ち欠けを重視し、満月の日をお盆の期間とする。
ね〜ぼ
ね〜ぼ

なるほど、明治時代の暦の改正で日付けだけ変わった所と変わらない所と旧暦の考え方の月の形で変わっていったんですね。

ルファ
ルファ

そういう事です。
お盆は、亡くなった方や先祖の霊を偲び、供養するための行事です。期間は地域によって異なりますが、法要やお墓参り、迎え火・送り火などの行事は共通して行われます。地域の違いや歴史的背景を理解しながら、今年のお盆も心を込めてご先祖様を供養しましょう。

お盆の習わし

お盆の習わしは地域によって様々ですが、基本的な流れは「迎え火」「中日」「送り火」という三つの主要な行事に分かれます。
迎え火は13日にご先祖様を迎えるために焚く火で、ご先祖様の霊が迷わず家に帰ってこられるようにするものです。
中日には、仏壇にお供え物をし、家族と同じ食事を三度供えます。
送り火は16日にご先祖様を再びあの世へ送り出すために焚く火です。

精霊棚(しょうりょうだな)には花やお菓子、果物などを供え、迎え火や送り火の際には精霊馬(しょうりょうま)も欠かせません。

Adobe画像参照:精霊馬


先祖の霊があの世と現世をスムーズに往来するために作られるお供え物です。
キュウリで作った馬とナスで作った牛が一般的で、ご先祖様がこの世に早く戻り、ゆっくり帰ることを願う象徴とされています。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

先祖の霊が現世に帰ってくる時は速く走る馬に乗り、帰りは牛に乗ってゆっくりあの世へ戻ってほしいという事なんですね。

エヌ
エヌ

ただし地域によってはその逆もあり、牛に乗ってもらいゆっくり丁寧にお迎えしたい、帰りは馬に乗ってもらい早くあの世で休んでもらいたいという意味もあるようです。

ルファ
ルファ

この辺は地域によっていろんな風習があるので、違いを見るもの楽しいですよね。

お盆に供えるもの

お盆には初物を供えるのが良いとされ、特にスイカや桃などの丸い果物が縁起物として重宝されます。お供え物には故人が好きだった物や、花、お菓子などが選ばれます。他家にお盆などでお伺いする際には、日持ちするものを心掛けることが重要です。詰め合わせ品を贈る場合は偶数個入っているものは避け、素麺やお線香、ろうそくもお供え物として選ばれます。

お盆は日本の伝統的な風習で、ご先祖様の霊を迎え入れ、供養する大切な行事です。この機会に、改めてお盆の由来や習わしを学び、ご先祖様への感謝の気持ちを深めてみてはいかがでしょうか。

各地のお盆の風習

ルファ
ルファ

それではこれから、日本各地のユニークなお盆の風習を紹介していきますね。

①長崎のお盆の風習:精霊流しの起源、背景、人々の思い

長崎のお盆の風習である「精霊流し」は、特に松浦市志佐町で盛んに行われている伝統的な行事です。この行事の起源や背景、人々の思いについて分かりやすく解説します。

グーグルマップ参照

精霊流し(しょうりょうながし)の起源と背景

精霊流しの起源ははっきりしていませんが、鎌倉時代にまで遡るとも言われています。
当時から故人の御霊を送るための精霊船が藁で作られていました。
長崎の精霊流しは、初盆を迎えた故人の霊を船に乗せて送り出す長崎県の伝統行事です。

エヌ
エヌ

初盆とは、故人様が亡くなられてから初めて迎えるお盆のことです。


8月13日から15日の間に行われるお盆祭りの最後の日、15日の夕刻から夜にかけて精霊流しが行われます。
法被(はっぴ)姿の遺族が精霊船とともに街を練り歩き、亡き人に思いを馳せます。

AIイメージ画像


エヌ
エヌ

一方で、長崎の精霊流しは中国の風習が定着したものとも言われています。
そのルーツは、長崎の唐人屋敷で行われていた「彩舟流し」にあるとされています。
この行事は、屋敷内で亡くなった唐人の霊を祀るために行われていました。

精霊船とは?

精霊船は屋形船のような形をしており、大きいもので全長10メートル近くにもなります。各家庭や企業が工夫を凝らして作り、2隻が連なる大きな船や、子どもの遺影を掲げた小さな船、大漁旗や千羽鶴で飾りつけた船など、様々な種類の船が見られます。
藁や木で作られた船にお供え物を乗せ、川や海に流して「無事に極楽浄土までたどり着けるように」という願いを込めます。

ルファ
ルファ

ちなみに精霊船は街を練り歩き、海に流す風習だったそうなのですが、今は、地域によっては海に浮かべたりしない地域もあるみたいです。
また、海に浮かべても、流す訳ではなく、紐をつけて後に回収するようですよ。

エヌ
エヌ

環境にも配慮されてるんですね。


精霊流しの様子

精霊流しは、爆竹や鐘の音、「ドーイドーイ」という掛け声とともに行われます。
暗くなった街中にはちょうちんの明かりが灯り、激しい爆竹の音と火薬のにおいに包まれます。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

爆竹!?
すごい賑やかな感じなんですね。

エヌ
エヌ

この爆竹の音は悪霊を払うためのものとされているんですよ。

行事の進行

遺族らは市街を練り歩き、夜遅くまで続く行列は賑やかに故人を送ります。遺族が一体となり、故人への思いを込めて行うこの精霊流しは、長崎の夏を彩る大切な伝統行事です。

この行事は、長崎の人々が故人を大切に思い、送り出すための心温まる風習であり、長崎ならではの独特な文化が感じられます。

エヌ
エヌ

精霊流しの際に鳴り響く爆竹や花火の音は、故人を思う気持ちの現れなんですって。
精霊船が川に流れる様子を見守る人々の姿には、故人を送る心が感じられるんです。

ルファ
ルファ

いくつか、動画や写真をみましたが、僕の印象としては故人の死を悲しむというより、感謝をして、送り出すと言ったような、前向きの祭りのイメージが強かったです。
なんだか、素敵なお祭りだなって感じました。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

家族に盛大に見送られてあの世に行けるのはなんだか幸せな気持ちになりますね〜。

長崎の精霊流しは、ただの賑やかな祭りではなく、故人を送り出すための大切な行事なのです。
この風習が、地域の人々の心の中でどれだけ大切にされているかが伝わってきます。
次の夏も、その次の夏も、この伝統が続いていくこといいですね。

②徳島の阿波踊りとお盆

ルファ
ルファ

次は徳島県のお盆行事の阿波踊りのお話です。

エヌ
エヌ

確かに、徳島の阿波踊りはお盆の時期に行いますよね。
ということは、阿波踊りはお盆の風習なんですか?

ルファ
ルファ

もちろん影響は受けてますが、阿波踊りはその歴史が深く、いろんな起源説があるんです。

阿波踊りの起源

阿波踊りの始まりは約400年前に遡り、その起源については3つの有力な説があります。

徳島城築城起源説

この説によると、徳島藩の武将が徳島城の城主となった際に、城下の町民がその喜びを踊りで表現したのが阿波踊りの始まりとされています。

盆踊り起源説

阿波踊りは、お盆の時期に先祖の霊を供養するために踊られる盆踊りから発展したとする説です。お盆に踊られる踊りが変化し、現在の阿波踊りの形になったと考えられています。

風流踊り起源説

能楽の元となった「風流踊り」が阿波踊りの起源だとする説です。風流踊りは、古くから存在した優雅で華やかな踊りで、これが阿波踊りに影響を与えたとされています。

また、阿波踊りには悪霊を払うための「念仏踊り」や、先祖の霊を供養するための「精霊踊り」も影響を与えたと考えられています。

どの説にしても、阿波踊りは民衆の間で生まれ、彼らの生活や文化とともに発展してきました。大正時代末期から昭和時代にかけて、ラジオやポスターを通じて徳島県外にも紹介され、全国的に知られるようになりました。第二次世界大戦中には一時的に活動が自粛されましたが、戦後には復興の象徴として再び広まり、多くの人々に踊られるようになりました。



ね〜ぼ
ね〜ぼ

なるほど〜!いろんな要素が混ざり合って今の阿波踊りがあるんですね〜。

エヌ
エヌ

そうですね。
お盆は祖先が帰ってくる時期なので、踊って盛大に先祖をお迎えしたんでしょうね。、

ルファ
ルファ

そうですね。
ではここからもう少し盆踊りについて深ぼっていきましょう。

盆踊りの起源

ルファ
ルファ

盆踊りの始まりは仏教に由来しています。
もともとは、お盆に帰ってくるご先祖さまの霊魂を慰めるための行事でした。

エヌ
エヌ

お盆の起源も仏教由来なのでこの辺は自然な流れですね。


盆踊りのルーツは「念仏踊り」と呼ばれるもので、これは仏さまの名前や功徳、ご利益を唱える「念仏」に節をつけて歌いながら踊るものでした。
この念仏踊りは、平安時代の僧侶である空也(くうや)によって広められました。
空也はひょうたんを片手に持ち、叩きながら念仏を歌うように唱え、人々を極楽浄土へ導くために布教活動をしていました。
鎌倉時代になると、一遍上人(いっぺんしょうにん)という僧侶が、この念仏踊りをさらに広めました。一遍上人は、東北から九州まで旅をして、踊り念仏を多くの人々に伝えました。
この念仏踊りがやがてお盆と結びつき、ご先祖さまの霊魂を慰め、送り出すための行事として発展しました。踊りの中で足を強く踏み鳴らすことで、悪霊や死霊を鎮め、あの世へ送り出すことができると考えられていたのです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

ええ?じゃあ、仏教由来なのに踊るのは日本だけなんですか〜?

ルファ
ルファ

そうですね。
日本仏教の歴史は長いですからね。
本来の教えを、時代時代に人が求める物に柔軟に変えていって、日本の仏教があるんです。

エヌ
エヌ

ちなみに盆踊りの際に中心にやぐらを組んでその周りで踊りますよね。
やぐらには提灯がたくさんぶら下げられており、これはご先祖さまの霊を迎える「迎え火」を再現しているそうですよ。

AI画像

盆踊りは、お盆の時期に帰ってくるご先祖さまの霊魂を慰めるための行事が起源です。最初は念仏を唱えながら踊る「念仏踊り」から始まり、やがてお盆と結びついて現在の盆踊りの形になったのです。

③沖縄のお盆のちょっと変わったお供物

ルファ
ルファ

それでは、次にちょっと面白い沖縄のお盆の風習をご紹介していきましょう。

1. 旧暦で行うお盆
沖縄のお盆は、旧暦の7月13日から15日の3日間にわたって行われます。このため、新暦では毎年異なる日程になります。例えば、2024年は8月26日が盆の入りとなります。この3日間はそれぞれ特別な名前があり、初日を「ウンケー」中日を「ナカヌヒー」最終日を「ウークイ」と呼びます。

2. 特別なお供え物
沖縄のお盆には独特のお供え物が準備されます。例えば、「平御香(ヒラウコー)」という平たいお線香や、打紙(うちかびというご先祖様があの世で使うお金の紙があります。
打紙(うちかび)はわらを主な原料として作られ、銭型が打ちつけられています。これを燃やすことで、ご先祖様があの世でお金に困らないようにするのです。

3. 果物の供え方
沖縄のお盆では、果物の供え方にも特徴があります。
仏壇の二段目には大きな果物、例えばパイナップルを供え、三段目には小さな果物、例えばドラゴンフルーツやみかんなどを供えます。
沖縄の名産であるマンゴーもよく供えられ、青いバナナなども見られます。
また、沖縄のお盆には特別な重箱料理「御三味(ウーサンミー)」が供えられます。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

ええ?なんですか?それ〜?
美味しそうですね〜。

4. 精霊流しとエイサー
最終日のウークイでは、うちかびを燃やしてご先祖様を見送ります。
ウークイの日の夜には、親族が集まり、打紙を燃やして次の旧盆までの生活のための糧として送ります。
また、お盆期間中には「エイサー」と呼ばれる踊りが行われ、青年会のエイサー団が町を練り歩き、観光客もその姿を楽しむことができます。

ルファ
ルファ

沖縄のお盆は旧暦で行われ、独特のお供え物や重箱料理、果物の供え方などが特徴です。
特に、最終日のウークイに行われる打紙(うちかび)を燃やす儀式や、エイサーの踊りは沖縄ならではの風習です。
面白いですよね〜。

エヌ
エヌ

打紙(うちかび)をたくさん燃やした方が、ご先祖様が向こうでお金に困らないと言われてるあたり、沖縄の愉快な感じがしますよね〜。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

私の時もたくさん打紙(うちかび)燃やして欲しいな〜!

ルファ
ルファ

これらの風習を通じて、沖縄の人々はご先祖様を敬い、その霊を慰めるとともに、地域の伝統と文化を次世代に伝えています。

エンディング

皆様、今回の記事ではお盆についてのさまざまな側面をお伝えさせていただきました。お盆の由来や歴史、そしてその起源とされる目連尊者(もくれんそんじゃ)の伝承を通じて、この行事の深い意味を理解していただけたかと思います。

さらに、お盆の習わしや準備するものについても触れました。
特に、地域ごとに異なる風習があり、各地で独自のお盆行事が行われていることを紹介しました。
長崎県の精霊流し、徳島県の阿波踊りとお盆の関係、そして沖縄のお盆の特徴的なお供え物など、各地の風習を知ることで、改めて日本の伝統文化の多様性と豊かさを感じていただけたのではないでしょうか。

これからも、こうした伝統行事や地域の風習を大切にし、次世代へと受け継いでいくことが重要です。皆様も、ぜひ自分たちの地域のお盆行事に参加し、その文化を楽しんでください。

最後までお読みいただきありがとうございました。次回も、皆様にとって興味深い歴史や伝承のお話をお届けできればと思います。それでは、またお会いしましょう。


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