マスコットのね〜ぼです。
正月と言ったら、やっぱり百人一首で盛り上がりますよね
特に小野小町の歌はいつも心に残るんですよね
確かに、小野小町の歌は魅力的ですよね
でも小野小町って、いつの時代の人なんですか?
小野小町は、平安時代の女性で、彼女の美しさと詩の才能は今も伝説として語り継がれているんですよ。
へぇ〜、すごいですね
でも、どんな歌を詠んだんですか?
彼女の歌は恋愛をテーマにしたものが多いんです。
情熱的で、時には哀しみを帯びた深い感情を表現しているんですよ。
でも、小野小町が作った、たくさん和歌は残ってるものの、小野小町については詳しいことはわからないんです。
僕のイメージですが、小町の和歌を色々読んでみると、彼女自身、その美しさを持ったが故に、それを失う怖さを憂いているような印象の歌が多い気がします。
だからなのか、小野小町は悲惨な最後を迎える伝承が多くあるんです。
ええ?美しいという事は幸せな事なんじゃないんですか?
ね〜ぼ、人間は、より多く持ってる人の方が、それを失う怖さを感じやすいものなんです
へ〜、人間って難しいですね
ね〜ぼ、人間は、より多く持ってる人の方が、それを失う怖さを感じやすいものなんですというわけで、今回は、平安時代の華やかな宮廷文化の中で、小野小町はどのように生きたのかと、その最後を語るとされる玉造小町子社衰書(たまつくりこまちそうすいしょ)について調べていきましょう。
マスコットのね〜ぼです。わくわくするね!でも、話が長くなりそうだし、ちょっとおやつを取ってくるね!
ね〜ぼらしいですね
小野小町の伝説と真実
さて、平安時代の謎多き歌人、小野小町についての基本情報を解説しますね。
小野小町は、平安時代前期の9世紀頃に活躍した女流歌人です。
六歌仙、三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人であり、その美貌と歌才で知られています。
小町の生没年不明ですが825年 – 900年の頃なのではないかと言われています。
出身地は諸説ありますが、秋田県湯沢市が有力とされています。
小町は幼い頃から美貌で知られており、その噂を聞きつけた天皇から宮中に呼ばれました。
宮中では、その美貌と歌の才で天皇や貴族たちを魅了しました。
小町は、多くの男性から求愛を受けましたが、誰にもなびかず、独身を貫いたといわれています。
その理由は、勝手に推察するに恋愛よりも歌を愛し、自由に生きることを望んでいたからではないでしょうか。
へ〜、すごい人だったんですね。
それで小野小町って、どんな歌を歌ったんですか?
小町の歌には、いろんな歌がありますが、特に恋の歌で知られる方ですね。
他にも自然、人生など、さまざまなテーマを詠んだものが多く、その繊細な感性と表現力が高く評価されているんです。
実際、彼女の歌は『古今集』や『後撰和歌集』に収められているんです。
けど、中には偽作の可能性もあるなんて言われてますけどね。
ええ?偽作なんてものもあるんですか?
そうそう、小町の経歴についても多くの謎があるんです。
でも小野小町の大きな特徴と言ったら、なんと言ってもその美貌ですね。
美しい歌人として広く知られていて、彼女にまつわる様々な伝説や説話が語られているんです。
もちろん、写真なんてない時代ですから、ほんとに美人だったかはわかりませんが、小野小町の歌からは相当モテていた事がわかるんです。
とはいえ、当時の女性のモテる要素としては、和歌がうまいとか教養があるとかも大きな要因だったので、容姿については疑問視してる方も多いみたいですけどね。
そんなにモテたってって事は、美味しいものたくさん食べさせてもらえそうですね
それなら私もモテたいです!
ルファさん、小野小町のモテエピソードってどんな話が残ってるんですか?
そうですね
そしたら、小野小町の生まれたとされる秋田に残る伝承を一つ紹介しましょう
秋田に残る小野小町の物語
秋田に残る伝承によると、
幼い頃から才能あふれる小町は、歌や踊り、琴、書道など何でもこなし、13歳で都へ上り、都の教養や風習を身につけていたと言われています。
宮中に仕えた小町は、その美しさと才能で比類なき女官として称賛され、その歌は六歌仙、三十六歌仙に残っています。
しかし、彼女は故郷を常に想っていて、36歳の時に宮中を退き、故郷の小野の里へ帰りました。
そこで静かに歌を詠みながら暮らしていた小町に、優秀な官僚の深草少将が会いたいと思い、郡代職を願い出て小野の里へやってきたのです。
少将は恋文を送りますが、小町はすぐには会おうとせず、
「心から慕ってくれるなら、高土手に毎日一株づつ芍薬を植えて百株にしてほしい」
と伝えしました。
実はこの時、小町は疱瘡に苦しんでいて、百夜の間に病気が治ることを願っていたんです。
それを知らず、深草少将は毎日欠かさず芍薬を植え続け、99本になるまで続けたんです。
そして百日目の夜、少将は百本目の芍薬を持って出かけましたが、濡れた橋から川に流され、亡くなってしまったんです。
小町は深い悲しみに暮れ、少将を二ツ森に葬り、99首の歌を芍薬に捧げました。
少将の仮宿だった長鮮寺(ちょうせんじ)には板碑(いたび)を建て、その後岩屋堂で暮らし、自身の像を刻んで92歳で亡くなったという伝承が残っているんです。
この秋田の小野小町の物語は、愛と悲しみ、そして無常の世を象徴しているんです。
彼女の歌とその人生は、今も多くの人々を魅了し続けているんです。
う〜んなんだか、悲しいお話ですね。
モテた故に、深草少将は事故で亡くなってしまって、小野小町も辛かったでしょうね。
この話は能でもよく演じられている話ですよね。
確か、能では、深草少将は最後の日に大雪に飲まれて凍死してしまうような話なんですよ。
でもどちらにしても悲しい最後です。
でも、もっと、辛いお話もあるんです。
それが、玉造小町子社衰書(たまつくりこまちそうすいしょ)という書物なんです。
「玉造小町子社衰書(たまつくりこまちそうすいしょ)」の解説
「玉造小町子社衰書(たまつくりこまちそうすいしょ)」は、かつての絶世の美女、小野小町の悲惨な晩年を描いた作品なんです。
作者は不明で、それが小野小町である確証はないのですが、話の流れから、小野小町ではないかと言われている作品なんです。
内容はこうです。
物語の中で、主人公は街中を徘徊する一人の老女に出会います。
この老女の姿は、非常に哀れで悲惨な状態でした。
彼女の体はやせ衰え、髪の毛は枯れたヨモギのようで、肌は凍って萎びたナシのよう。
骨や筋が浮き出ており、顔色は黒ずんで歯は黄ばんでいた。
さらに彼女は裸足で、着る物すらろくになく、声は震えてかすれ、満足に話すこともできないほど弱っていました。
この老女は、かつては贅沢の限りを尽くした生活を送っていましたが、親兄弟の死によって社会的地位を失い、その後は悲惨な状態に陥ったと語ります。
主人公は彼女に世の無常を説き、老女は極楽浄土へ行くことを願うというストーリーなんです。
そしてその老女こそがかつての絶世の美女、小野小町だったというのです。
彼女の物語は、美しさと名声がいかにはかなく、無常であるかを描いています。
美貌と富を手に入れた人物でさえも、最終的には時の流れの前に無力であることを、この作品は強烈に表現しているんです。
「玉造小町子社衰書」は、小野小町という人物の多面的なイメージを掘り下げ、彼女にまつわる伝説の中で最も哀しく、感慨深い一面を見せている作品なんです。
う〜ん、それってすごく悲しい話ですね。
そうですね。
小野小町の伝説は、彼女の美しさだけでなく、人生の無常や深い感情をも表している
この作品はそれを象徴していますよね。
美と富の一時的な輝きと、時間の経過と共にそれがどのように変わっていくかを、この作品は鮮やかに描いているんです。
でも小野小町の出生とか正確な事がわからないのに、なんでこんな悲しい伝承ばっかり残ってるんですか?
かわいそうです!
なんででしょうね
美しい物への嫉妬心とかもあるかもしれませんね。
でも、小野小町の読んだ和歌が、人生の無情についての作品が多かったというのも、要因なんじゃないかなと思いますよ
というわけで最後に小野小町の一番有名で、百人一首にも選ばれている和歌について考えてみましょう
小野小町の詩「花の色は移りにけりな」
小野小町の有名な詩と言ったら、、『花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」という歌ではないでしょうか?
現代語訳すると
「桜の花の色は、むなしく衰え色あせてしまった、春の長雨が降っている間に。ちょうど私の美貌が衰えたように、恋や世間のもろもろのことに思い悩んでいるうちに。」となります
この詩は、花の色の移ろいやすさを、人の命や恋のはかなさに例えているんです
へぇ、花の色が変わるって、どういう意味なんですか?
この詩では、花が季節の変化によって色を変えるように、人の運命や感情も刻一刻と変わっていくことを表現しているんです
小町は自身の身の上を振り返りながら、世の無常を嘆いているような感じがしますよね
小町の詩は、彼女の人生の豊かさと、その後の悲哀を感じさせる
この詩一つを取っても、彼女の深い感情が伝わってきますよね。
うーん、でもなんだか悲しいですね。
美しさがなくなるのってさみしいですよね。
その通りですね。
でも、この詩の美しさは、そのはかなさにもあるんです。
小町は、美しさが一時的なものであることを悟り、それを詩に託しているんじゃないかなって思います。
小町の詩は、美しいものの儚さ、そして人生の無常を美しく、しかし力強く伝えています。
それが、彼女の詩の魅力の一つですね。
いかがでしたでしょうか?
さて、今日は小野小町の伝説や彼女の詩についてたくさん学びましたね。
彼女の人生は、美しさと才能があっても、最終的には無常の風に吹かれるということを教えてくれるんです。
小町の詩は、ただ美しいだけでなく、深い感情や人生の真実を映し出しています。
それが、時間を超えて多くの人々に影響を与え続ける理由なんでしょうね。
うん、でもちょっと悲しい話も多かったです。
でも、その悲しみの中にも、なんか大事なことが隠れている気がします。
確かに悲しい話もあったけど、それもまた人生の一部ですね。
小町の詩や伝説は、人間の感情の深さや生きることの複雑さを教えてくれる。
それが、僕たちが今も彼女に魅了される理由なんです。
彼女の物語は、美しさや愛だけでなく、人間の一生という大きなテーマを包括しているんです。
次は、もっと楽しい話をしょうよ!
もちろんです、ね〜ぼ。
歴史には楽しい話もいっぱいあるから、次回はそんな話題をピックアップしてみましょう!
最後までお読みいただきありがとうございました。
⚫️玉造小町子壮衰書 小野小町物語
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