弥生人の日常生活!魏志倭人伝から読み解き分かりやすく解説

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日本史
魏志倭人伝と邪馬台国

中国の書物である魏志倭人伝には当時の日本の事が書かれています。
日本人の当時の暮らしや、邪馬台国への行き方、卑弥呼の事、政治組織、社会の特徴、文化的な特徴などなど。
これらを読み解くと弥生時代の人々の生活が見えてくるのです。

ルファ
ルファ

こんにちは、素人歴史研究家ルファです。

エヌ
エヌ

助手のエヌです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

ね〜ぼです。

ルファ
ルファ

いやいや、日本の弥生時代って謎が多くて調べ甲斐がありますよね〜。

エヌ
エヌ

ですね。
ここ数回、邪馬台国の新発見や、魏志倭人伝の嘘など都市伝説みたいな内容の話なんてものあって本当に面白いですよね〜!

ね〜ぼ
ね〜ぼ

そ〜ですね。
弥生時代の雰囲気がなんとなくわかってきました〜!
でも、根本的に魏志倭人伝っていったい何が書かれてるんですか?
日本の事が書かれてるというのはなんとなく理解してますが、もっと具体的な事が知りたいです〜。普段の生活とか、食べ物とか!

ルファ
ルファ

ね〜ぼ、よく言ってくれました。
魏志倭人伝の内容!いいですね!
では今回は魏志倭人伝の内容からわかる人々の生活にフォーカスして詳しく内容を調べてみましょう🎵

ルファ
ルファ

まずは政治組織から見てきましょう!

政治組織

ルファ
ルファ

魏志倭人伝には倭人の政治組織についても触れられています。倭人の国家は複数の小さな国が連携し、1つの女王が統治しているとされています。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

卑弥呼の事ですね〜!

エヌ
エヌ

そうですね。そして女王は儀式的な儀礼を行い、臣下たちと共に力を合わせて国を統治していると述べられています。

女王の統治

ルファ
ルファ

もう少し、女王の統治について詳しく解説しますね。

倭人の政治組織は、複数の小さな国が連携して構成されており、1人の女王(卑弥呼)が統治しているとされています。女王は倭王とも呼ばれ、その存在が政治的な中心となっています。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

卑弥呼は宗教的権威を背景に持っていて、魔法みたいな呪術によって人々を巧みに統率していたそうですよね。

エヌ
エヌ

魔法というと非現実的ですが、鬼道(きどう)という占いみたいなものですね。

女王の補佐

ルファ
ルファ

女王のもとには多くの臣下や役人がおり、女王の補佐や政治的なサポートを行っていました。女王の側近や重臣たちは、政治的な決定や行政の実務に関与し、国家運営に貢献していました。

エヌ
エヌ

彼女には夫はいませんでしたが、代わりに弟がいて、その弟が政治的に補佐してたようです。

儀式と祭祀

ルファ
ルファ

倭人の政治組織は、儀式や祭祀の実施も重要な要素として含まれています。
女王や臣下たちは、特定の儀式や祭祀を行い、神々への奉納や祈りを捧げることで、政治的な権威を示し、国家の繁栄を願っていました。

エヌ
エヌ

特別な場合には、骨を焼いて割れ目を見て吉凶を占う「ト(ぼく)」という占い方法があります。ト(ぼく)では、占う内容を告げた後、骨を火で焼いてできる割れ目を見て吉凶を判断しいたそうです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

それで何がわかるだろ?

ルファ
ルファ

ね〜、何がわかるでしょうか?

調べたけど、結局わかりませんでした〜!


社会の特徴

ルファ
ルファ

魏志倭人伝によれば、倭人社会では家族や部族単位で結束して生活していることが示されています。また、倭人たちは戦争によって領土を拡大し、戦争技術や武器にも熟知していたと記されています。

家族や部族の結束

ルファ
ルファ

倭人の社会は、家族や部族の結束が重要な要素とされています。倭人たちは家族単位や部族単位で結束し、互いに支え合いながら生活していました。このような結束は、社会の安定や連帯感の形成に寄与していました。

エヌ
エヌ

人々は父と子、男性と女性の区別なく会合で話し合い、お酒を好んでいたようです。
敬意を示す作法は、拍手したり、うずくまって拝むことです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

へ〜、今と変わらないんですね〜!
あたり前といえば、当たり前ですが、改めて考えるとちょっとほっこりしますね〜

ルファ
ルファ

人々は長寿で、100歳や80歳の人もいます。
身分の高い人は4人や5人の妻を持ち、身分の低い人でも2人や3人の妻を持つこともあります。
女性は慎み深く、嫉妬しない性格です。
盗みやケンカも少なかったみたいですよ。

戦争と領土の拡大

ルファ
ルファ

倭人社会では卑弥呼が現れるまでは戦争が盛んであり、領土の拡大が行われていました。
倭人たちは武器や戦闘技術に熟知しており、戦争によって領土を拡大していきました。
また、倭人の社会は戦争を通じて社会的な序列や地位が形成される一方で、勇気や武勇を重んじる風習も存在していました。

エヌ
エヌ

兵器は矛、盾、木製の弓を使用していて、弓は、下部が短く、上部が長くなっている特徴があります。
矢は竹で作られており、矢の先端には鉄や骨の矢じりがついていたそうです。

畑作と漁業の盛んさ

ルファ
ルファ

魏志倭人伝によれば、倭人の社会では畑作と漁業が盛んであったとされています。山と海に囲まれた地域に位置していた倭人は、農業と漁業を通じて生活を営んでいました。特に、水稲の栽培が行われ、豊かな農産物が生み出されていました。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

魚も山の木の実も好きです〜!
幸せですね〜!

社会的な階層

ルファ
ルファ

倭人社会には社会的な階層が存在していたとされています。
女王をはじめとする統治者や貴族層が上位階層に位置し、それに続く臣下や役人、一般の人々が下位階層に属していました。
一般庶民は、支配階級の大人と道で出会った場合、道を空けるために草の中に入り、地面にひざまずき、両手を地につけて大人に敬意を示さなければなりませんでした。

エヌ
エヌ

ルールを破る者に対しては、軽い場合は妻と子供を没収されるんですって。
重い場合は一族全体が根絶されます。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

一族根絶??

ちょっと怖くないですか?


文化的な特徴

ルファ
ルファ

魏志倭人伝では、倭人の文化的な特徴についても触れられています。
たとえば、倭人の服装や髪型、食事の習慣、葬儀の様式などが言及されています。

服装と髪型

ルファ
ルファ

男性は髷(まげ)を見せるようにし、頭に木綿の布を巻いています。
服装は幅広い布を結び合わせているだけで、ほとんど縫われていません。
女性は髪に被かぶり物をして後ろで束ね、服装は単衣(裏地のない着物)のように作られており、中央に穴が開いた貫頭衣(穴に頭を通して着るタイプの服)を着用しています。

食事の習慣

ルファ
ルファ

倭人の食事の習慣についても一部が触れられています。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

食事?弥生人は何食べてたんですか?

エヌ
エヌ

ね〜ぼは食べ物の事になるとテンション上がりますね〜

ルファ
ルファ

魏志倭人伝によれば、倭人は主に米飯を食べ、それに魚や野菜を添える食事をしていたとされています。また、酒の文化も存在し、祝い事や儀式の際には酒を飲む習慣があったとも記されています。
穀物には米、あわ、ひえ、きび、大麦、小麦などがあります。
他にも木の実、まめ類、野生動物、魚、貝類など、多くの種類の食べ物を食べていたようです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

へ〜、意外とたくさんの食材を食べてたんですね〜!

葬儀の様式

ルファ
ルファ

倭人の葬儀の様式についても一部が言及されています。
魏志倭人伝によれば、人が亡くなると、棺はありますが外枠はなく、土をかぶせて塚を作ります。
亡くなってから約10日間は喪とされ、その間は肉を食べません。

喪主は悲しんで泣き叫び、他の人々はお酒を飲んで歌い舞いを踊ったそうですよ。
埋葬が終わると、家族は水に入って身を清めます。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

死という概念の捉え方は昔も今と同じく重たいものなんですね〜!

エヌ
エヌ

ちなみに卑弥呼が亡くなった時は、彼女と一緒に狥葬者として奴隷約100人が一緒に埋葬されました。彼らを含めた大きな塚の直径は約100歩(約144メートル)ほどあったと言います。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

え?100人の奴隷?

そこの概念は今では理解できませんね〜!

ルファ
ルファ

いかがでしたでしょうか?

以上が魏志倭人伝に書かれた当時の弥生人の生活です。

魏志倭人伝によって当時の和人の生活が明らかになりました。

そうですよね〜、当時の生活を文字として残しているのは魏志倭人伝だけですもんね。

もし、魏志倭人伝がなければ、ここまで詳細に当時の事はわからなかったって考えると、魏志倭人伝様様です。

エヌ
エヌ

ちなみに卑弥呼が亡くなった時は、彼女と一緒に狥葬者として奴隷約100人が一緒に埋葬されました。彼らを含めた大きな塚の直径は約100歩(約144メートル)ほどあったと言います。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

弥生人も家族が亡くなったら泣いて悲しむし、皆でお酒飲んで踊ったり、現代人と一緒の所もいっぱいあって楽しかったです。

弥生時代のおすすめの本⇩

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