日本、いや、世界の考古学は日夜新たな発見をし続け、ニュースになっています。
今までの当たり前の歴史知識が、考古学の発見でひっくり返るなんて話もありますよね。
というわけで、今回は、2023年の9月にニュースになった記事を要約し、あたらめて知識をアップグレードしていきましょう🎵
こんにちは、素人歴史研究家ルファです。
こんにちは、助手のエヌです。
こんにちは、マスコットのね〜ぼです。
ということで今回の記事は2023年9月にあった面白い考古学のニュースを3っつピックアップして要約とそれぞれの感想を述べていきましょう。
毎月、たくさんの新発見があるんですね。
ほんと驚きです〜。
ね〜。僕もこんなにニュースがあるなんて知りませんでした〜!
今回は以下の三つのニュースを取り扱いますね。
・吉野ヶ里遺跡の発掘調査が再び注目の的!
・奈良県桜井市の古墳からの驚異的な発見!
・法隆寺近くの“植え込み”が古墳であることが判明
↑YouTubeもやってます。動画で見たい方はこちら↑
それではまずは「吉野ヶ里遺跡の発掘調査が再び注目の的!」のニュースから!
吉野ヶ里遺跡の発掘調査が再び注目の的!
佐賀県の吉野ヶ里遺跡で10年ぶりの発掘調査が行われ、全国からの注目が集まっています。この遺跡は、国内最大規模の弥生時代の集落として知られ、古代史の大きな謎「邪馬台国」を思い起こさせる存在としてブームを巻き起こしました。今回の調査では、未調査だった「謎のエリア」から石棺墓が出土。副葬品は見つかっていませんが、弥生時代後期の有力者が埋葬されていたとの見解が出ており、石棺内の赤色顔料や線刻の分析が待ち遠しいところです。
9月にはさらなる調査が予定されており、新たな発見に期待が高まっています。
謎の赤色顔料と石蓋の線刻、その意味は?
赤色顔料って、何?美味しいんですか?
食べ物ではありませんよ。赤色顔料は、古墳時代の人々が墓に使用していたもので、魔除けや防腐効果を期待して使われていたと考えられています。
つまり位が高い方のお墓にしかないものなんです。
石棺墓の内部には、赤色顔料が塗られており、この顔料の成分分析が今後の焦点となっています。
また、石棺の石蓋には謎の線刻が施されており、これが何を意味するのかの解明も注目されています。特に「×」のマークは、邪悪なものを防ぐシンボルや霊を封じる意味があるとの指摘も。
邪馬台国論争、その真実は?
邪馬台国の存在とその所在地は、日本の古代史の中でも大きな謎とされてきました。この遺跡からの新たな発掘調査により、邪馬台国に関する論争が再燃しています。
邪馬台国は、古代中国の歴史書「三国志」に記されており、日本の古代国家の一つとしてその存在が知られています。その所在地については、奈良や九州など、さまざまな説が提唱されてきました。
特に、吉野ヶ里遺跡は卑弥呼の宮室や城柵を思わせる遺構があり、邪馬台国の可能性が高まっているんです。
この論争に終止符を打つ決定的な証拠が見つかる日を、全国の歴史ファンは心待ちにしています。
奈良県桜井市の古墳からの驚異的な発見!
奈良県桜井市の桜井茶臼山古墳(さくらいちゃうすやまこふん)から、14年前に大量に出土した青銅製の鏡の破片が、再度の分析により、もともと100枚以上の鏡だったことが判明しました。これは、一つの古墳から100枚以上の鏡が出土した初めての例となります。
特に注目されるのは、「三角縁神獣鏡」で、26枚が出土。この鏡には、邪馬台国の女王、卑弥呼が中国から授かったとの説も存在します。
邪馬台国との深い関連性
大阪大学の教授は、出土した鏡の数と種類から、この古墳と邪馬台国の女王、卑弥呼との深い関連性を指摘しています。特に、「画文帯神獣鏡(がもんたいしんじゅうきょう」は、邪馬台国の時代と重なる奈良県桜井市のホケノ山古墳でも見つかっており、卑弥呼が政治的に使用していたのではと言われています。
大阪大学の福永教授は、この古墳が邪馬台国の所在地として非常に有力であるとの見解を示しており、邪馬台国からヤマト政権への連続性が明確になる可能性があるとしているんですって!
桜井茶臼山古墳の重要性
桜井茶臼山古墳は、約1700年前の古墳時代前期に築かれた全長200メートルの巨大な前方後円墳で、国の史跡にも指定されています。過去の発掘調査では、多数の副葬品が見つかっており、ヤマト王権を率いた王の墓ではないかとの指摘がある。
特に、古墳の中心部の埋葬施設の石室が全面に赤い顔料で塗られていたことや、埋葬施設を囲む柱の列の跡が国内の古墳で初めて見つかったことなど、桜井茶臼山古墳の調査成果は、古墳時代の王の墓を解明する上で非常に貴重であると注目されています。
三角縁神獣鏡
「三角縁神獣鏡」は、古代中国および古代日本で作られた青銅製の鏡の一種です。特に、日本の古墳時代において、重要な副葬品として多数出土しています。
以下、三角縁神獣鏡の特徴や背景について詳しく説明します。
デザインと特徴
この鏡の名前は、鏡の縁が三角形の断面を持っていることから「三角縁」と呼ばれ、表面には神や獣の姿を模った装飾が施されていることから「神獣鏡」と呼ばれます。
その装飾は、中央の突起(鏡芯)を中心に放射状に配置され、さまざまな神話的な生物や幾何学的な模様が描かれています。
背景
三角縁神獣鏡は、古代中国の後漢時代から三国時代にかけての製品とされ、これらの鏡は日本にも伝わりました。
日本では、特に古墳時代の初期から中期にかけての首長や有力者の墓から多数出土しています。
これは、当時の日本の首長階級が中国の文化や技術を高く評価し、それを身につけることで権威を示そうとした結果と考えられてるんですって!
邪馬台国との関連
邪馬台国の女王、卑弥呼が中国の魏の皇帝から贈られたとされる「親魏倭王」の金印とともに、三角縁神獣鏡もまた、卑弥呼との関連が指摘されることがあります。これは、卑弥呼が中国との外交関係を持っていたこと、および三角縁神獣鏡が当時の日本の首長階級の間で非常に価値のある品とされていたことから、卑弥呼との関連が考えられるのです。
三角縁神獣鏡は、古代日本の首長階級の権威や、日本と中国との文化的・外交的な交流を示す重要な遺物として、考古学や歴史学の研究において非常に価値があるとされています。
法隆寺近くの“植え込み”が古墳であることが判明
世界遺産である法隆寺の参道脇の駐車場にある“植え込み”が、実は6世紀後半の古墳「舟塚古墳(ふなづかこふん)」であることが明らかになりました。この地は地元で“ただの植え込み”として認識されていましたが、国有地であり、「古墳」という文字が看板に記載されていました。奈良大学などの調査により、地中から石室の一部や装飾性の高い土器が発見されました。
舟塚古墳の被葬者と出土品
舟塚古墳には地元の首長クラスとされる2人が埋葬されていたと考えられています。
石室からは飛鳥時代の瓦が出土しており、特に注目されるのは、天井石が抜き取られ、法隆寺の建立などに利用された可能性があることです。
法隆寺建立は607年なので、その関連も気になりますよね。
天井石の持ち去りの背景
今回の発見に協力をした教授によれば、天井石の持ち去りが主目的であり、副葬品の盗掘は行われていないとのこと。
埋葬からそれほど時間が経過していないため、当時の人々は誰の墓であるかを知っていた可能性があり、そのため「徹底的に壊すとまずい」と判断されたのかもしれません。
これらの要点から、法隆寺近くの“植え込み”が実は重要な古墳であったこと、その古墳の被葬者や出土品の背景、そして天井石の持ち去りの理由など、舟塚古墳に関する多くの興味深い情報が明らかになったことが理解できます。
以上3つが今回、素人歴史研究家ルファが厳選した2023年9月のニュースです。
このように日本では日夜、新しい発見がなされて、もしかしたら、教科書が変わるようなニュースも今後どんどん出てくるかもと考えると、ロマンがつきませんよね。
新たな発見が楽しみです〜。
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