忍者起源説!日本の忍者のルーツは日本神話!古事記のあの神!?

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日本史

前回は忍者起源説が中国だったというお話を記事にさせていただきました。
太公望や徐福、孫子など伝説的な人物が忍者の起源だったかもしれないというお話でした。


⇩前回の記事⇩

忍者起源説!術の起源は古代中国から!?孫子や太公望、徐福が源流か?
忍者は、日本の戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍したとされる特殊な戦闘員やスパイです。その起源は詳しく分かっていない部...

今回は日本の忍者の起源説について記事にさせていただきます。
日本神話の神様や誰でも知ってるあの人も関係している!?なんて話もあるので、ぜひ最後までお読み下さい。

ルファ
ルファ

こんにちは歴史素人研究家ルファです。

エヌ
エヌ

助手のエヌです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

ね〜ぼです。

ルファ
ルファ

前回は忍者の術の起源が古代中国にあったという話をさせていただきましたよね。

エヌ
エヌ

はい、孫子などの兵法は敵を欺いたり、情報によって撹乱させたり、忍者っぽい隠密活動の元となる事などがありましたよね。

中国は4000年の歴史は伊達ではないですよね〜。

ルファ
ルファ

ですね。

それでは一方日本はというと、実は日本も負けてないんですよ!
なんと神話に出てくるあの神様が、忍者を使ったなんて話や、ある動物が忍者の起源だったなんて話もあるんですよ。

エヌ
エヌ

きっちりしたい私としては眉唾ものですが、ちょっと興味はあります

ね〜ぼ
ね〜ぼ

動物ってなんですか〜?
私ですか〜?
私も忍術使えるんですか〜?

ルファ
ルファ

まあ、まあ、その辺の解説を今回の動画でしていきますね。

それでは日本の忍者起源説是非最後までご視聴お願いします。

日本の忍者はスサノオ!?

日本で最も古い忍者の起源を噂される人物は日本神話の神様のスサノオなんです
こちらのチャンネルでも何度か日本神話においては解説しておりますが、スサノオと言ったら、天皇家につながるアマテラスの弟で、天界でのイタズラが過ぎて、高天原を追放された神様ですよね忍者起源説が疑われているのは、スサノオの八岐大蛇伝説での話です。
物語によると、天界から追放されたスサノオが歩いていると、ある家から人の泣く声が聞こえてきました。
家を覗くと、老夫婦と若い娘が偉く落ち込んでいました。
訳を聞くと、八岐大蛇という大蛇に年に一度村の若い娘を生贄に指す出す事となっており、今年は、その娘だというのです。
それを聞いたスサノオは大蛇を酒で酔わせてから、八つ首と尾を切り八岐大蛇を退治し娘を助けるというお話です。
この時の娘はクシナダ姫といい、スサノオの妻になるのですが、大蛇退治の際、そのクシナダ姫を櫛にかえて、身につけ、八岐大蛇を退治したと言われており、人を櫛に変える事が忍術だというところから、スサノオ忍者説が生まれたそうです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

ほんとにスサノオが忍者の起源だとしたら、日本の忍者文化は神話から生まれたんだってことなんですね!
それはすごい事ですね〜!

エヌ
エヌ

でも、スサノオが忍者の起源だという説は、あくまでも噂であり、確たる証拠がないんですよ。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

でも、クシナダ姫を櫛に変える話は面白いですね。

ルファ
ルファ

そうですね、自分の姿を変えるへんげの術の応用で、人をものに変えるという高度な忍術の可能性がありますね。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

ということは、スサノオは原初の忍者で相当な腕前だったんでしょうか?

エヌ
エヌ

いや、だからあくまで伝承のお話ですよ。

雉説

さて、次はこれも神話の話なのですが、スサノオの時代より少しあと、国譲り神話という話があります。
この神話は、日本の歴史において非常に重要な役割を果たしています。
この神話には、地上の神と天界の神との間の摩擦、そしてそれぞれの立場や力関係が描かれており、日本古来の信仰観や世界観を反映しています。
さて、国譲り神話において、スサノオの子孫のオオクニヌシが地上世界を治めることになりましたが、そんな中、アマテラスから国を譲ってくれないかという事漬けを受けた天の使いのアメワカヒコという神がオオクニヌシの前に現れました。
オオクニヌシは、自分がせっかく治めた国をそのまま譲渡することに消極的でしたが、かといって天からの使いのアメワカヒコを追い返すわけにもいきませんでした。
しかし、このような状況に陥っても、オオクニヌシは冷静でした彼は、アメワカヒコをもてなし、寝返らせることにより、国を譲ることなく、守りました。
このエピソードは、孫子の兵法の「戦わずして勝つ」を思い出させますね。
しかし、天界では、いつまで経っても帰ってこないアメワカヒコを不審に思い、雉を使って様子を見に行かせました。
しかし、地上でもてなされ、快適に過ごしていたアメワカヒコはその雉に気づき、矢で撃ち殺してしまうのです。
亡くなってしまったといえ、密偵のようなこの雉の働きから、雉こそが日本の忍者の起源とする説ができたのです。
ちなみに、アメワカヒコはその後、「やましい気持ちを持つ者を撃ち抜く矢」というものを天界から射られ、それに打たれて亡くなってしまいます。
その後国譲り神話は、天津神最強の神、タケミカヅチが地上に降りてきて、タケミナカタとの戦いになり、天界の神の勝利で終わります。

エヌ
エヌ

おお、国譲り神話ですね!
日本の古代神話の中でも、特に重要な話ですよね!
一見、タケミナカタとタケミカズチの戦いが一番盛り上がる所ですが、そんな事もあったんですね。

ルファ
ルファ

そうですね。
実はタケミカズチの前のアメワカヒコ以外にも天界からの使者はいたんです。
オオクニヌシはそれをことごとく言いくるめて仲間にしちゃったんですって!

ね〜ぼ
ね〜ぼ

だから、天界の最強の神様が最後に来たんですね~。

ルファ
ルファ

そうですね。
それにしてもアメワカヒコが天界から射られた矢に打たれて亡くなってしまうという展開は、裏切り者はこのようになってしまうという教訓が含まれているようで、僕らにとって重要なメッセージを伝えてくれる気がしますね。

道臣命(みちのおみのみこと)と大伴細人(おおとものさいにゅう)

次は道臣命(みちのおみのみこと)と大伴細人(おおとものさいにゅう)を一緒に紹介します
道臣命(みちのおみのみこと)と大伴細人(おおとものさいにゅう)と聞いてもピンとこない方も多いのではないでしょうか?
しかし、この二人とも偉人に仕えた方々なんです
まず道臣命(みちのおみのみこと)ですが、こちらの方もまたまた神話の話になります
日本における最古の歴史書のひとつである『日本書記』には、国内で初めて忍術を使ったとされているのです

道臣命(みちのおみのみこと)は、あの神武天皇が日本国を建国するために東征した際の先鋒を務め、日本で最初に忍術を用いたとされます

日本建国は神武東征神話とされ、日本の歴史書『古事記』や『日本書紀』に登場する神話で、アマテラスの孫ニニギが天界から九州に降り立ち、その子孫である神武天皇が東方に向かって征服を行い、日本を統一したとされる物語です

その際、日本統一を導いた八咫烏とともに先鋒、道案内で活躍したのが、道臣命(みちのおみのみこと)です。

『日本書紀』や『旧事本紀(くじほんぎ)』によると、神武天皇の密策で「諷歌倒語(そえうたさかしまごと)の術」を用い、歌や言葉に暗号を組み込むことで敵に悟られず作戦を実行したとされます。
そして、古代の最後の忍者起源説はなんと聖徳太子の配下の大伴細人(おおとものさいにゅう) に辿り着く説があります。
江戸時代前後の忍術書『忍術應義伝』によると、甲賀地方の馬杉(ますぎ)に住む大伴細人(おおとものさいにゅう) は、聖徳太子が忍者として彼を登用したと伝えています。

ちなみに細入と書いて細人(さびと)とも呼ばれています。
大伴細人の伝説によると、彼はある日、不思議な老人から忍術に関する巻物を授かり、その教えを受けたとされています。
また、『忍術應義伝(にんじゅつおうぎでん)』には、甲賀忍者の祖として細人の名が記されています。
聖徳太子と大伴細人の出会いは、物部守屋との戦いに敗れた太子が甲賀に逃げ込んだときに起こりました。このとき、細人は太子の馬を杉に繋ぎ、忍術を使って太子を隠し、追ってきた守屋には別の場所に太子がいると思わせました。太子はのちにこの地域を馬を杉の木に繋いだ事から「馬杉(ますぎ)」と名付けたとされています。


なお、神武天皇の先鋒を務めた道臣命(みちのおみのみこと)の末孫がのちに姓を「大伴」とし、聖徳太子に仕えた大伴細入(おおとものさいにゅう)は彼の子孫だったなんて話もあるんですよもちろん、その真偽は定かではありませんが
大伴氏は天皇家に仕える軍事を司る一族で、のちに姓を伴(とも・ばん)と改め、末裔は甲賀地域に多くの氏族を生みました。
伴、大原、上野、滝、宮島、山岡など「伴党(ばんとう)」として活躍し、甲賀武士の代表的な氏族でした。そして、この甲賀武士がやがて甲賀衆として忍者となりその名を馳せることになるみたいなんです

ね〜ぼ
ね〜ぼ

へ〜、日本の建国に関わった偉人、道臣命か〜!
忍術を使ったって、カッコいいですね〜!
でも道臣命の使った忍術の・・・あれ!?なんでしたっけ?

ルファ
ルファ

諷歌倒語(そえうたさかしまごと)ですよね。
言葉の意味を逆さまにして伝える技術で、相手にはわからないように伝えることができるんですって。

エヌ
エヌ

それで敵を出し抜いたってわけですね。
それにしても聖徳太子が忍者を雇っていたって?それが事実なら驚きですね。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

ほんと、凄いです〜!
ところで、甲賀地方ってどの辺でしたっけ?

ルファ
ルファ

甲賀は滋賀県ですよ。
その辺は山が多くて、忍者が活動するにはうってつけの地形だったんです。

エヌ
エヌ

聖徳太子が忍者を使っていたっていうのは、正史には書かれていないとはいえ、昔の伝承や口伝えの話も踏まえて、いろいろな角度から歴史を掘り起こすのも大切ですよね

エンディング

ルファ
ルファ

いかがでしたでしょうか?
日本の忍者起源説も中国に負けないくらいすごい話があったのではないでしょうか?

エヌ
エヌ

そうですね!
すごいというか、なんというか・・・

ね〜ぼ
ね〜ぼ

いや、すごかったですよ。
忍者は昔、神様だったり、神様に支えた人だったり、聖徳太子の部下だったり・・。
これは尊敬に値しますよ。

エヌ
エヌ

もちろん、それが全て本当だったとしたらですけど・・・

ルファ
ルファ

本当のところどうなんでしょうかね。
今回は日本の古代忍者起源説を解説しましたが、次回は、忍者が活躍した時代、つまり戦国時代の忍者について解説しますね。
こちらはこちらでまた面白い話がたくさんあるんです。

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