日本の歴史には、まだ明かされていない謎がある・・
古代の歴史書物に隠された秘密とは?
こんにちは素人歴史研究家ルファです。
日本の飛鳥時代から奈良時代、一つの大きな変革が起こっていました。
それは、律令国家の成立です。
この時代、日本は急速に変わり始め、新しい制度や文化が芽吹いていました。
そして、この変革の中で、歴史や文化を後世に伝えるための重要な役割を果たすべく、歴史書物の編纂が始まったのです。
古代の日本、まだ文字文化が根付いていない時代。
しかし、周りの大国、特に中国の唐との交流を通じて、日本は新しい知識や技術、そして文化を取り入れていきました。その中で、日本独自の歴史や文化を形成し、それを記録することの重要性が高まっていったのです。
この背景の中で、日本書紀を含む、六国史や古事記、風土記などの歴史書物が生まれました。
これらの書物は、日本の歴史や文化の原点を示すものであり、古代日本史好きの僕らにとって非常に価値のある宝物となっています。
これらの書物を通じて、古代の日本の姿を知ることができ、また、現代の日本文化や価値観の起源を探る手がかりとして利用することができます。
日本古代の歴史書物は、その時代の背景や状況を反映しており、僕たちにとって非常に重要な情報源となっています。これから、その詳細な内容や魅力について深掘りしていこうかと思います。
数多くの古代の書物
さて、日本古代の歴史書物、特に六国史、古事記、風土記と、その中で失われたとされる国記・天皇記についてです。これらの書物は、なぜ書かれ、そしてどのような内容が記されているのでしょうか?
六国史
その名の通り、6つの正史から成り立っています。日本書紀もこの六国記の一つです。
これらは、日本の歴史を系統的に記述し、国家の正統性や歴史的背景を示すために作成されました。
古事記
そして、古事記は、日本の神話や伝説、歴史を物語で記述したもので、日本最古の歴史書とされています。
古事記はどちらかというと国内向けの書物ですね。
風土記
風土記は、国全体というより、各地の風土や伝説を記したもので、日本の多様性や地域性を感じることができる書物です。
国記・天皇記
そして、最も興味深いのが、失われたとされる国記・天皇記。
これらの書物は、なぜ失われたのか、そしてその内容や意義は何だったのか。これらの謎を解き明かすことは、私たちにとって非常に魅力的な挑戦となるのです。
古史古伝
他にも、古史古伝と言われる、信憑性は薄いとされながら古代日本史において絶大な人気を博す書物もあるんです。
この古史古伝に関しては、また色々調べてみようかと思います。
それでは、これらの歴史書物の魅力や意義、そしてその背後に隠された物語を一緒に探求していきましょう。
具体的な内容
それではこれら書物の具体的な内容について解説していきますね。
六国史
日本古代の歴史を綴った6つの正史、それが六国史です。
六国史というだけあって、六つの書物の総称です。
これらの書物は、日本が律令国家として成立し、中央集権的な体制を築く過程で編纂されました。
中央集権的というは「これから天皇中心で日本がまとまっていくぞ〜」というものですね。
なので六国史の目的は、日本の歴史を系統的に記述し、国家の正統性や歴史的背景を示すこと。
つまり、これらの書物を通じて、日本の歴史や文化の原点を知ることができるんです。
古事記
古事記は、日本の神話や伝説、歴史を物語で記述したものす。
神々の世界から人々の世界へと移行する過程を描写しており、日本の起源や文化、価値観を知る上で非常に重要な書物です。
古事記は、日本文化の原点としての位置づけがされており、僕たちのルーツを知るための貴重な手がかりとなっています。
3部構成となっており、特に1部の神々の神話のあたりは奇想天外なエピソードが盛りだくさんで、かなり面白いです。
風土記
風土記は、各地の風土や伝説を記したもので、日本の多様性や地域性を感じることができる書物です。
風土記は各地域の風土記があるのでたくさんあったのですが、現代までのもる原本はなく、写本が残ってる風土記もそんなに多くはないようです。
しっかり写本が残っているのは出雲国風土記のみ、一部欠落してるけどというものが4つ、他は逸文として他の書物に残っているものだそうです。
逸文というのは、後世の書物に「どこどこの風土記にこう書いてありました」という又聞きの情報という感じです。
こちらは国家が地方に命令して作らせたものですが、地方にいる人が書いた物が多いので、地方地方の独特な物語があったり、地名の由来や特産物などが書かれているので、各地域の特色や文化や歴史の深さを感じることができるんです。
国記・天皇記
そして、最も興味深いのが、失われたとされる国記・天皇記。これらの書物は、なぜ失われたのか、その謎は今も解明されていません。しかし、これらの書物が存在したこと、そしてその内容や意義を知ることは、僕らにとって非常に魅力的な挑戦となります。
関連するエピソード
日本古代の歴史書物は、単なる歴史の記録だけでなく、魅力的なエピソードや伝説が溢れています。
これらのエピソードは、日本の文化や歴史の深さを感じることができるんです。
古事記の神々のエピソード
古事記には、日本の神々に関する多くのエピソードが記されています。
例えば、天照大神が岩戸に隠れて世界が暗闇に包まれた「天岩戸の話」や、火の神カグツチの誕生でイザナミが亡くなる話など、これらのエピソードは日本の神話の中心となっています。
これらの物語は、私たちの心を打ち、日本の神々の世界を深く感じることができます。
風土記の地域ごとの伝説
風土記には、各地の風土や伝説が記されています。例えば、出雲の国の成り立ち物語など、これらの伝説は各地域の特色や文化を反映しています。
ちなみに、出雲のあの半島は、昔神様が、鍬でよその大陸から削りとてきたんですって!
中々豪快なエピソードですよね。
風土記を読みとく事で、日本の多様性や地域性を感じることができるんです。
これらのエピソードや伝説は、日本古代の人々の生活や信仰、文化を知る上で非常に重要です。私たちにとって、これらのエピソードは過去の人々の思いや願い、そしてその時代の風景を感じることができる貴重な手がかりとなっています。
編纂の時系列の整理と謎の天皇記と国記
日本古代の歴史書物は、それぞれ異なる時期に編纂され、その背景や目的も異なります。ここでは、六国史、古事記、風土記、そして国記・天皇記の編纂の時系列を整理してみましょう。
古事記
最も古いものとして、まず古事記が挙げられます。和銅5年、すなわち712年に編纂されました。編算されたのは712年ですが、内容は神々の時代から推古天皇までです。
推古天皇というのは500年代後半から600年代前半の天皇なので、過去の話を集めて、書物を書いた事になります。
六国史
六国史は『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『日本風土記』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』の6冊で、日本書紀は古事記同様神代からの内容となっています。
終わりは、在位687~697年の持統天皇まで。
これは日本書紀を書いてる時代までを記したんだと思われます。
それ以降は、リアルタイムでの歴史を書物に残しているので正確性は格段に上がると言われています。
それはそうですよね。
古事記、日本書紀までは、過去の話を聞いて歴史書を書いていたのですから、正確性が低くても仕方ありません。
逆にそこに想像する余地が生まれるので楽しいですよね。
これら六国史は、日本の歴史を系統的に記述するためのもので、国家の正統性や歴史的背景を示すことを目的としています。
風土記
次に、風土記があります。これは、天平年間、713年頃に国からの命令で編纂が開始されました。なので、完成時期は地域毎違いますが、そのだいぶ後だと思われます。
古事記、日本書紀のプロジェクトが先だったんですね。
イメージでは風土記で地方の情報を得たのち、それらを参考に古事記、日本書紀を作成したのかと思ってましたが、その逆だったんです。
理由は、風土記作成の目的が、中央集権を強固にするための地方の情報収集だったからだそうです。
税金などの徴収の際のため情報ということですね。
国記・天皇記
そして、最も謎に包まれているのが、国記・天皇記です。これらの書物の編纂時期は不明ですが、推古28年(620年)に聖徳太子と蘇我馬子が編纂したとされる歴史書である。
いやいや、不明じゃないの?
と思われると思うのですが、国記・天皇記については、日本書紀に、そういった書物があったという記載があるんです。
日本書紀によると、国記・天皇記は蘇我氏宅に保管されていたようです。
645年に起きた乙巳の変のクーデターの際に、蘇我馬子の子である蘇我蝦夷の家が燃やされ、そのときに焼かれたとされてるんですって。
あるいは国記のみが焼ける前に取り出されて残ったともいわれてますが、国記の存在はその後世に出ることはなく消息不明。
国記に関しての最後の情報は「国記は焼かれそうだったが、なんとか回収して中大兄皇子に渡った」というもの。
ここでまた色んな憶測が生まれるんです。
乙巳の変とは、天皇家を乗っ取ろうとした蘇我氏を成敗した中大兄皇子というのが一般的な解釈ですが、実は、蘇我氏に罪をきせ、当時の歴史書という証拠を隠滅し後に、自分が天皇になるための策謀だったのでは?などなど。
現に中大兄皇子は後に天皇となり、天智天皇として権力を得ることになるのですから。
とはいえ、国記・天皇記が現存していないので真相は闇の中です。
最近、当時の蘇我氏の屋敷の発掘調査が進んでいるようなので、もし、何か発見できれば、真実が見えてくるかもしれませんね。
まとめ
それでは、今回の内容をまとめますね。
主な歴史書物とその特徴
編纂の時系列
国記・天皇記の謎
国記・天皇記は日本古代の謎に包まれた歴史書物です。
推古28年(620年)に聖徳太子と蘇我馬子が編纂したとされるが、具体的な編纂時期は不明。
日本書紀には、これらの書物が存在したとの記載があり、蘇我氏宅に保管されていたとされる。
しかし、645年の乙巳の変で、蘇我蝦夷の家が焼かれた際に、これらの書物も焼失したと言われている。
一部の情報によれば、国記は焼失を免れ、中大兄皇子に渡ったとも。
中大兄皇子は後に天智天皇として即位。この事件には多くの憶測があり、真相は不明。
しかし、最近の発掘調査で、当時の蘇我氏の屋敷に関する新たな情報が明らかになるかもしれません。
エンディング
日本古代の歴史書物は、私たちの文化や歴史の原点を知るための貴重な宝物です。これらの書物を通じて、日本の歴史や文化、そしてその時代の人々の思いや願いを感じることができます。
六国史や古事記、風土記は、日本の歴史や文化の発展を反映しており、それぞれが異なる時期や背景に基づいて編纂されました。これらの書物は、日本の歴史や文化の多様性や深さを知る上で非常に重要です。
そして、失われた国記・天皇記。これらの書物の存在は、日本古代の歴史の中での大きな謎となっています。しかし、その謎が示すのは、私たちがまだ知らない日本の歴史や文化の深さであり、これからの研究や探求の可能性を示しています。
私たちにとって、日本古代の歴史書物は、過去の人々の生活や信仰、文化を知る上での大きな手がかりです。これらの書物の中には、私たちのルーツやアイデンティティが詰まっています。
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