ね〜ぼです。
僕たちの周りには、豊かな歴史を持つ魅力的な観光地が数多く存在しています。
これらの場所は単なる美しい景色や楽しいアトラクション以上のものを提供してくれます。それは、その土地固有の歴史的背景、伝説、そして時には忘れ去られた物語です。
このブログでは、観光地それぞれの歴史を深掘りし、訪れる価値がなぜ高いのか、その背景にあるストーリーを詳しくお伝えします。
歴史を通じて、それぞれの場所がどのようにして今の姿になったのかを探っていきましょう。
前に江ノ島の伝承に関する記事をいくつか配信しておりましたが、
今回は、江島神社の社紋と北条家の家紋の「ミツウロコ」の謎の伝承にについてお話ししたいと思います。
ミツウロコってなんですか?
「ミツウロコ」と言うのは三つの鱗のことですよ!
こんな感じです。
う〜ん、鱗には見えないですね・・
三角が三つあるだけのような・・
ね〜ぼ、よ〜く見てみて!
しっかり見れば、鱗に見えてくでしょ?
う〜ん、鱗、鱗、ウロコ、うろこ・・・
はっ!
確かに鱗に見えました!
ね〜ぼは単純だな〜
で、三つの鱗がなんでしたっけ?
それではこっちもみてください。
おお、ちょっと似てますね。
それでこれがなんなんですか?
ちょっと似てますよね。
最初の黒いのが北条家の家紋で、赤い方が江島神社の社紋なんです。
今日はこの2つは似ているには訳があるんです!
今日はこの紋章に纏わる伝承をお伝えしたいんです。
それは興味ありますね。
でしょ?
それではまずは、北条家と江ノ島の関係についてお話しさせていただきます。
北条家と江ノ島
北条家の背景
北条家は、鎌倉時代に鎌倉幕府の執権として権力を握った家系です。
北条時政(ほうじょう ときまさ)が初代執権として権力を掌握し、その後も北条氏の支配は続きました。
特に第2代執権の北条義時(ほうじょう よしとき)や第3代執権北条泰時(ほうじょう やすとき)など、歴代の執権は幕府の政治を主導しました。
鎌倉幕府は源頼朝が興した幕府ですが、中盤から後半は執権の北条家の方が力を持つため鎌倉時代というと北条家のイメージもかなり強いと思います。
北条家の方は名前が似てて良くわからなくなります〜。
確かに、北条家に限らず、歴史では家系が同じだと名前が似てたりしますからね。
では、一度おさらいしておきましょう。
・頼朝の嫁の政子の父親
・政子の弟
・初代時政の子供
・2代目義時の子供
なるほど〜。
北条家は初代〜3代目まで親子3代で執権だったんですね〜!
そうなんです。
頼朝が亡くなって以降は後継問題で源家はどんどん力を力を失っていくと同時にそれを支える北条家は力が強まっていくんです。
当時の江ノ島の重要性と北条家の関係
江ノ島は、神奈川県藤沢市に位置する小さな島で、古くから信仰の対象となっていました。
特に、江島神社は、海の神、豊穣の神、芸能の神として信仰され、多くの人々が訪れました。
江ノ島はまた、鎌倉とも近いため、鎌倉幕府との関係も深いものがありました。
北条家と江ノ島の関係がよく分かるエピソードは、8代執権の北条時宗の時代です。
時宗は、第8代執権として鎌倉幕府を支配し、元寇(1274年、1281年)の際には元の軍の侵攻を防ぐために尽力しました。
江ノ島は、時宗の祈願の場としても重要でした。
彼は江ノ島弁財天に戦勝祈願を行い、その結果として日本は元の侵攻を退けたと伝えられています。
え?って事は元寇を食い止めたという神風の嵐は、海の神である弁天様の力だったんですね〜。
は〜、僕もね〜ぼのように単純にそう考えられたら、幸せなんですけどね💦
でも、時宗のメンタルケアにはなっていたかもしれませんよね。
そんなこんなで江ノ島弁財天は、北条家の庇護を受け、鎌倉幕府の時代にますます重要な神社となりました。
江ノ島は北条家の信仰の中心地の一つとなり、多くの武士や庶民が参詣するようになりました。
江島神社の社紋と北条家の家紋の伝承
それではここから本題で、なぜ、江島神社と北条家の紋章にミツウロコが使用さてれいるかのお話しです。
室町時代に成立した軍記物語「太平記」にはこんな伝承が残っています。
昔々、北条時政という人がいました。
彼は日本の歴史にとても大切な人物で、鎌倉幕府を作る手伝いをした一人です。
ある時、彼は江の島という場所に行き、家族がこれからもずっと幸せでいられるようにと、神様にお祈りをしました。
時政さんは21日間ずっと祈り続けました。
そして、祈りが終わる夜、突然前に美しい女性が現れました。この女性は弁財天という神様で、赤いズボンに青い服を着ていました。
弁財天は時政さんに話しました。
「あなたの前世は箱根法師という人で、日本中の大事な場所に仏教のお経を納めたおかげで、また生まれ変われたのです。
あなたの家族は日本を治める大切な家になるでしょう。
でも、いつも正しい行いをしないと、家は7代以上続かないかもしれません。
もし私の話が信じられないなら、日本中の神聖な場所を調べてみてください。」
話を終えると、弁財天は突然、大きな龍に変わり、海へ消えていきました。
その時、大きな鱗を3つ落としました。
時政さんはこれを幸運のしるしと考え、この鱗を北条家の家紋としました。
そして、弁財天の言う通りに、日本中の神聖な場所を調べに人を送ったら、本当に「大法師時政」と書かれたお経の筒が見つかったそうです。
その後、北条家は三つ鱗の家紋と共に繁栄し、鎌倉幕府の有力な一族となりました。
すご〜い!!
女神様はお家が7代以上って言ってましたけど、北条家は何代まで続くんですか?
元寇のお話で8代までは続いていましたもんね。
最終的には17代まで続いたんですよ。
ただこれは、執権が変わったのが17回ということで、子孫17代続いたというわけではないんです。兄弟などに執権を移した事もあったので!
吾妻鏡には「9代」とされているので、女神様の7代よりは2代長かったんです。
これも女神様のご加護かもしれませんね。
それではここでね〜ぼと視聴者さんにクイズです。
問題
江ノ島の出現の伝承には、女神様と竜神様が登場します。女神様と竜神様の関係で次のうち、正しいものはどれでしょうか?
1. 女神様が現れたとき、竜神は悪事を働いていたが、女神様に惚れて改心した。
2. 竜神はもともと江ノ島に住んでおり、女神様が来たときに江ノ島を追い出された。
3. 女神様が江ノ島を創造し、竜神はその創造を助けるために現れた。
4. 竜神は女神様は元々人間で、姿をそれぞれの姿に変えられてしまった。
さて視聴者さん、ね〜ぼ、わかりますか?
これは以前の記事にした内容ですよ。
ええ〜?確かに前に聞いた事があるような、ないような・・・
う〜ん、ええっと・・・
あっ、確か、お腹を空かせた竜に、女神様が、しらす丼を作ってあげたて仲良くなったんじゃなかったでしたっけ?
いやいやいや、ね〜ぼ4択ですよ〜!
そんな選択肢はありません。
正解は
1. 女神様が現れたとき、竜神は悪事を働いていたが、女神様に惚れて改心した。
ですよ。
こちらの記事を読み直してみてください。
ね〜ぼにも説明してますよ〜。
なんかお腹空いてきちゃって〜
いかがでしたでしょうか?
ミツウロコの紋章の伝承!面白いですよね〜!
このお話を知って、江ノ島に行くとこのミツウロコの社紋を見つけたくなると思います。
江島神社には社紋が至る所にあるんですよー
隠れミッキーみたいで探すのも楽しそうですね。
そーなんですよ!
観光地の歴史や伝承を知っているとまたそこに行く楽しみが増えて楽しいんですよね。
皆さんも、江ノ島に行く際は探してみてくださいね^^
最後までお読みいただきありがとうございました。
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