マスコットのね〜ぼです。
ね〜ぼ、江ノ島に伝わる誕生の伝承って知ってますか?
はい、なんとなく知ってますよ!
確か鎌倉付近で龍が暴れて、江ノ島が現れて、女神が現れて、なんやかんやあって、丸くおさまった話でしたよね〜。
まあ、そうですけど、ちょっとアバウトすぎですね。
わかりました。僕の方からざっくりお話しますね。
むかしむかし、鎌倉の深沢には五頭竜が住む大きな湖がありました。
竜は洪水や病気を引き起こし、里の人々を苦しめました。
人々は竜を鎮めるために人柱を捧げましたが、竜は暴れ続けました。
552年の大地震で江の島が現れ、天女が五色の雲に乗って島に降り立ちました。
五頭竜は天女に惚れて結婚を申し出ましたが断られました。
龍は今までの行いを反省し、改心して人々を守ることを誓い、天女と結婚しました。
それから竜は日照りの時には雨を降らせたり、台風から人々を守りましたが、最後には力を失い山となりました。
その山こそ、現在の片瀬山で、五頭竜を祀る竜口明神もあります。
60年に一度、五頭竜の霊が江の島へ渡り、女神と再び合わさる巳年式年祭が行われます。
そうでした、そうでした。
で、今回の話は、そんな伝承が残る神秘的な島、江ノ島の誕生以降から現代までどうのような歴史があったのか?と言うお話なんです。
五頭龍の話の続きの実際の歴史って事ですね?
そう言うことです。
もちろん、素人歴史研究家ルファ調べなので、エンタメ感覚でお聞きください。
それでは、江ノ島の歴史是非最後までお読みください。
江島神社について
歴史の話の前に、一応、江島神社についてお話しますね。
江ノ島の歴史を解説する前に、まずは江島神社について簡単にご紹介します。
江島神社には、3つの主要な社があり、それらを総称して「江島神社」と呼びます。この3つの社は、島内に位置しており、それぞれ異なる特徴を持っています。
1. 奥津宮(おくつみや)
最も古い社で、島の奥に位置しています。ここには、多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)という神様が祀られています。
2. 中津宮(なかつみや)
島の最も高い場所に位置しています。ここには、市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)という神様が祀られています。
3. 辺津宮(へつみや)
島の入り口付近、最も低い場所に位置しています。ここには、田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)という神様が祀られています。
これらの3つの社を合わせて「江島神社」と呼ばれています。
それではここでね〜ぼにクイズです。
問題
江島神社では、この三女神を江島大神と称しています。
古くは江島明神(えのしまみょうじん)と呼ばれていましたが、仏教との習合され、ある有名な七福神の人柱と同一神とされました!
その七福神の神様は誰でしょう?
1.恵比寿(えびす)
2.大黒天(だいこくてん)
3.毘沙門天(びしゃもんてん)
4.弁才天(べんざいてん)
さてね〜ぼのわかりますか?
ええ?あまり私を舐めないでください。
簡単です。
答えは4弁才天(べんざいてん)ですよ〜!
七福神で唯一の女性神ですもん!
正解です。流石になめすぎですかね?
失礼しました。
ね〜ぼの言うとおり、仏教との習合によって、弁財天とされたんです。
琵琶を持った女性の神様ですね。
そして、江島弁財天として信仰されるに至り、 海の神、水の神の他に、幸福・財宝を招き、芸道上達の功徳を持つ神として、今日まで信仰されいるんです。
さらに、江島神社に祀られている神様、多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)は、宗像三女神(むなかたさんじょしん)と呼ばれ、日本神話ではスサノオの娘とされる3姉妹でもあるんですよ。
なるほど〜!
ここまでの話をまとめると、ええっと、
江島神社には3つの主要な社(やしろ)があって、これらを合わせて「江島神社」って呼ぶんですね。
島の奥にある最も古い「奥津宮」、島の最も高い場所にある「中津宮」、そして入り口付近にある「辺津宮」で、仏教の弁財天と同一と考えられているんですね。
ってことは、この弁財天が、五頭龍のお話に出てきた女神様なんですか〜?
そうですね。女神伝承と江島神社は深く影響しあってることは間違い無いですね。
江ノ島に行くと、女神や龍に関するものがたくさんあるので、行かれる際は色々探してみてください。
江ノ島の歴史
それでは江ノ島の歴史についてみていきましょう。
むかしむかし、欽明天皇十三年(552年)に大地震が起こり、この出来事が江島神社の創建につながりました。
欽明天皇は、島の南にある竜穴に宮を建て、祭祀を始めるよう命じました。
これが江島神社の始まりです。
552年ってどんな時代ですか?
552年は古墳時代後期ですよ。
実はその年に、初めて百済から仏教の仏像と経文が伝来したようなんです。
なので、この欽明天皇の時代に、仏教を日本で認めるか、認めないかを物部氏や蘇我氏と相談していたようなんです。
へ〜そんな時代に江ノ島が出現したんですね。
ちなみに、江ノ島の地質学の研究では、それぐらいの時代に地震によって隆起した形跡が残っているため、本当に地震で島が現れたようなんです。
時は流れ、672年または700年には、役小角(えんのおづぬ)が江ノ島のほこらで神の啓示を受け、修験道の霊場を開きました。
この地は神聖な場所として知られるようになり、その後、多くの名僧が訪れて修行を積みました。
泰澄(たいちょう)、道智(どうち)、空海、安然(あんねん)、そして日蓮などが御窟で修行をし、神の徳を体験したと言われています。
知らない人がいっぱい出てきました〜。
空海さんと、日蓮さんは聞いたことあります。
確かに空海と日蓮は有名ですね。
空海は、奈良後期から、平安初期のお坊さんで、真言宗の開祖、
日蓮は鎌倉時代のお坊さんで、日蓮宗の開祖ですもんね。
空海は平安時代の家柄はそんなに大したことないのですが、とにかく超天才で出世したお坊さんで、日蓮は、鎌倉時代、仏教のたくさんの宗派が生まれたんですが、他の宗派をとことん批判した方で、キャラクターとしても面白いんですよ。
へ〜そ〜なんですね。
さっきの人物名の中で役小角(えんのおづぬ)って方が修験道の霊場をたと言ったんですけど、この方もめちゃめちゃ面白い方なので、役小角と江ノ島の話はまた別の機会でお話しますね。
ちなみにこの方は修験道の祖とされる方なんです。
役小角と江ノ島の関係の記事も書いてあるので興味ある方はこちらもお読みください。
そして814年、空海が奥津宮を創建しました。
さらに、853年には慈覚大師(じかくだいし)が中津宮を創建しました。
鎌倉時代になると、源頼朝の名のもとに文覚上人(もんがくしょうにん)が弁財天を勧請し、この地に弁財天信仰が広まりました。
建永元年(1206年)、鎌倉幕府3代将軍源実朝の命により、鶴岡八幡宮寺の僧、良真(りょうしん)が江島神社の辺津宮を創建しました。
なるほど〜、平安時代に、奥津宮と中津宮ができて、鎌倉時代になって弁財天様の信仰が始まって、その後、辺津宮(へつみや)ができて、3つ揃ったんですね〜。
そうですね。鎌倉時代というと、もちろん、政治の中心は鎌倉ですから、鎌倉に近い江島神社もすごく発展して行ったんですよ。
鎌倉時代の北条家のとの結びつきも強くて江島神社の家紋と北条家の家紋もにているんです。
この辺の時代の江ノ島は面白い話も多いので、それもまた機会があったら話させてください。
北条家の話や、文覚上人(もんがくしょうにん)の話など、結構ドラマチックな話も多いんですよ。
鎌倉時代が終わると、政治の中心地は京都に戻るので、江ノ島も、徐々に活気がなくなってしまいます。
そして時が経ち、慶長5年(1600年)には、徳川家康が江島神社を参詣しました事で、また注目を集め出すんです。
そっか〜、江戸時代は江戸が日本の中心なので、江戸に近い江ノ島もまた活気がでてくるんですね。
そう言う事です。
この後、東海道が整備され、江ノ島のある藤沢にも宿場町が開かれました。
江戸時代中期には、庶民の間で全国の神社やお寺、名所を巡る観光が大流行し、江ノ島もその一つとして多くの人々が訪れる場所となりました。
こうして、江ノ島は多くの名僧によって霊場として重んじられ、多くの参拝者や観光客が訪れる神聖な島として栄えていったのです。
エンディング
いかがでしたでしょうか?
江ノ島は、古代から現代に至るまで、数々の伝承と歴史的な出来事が交錯する場所として、訪れる人々に深い感動と驚きを与えてきました。
五頭竜の伝説から始まり、天女の登場、修験道の聖地としての発展、そして平安時代や鎌倉時代、江戸時代に至るまで、江ノ島は常に日本の歴史と文化の重要な一部として存在してきました。
これからも、江ノ島はその神秘的な魅力を保ちながら、多くの人々に愛され続けることでしょう。
皆さんも、江ノ島を訪れる際には、ぜひその豊かな歴史と伝説を感じながら、島を散策してみてください。
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