江島の歴史を深掘り!徳川家康が導いた観光地の再生と庶民の信仰の秘密

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観光地伝承【神奈川】

江戸時代に入ると、日本の社会はそれまでの戦乱から平和な時代へと移行し、特に庶民の間で「観光」が一つの文化として広がりました。
そんな時代背景の中、江ノ島は観光地として大いに栄えることとなりました。
その契機となったのが、徳川家康による江ノ島参詣です。

僕たちの周りには、豊かな歴史を持つ魅力的な観光地が数多く存在しています。

これらの場所は単なる美しい景色や楽しいアトラクション以上のものを提供してくれます。
それは、その土地固有の歴史的背景、伝説、そして時には忘れ去られた物語です。

このブログでは、それぞれの観光地の歴史を深掘りし、訪れる価値がなぜ高いのか、その背景にあるストーリーを詳しくお伝えします。
歴史を通じて、それぞれの場所がどのようにして今の姿になったのかを探っていきましょう。

ルファ
ルファ

こんにちは、素人歴史研究家のルファです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

ね〜ぼです。

ルファ
ルファ

今回は江ノ島についてお話ししようと思います。
実は江ノ島は、鎌倉時代に非常に発展した場所だったんです。
でも、鎌倉から京都へ日本の中心が変わることで、江ノ島は次第に衰退していきました
しかし、江戸時代になると、ある出来事をきっかけに、江ノ島が再び注目され、観光地として大いに栄えるようになったんです。

AI画像:廃れる江ノ島
ね〜ぼ
ね〜ぼ

そっか〜、江ノ島は鎌倉に近いですもんね〜。
それで、江戸時代にまた栄え始めるんですね〜?

ある出来事ってなんですか?

ルファ
ルファ

それではここで読者さんとね〜ぼにクイズです。

問題

江戸時代に江ノ島が観光地として再び有名になるきっかけを作った有名な武将は誰でしょうか?

AI画像:この武将は誰?

さて読者さん、ね〜ぼ、わかりますか?

ね〜ぼ
ね〜ぼ

うーん…有名な武将ってことは、絶対、たくさんのスイーツを江ノ島に持ってきた人ですよね!

ルファ
ルファ

スイーツは全く関係ありません(笑)。
スイーツじゃなくて、彼が江ノ島に参詣したことが重要だったんです。
このブログを最後まで読めば、誰なのかきっとわかるはずですよ!

ね〜ぼ
ね〜ぼ

そっか~、わかりました〜!
今回の話をちゃんと聞いて、答えを考え直します!

ルファ
ルファ

それでは、早速、本編に行ってみましょう🎵

徳川家康と江ノ島参詣の歴史的背景

慶長5年(1600年)、徳川家康は江島神社に参詣し、特に弁財天を篤く信仰しました

AI画像:参拝する家康

この年は、天下分け目の関ヶ原の戦いが行われた年でもあり、家康はこの戦いに勝利するために、各地の弁財天を祀る神社で戦勝祈願を行っています。
この参詣は、単なる宗教的行為だけでなく、家康が全国統一を成し遂げる過程での重要な儀式の一環としても位置づけられていました。

家康が江島神社を訪れたことは、のちの江戸幕府による東海道の整備につながり、江ノ島へのアクセスが一層容易になりました。
江ノ島が所在する藤沢には、東海道五十三次の一部として藤沢宿(ふじさわじゅく)が開かれ、この宿場町は江戸から京都への旅の中継地点として重要な役割を果たしました。

AI画像:東海道五十三次藤沢宿


藤沢宿(ふじさわじゅく)は、元々鎌倉時代に開かれた遊行寺(ゆぎょうじ)の門前町として発展していましたが、東海道が整備されたことでさらに繁栄しました。
江戸時代中期には、藤沢宿(ふじさわじゅく)は江ノ島参詣の玄関口としても賑わいを見せ、参詣者や旅人が行き交う場所となったのです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

ねぇルファさん、さっき『東海道五十三次』って言ってたけど、それって何なのですか〜?

ルファ
ルファ

いい質問ですね、ね〜ぼ!
『東海道五十三次』は、江戸時代に江戸(今の東京)と京都を結ぶ主要な街道で、江戸時代の人々が旅をするときに使った道なんです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

へ〜、それってどれくらいの距離があったんですか?

ルファ
ルファ

江戸から京都までは約500キロメートルくらいあるんですけど、道の途中には宿場町が全部で53カ所あったんです。
だから、『五十三次』って言うんです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

宿場町って、旅の途中で休める場所ですよね?

ルファ
ルファ

そうそう。
旅人たちは宿場町で休んだり、ご飯を食べたり、馬を乗り換えたりしてたんです。
宿場町ごとに特色があって、今でも観光地として有名な宿場町も多いんですよ。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

ご飯??
美味しいものも沢山あったんでしょうね〜!
へぇ~、その宿場町を巡るだけでも楽しそうですね!
でも、江ノ島は東海道にどう関係してるんですか?

Googleアース
ルファ
ルファ

江ノ島は東海道の宿場町、藤沢宿(ふじさわじゅく)から近い場所にあるんです。
だから、江ノ島に参拝に行く人たちは、藤沢宿で一休みしてから江ノ島に向かっていたんですよ。

江ノ島の弁財天信仰

江ノ島が庶民の観光地として特に注目されるようになったもう一つの要因は、弁財天への信仰が庶民の間で広まったことです。
弁財天は音楽、芸術、知恵の女神として知られていて、さらには富や財産の神としても崇拝されていました。
江戸時代になると、弁財天を祀る神社が全国各地で人気を集め、江ノ島もその一つとして多くの参拝者を引き寄せました。

AI画像:弁財天信仰

この信仰の背景には、江戸時代の平和な時代において、人々が豊かさや幸福を求める心が強まったことが挙げられます。
特に江戸の町民たちにとって、江ノ島は「開運スポット」として一大ブームを巻き起こしたのです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

戦国時代は争いばっかりで庶民が旅行できる時代じゃないですもんね〜。
江戸時代はいい時代だったんですね〜。

江戸時代中期の江ノ島参りブーム

江戸時代中期になると、日本全国で「お伊勢参り」が大流行しました。
伊勢神宮への参拝は、全国から多くの人々が訪れる一大行事でしたが、江戸から伊勢までの道のりは非常に長く、全ての人が参拝できるわけではありませんでした。
そこで、江戸の町民たちは、より近場で、3~4日で楽しめる江ノ島参りを選ぶようになりました。
江ノ島参りは、江戸からの往復で約130kmの長さであり、伊勢神宮よりははるかに近いという事で目をつけられたのです。
とはいえ、それでも長い距離ですので、当時の人々の体力や旅行への意欲の強さがうかがえます。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

確かに、旅行で130キロ歩くは現代ではかなり疲れますもんね〜!

ルファ
ルファ

伊勢まで歩くのよりはマシですけど、それでも130キロ歩くのは僕も嫌ですね。

しかし、当時の人にとっては、江ノ島参りは、単なる宗教行事ではなく、旅そのものが楽しみの一部となっていました。
江ノ島での参拝後には、極楽寺を経由して鎌倉へ向かうルートが一般的で、鎌倉では大仏や長谷寺、八幡宮などの名所を巡るのが定番でした。

Googleマップ


鎌倉は、かつて鎌倉時代に政治の中心地として栄えた場所でしたが、戦国時代には一時的に衰退していました。
江ノ島参りのブームが再び鎌倉を活気づけ、多くの参拝客や観光客が訪れるようになりました。

このように、江戸時代の江ノ島参りは、単なる観光旅行ではなく、信仰と娯楽を兼ね備えた特別な体験として庶民に受け入れられていました。
参拝者たちは、弁財天を祀る江ノ島や、古都鎌倉を巡ることで、心の安寧や運気向上を願いながら、旅そのものを楽しんでいました。
江ノ島参りは、当時の人々にとって、日常から離れ、自然や歴史と触れ合う貴重な機会であり、これが江戸時代の観光ブームを支えた一因となったのです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

なんだか、江戸の日々の生活が見えてきそうな話ですよね〜。
ところでルファさん、江戸時代の人たちって、他の藩に行くときには関所(せきしょ)を通らなきゃいけなかったんですよね?
江ノ島参りとかで、みんな自由に他の藩に行けたんですか?

ルファ
ルファ

いい質問ですね、ね〜ぼ!
確かに、江戸時代には藩と藩の境目に関所があって、勝手に越えることはできなかったんです。
でも、特別な許可があれば、庶民でも関所を通ることができたんですよ。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

特別な許可?
それってどうやって取るんですか?

ルファ
ルファ

関所を通るためには、たとえば寺社への参詣や商売など、正当な理由がある場合に旅の許可証、いわゆる『手形』を取得する必要があったんです。
この手形を持っていれば、関所を通過できたんですよ。
参詣目的であれば比較的取得がしやすかったと言われているんです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

じゃあ、江ノ島参りをする人たちも手形を持ってたんですね。

ルファ
ルファ

そうですね。
特に有名な寺社への参詣は、手形が必要とされることが多くて、江ノ島参りや伊勢参りみたいに庶民にも人気のある旅は、手形を取得して安全に行けるようになっていたんです。
だから、たくさんの人が江ノ島参りに出かけたんですよ。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

なるほど!手形を持っていれば、自由に旅ができたんですね。
でも、手形を持ってても関所を通る際はやっぱり緊張しただろうなぁ…

ルファ
ルファ

確かに、関所を通るのは今でいうパスポートチェックみたいなものだったから、緊張したかもしれないですね。
でも、それだけの手間をかけてでも、江ノ島参りをする価値があると思われていた証拠でもありますよね。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

そっか〜、昔の人たちもすごい冒険をしてたんですね!
江ノ島参りは、ただの旅じゃなくて特別な体験だったんだんですね〜。

ルファ
ルファ

そうですね。
それが江戸時代の庶民にとって大きな楽しみの一つだったんです。
ちょっとここでワンポイント雑学です。

水戸光圀と『新編鎌倉志』

鎌倉観光ブームをさらに後押ししたのは、水戸黄門のモデルとして知られる水戸光圀です。
光圀は、実際には全国を行脚(あんぎゃ)して悪代官を懲らしめたわけではありませんが、彼が訪れた鎌倉での活動が後に大きな影響を与えました
特に彼が編纂した『新編鎌倉志(しんぺんかまくらし)』という書物は、鎌倉の名所や史跡(しせき)を詳細にまとめたもので、現在のガイドブックの先駆けともいえるものでした。
『新編鎌倉志』は全12巻から成る大作であり、その充実した内容から、鎌倉を訪れる際の必需品として広く愛用されていたんですって!

エンディング

ルファ
ルファ

さて今日のお話はいかがでしたでしょうか?

ね〜ぼ
ね〜ぼ

ふぅ~、今日は色々と勉強になりました〜

ルファ
ルファ

それでは最初もクイズの答え合わせをしましょう。
読者さん、ね〜ぼ、問題は覚えていますか?

問題

江戸時代に江ノ島が観光地として再び有名になるきっかけを作った有名な武将は誰でしょうか?

AI画像:この武将は誰?
ね〜ぼ
ね〜ぼ

クイズの答えは…
えっと、いろんな影響はありましたけど、「きっかけ」を作った武将というなら、やっぱり徳川家康さんじゃないでしょうか?

ルファ
ルファ

正解!
徳川家康が関ヶ原の戦いに勝つために江島神社の弁財天に参詣したことが、江ノ島が再び有名になるきっかけだったんです。
彼が戦勝祈願をした弁財天が、江戸時代の人々にとっても重要な存在になって、江ノ島参りが大ブームになったんです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

そうかぁ〜!
江戸時代の人たちにとって、江ノ島はただの観光地じゃなくて、運気アップのための大事な場所だったんですね。

ルファ
ルファ

その通り。
江戸時代の江ノ島参りは、信仰と娯楽が一体となった特別な体験で、江ノ島や鎌倉を巡るルートも大人気だったんです。
このブームが、江ノ島や鎌倉が再び栄えるきっかけになり、江戸時代の観光文化を支える大きな役割を果たしたんですよ。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

なるほど〜。
今日もたくさん勉強したし、これでスイーツも関係してたら完璧だったんですけどね〜!

ルファ
ルファ

スイーツの話も大事だけど、歴史の流れを知るのも面白いでしょ?
次回もまた新しい話を用意しておくので、楽しみにしてくださいね!

最後までお読み頂きありがとうございました。
それでは次回の歴史観光記事でお会いしましょう🎵

皆様へお願い
ルファ
ルファ

最後に1点、広告させてください。

江ノ島の歴史と伝説に魅了されて、この本を書き上げました。
五頭龍と弁財天の物語や、知られざる伝承をぎゅっと詰め込んだ一冊です。
江ノ島を訪れる前に、ぜひ興味のある方は読んでみてください。僕の思いが詰まったこの本が、皆さんの旅をもっと特別なものにしてくれることを願っています。
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