古事記・日本書紀は日本で最古の歴史書です。
古事記・・神々の時代から推古天皇までを物語形式で描かれており、国内向けの書物とされています。
日本書紀・・古事記同様、神々の時代から、持統天皇の時代までの歴史を全30巻にわたって記述しています。

こんにちは、素人歴史研究家ルファです。

こんにちは、助手のエヌです。

こんにちはね〜ぼです。

ねえ、ねえ、知ってます?
古事記が作られた背景ってすごく面白いんですよ!
飛鳥時代の話なんですけど!

飛鳥時代?それって、昼寝の時間ですか?。

ね〜ぼ、ちょっと真面目に聞いて。
ルファさん、続けて。

そう!天武天皇の時代さ。
日本がまだ日本としてのアイデンティティを持ってなかった時代ですよ。

え?日本が日本じゃなかったの?。

それは、各地域が独自の神話や信仰を持っていて、全国としての統一感がなかったという意味ですね。

そうそう!現代で言うと、地球には国連とかあるけど、全ての国が従う法律はないじゃないですか?
当時の日本もそんな感じだったんです。

ふむふむ…でも、お腹が空いてきたなぁ。

ね〜ぼ、もう少し我慢して。ルファさん、天武天皇はどうやって日本を一つにしたんですか?

ああ、それがすごいんです!
天武天皇は日本を一つにまとめることを目指したんです。でも、外的要因も大きかった時代でもあったんです。

外的要因…?それって、外からのおやつ?

ね〜ぼ、それは違うわ。
ルファさん、詳しく教えて。

うん!当時、大陸には隋という大国があり、その後にはもっと強い「唐」という国が出てきたんです。
日本は実は唐と戦って、大敗してたんだよ。
白村江の戦いは、663年に朝鮮半島の白村江で行われた戦争です。この戦いは、唐・新羅連合軍と日本・百済連合軍との戦いでした。
戦いは、唐・新羅連合軍に滅ぼされた百済を救うために日本が軍を送ったことで始まりました。百済は、友好関係にあった日本に復興を依頼しました。
日本は、唐・新羅軍よりも軍勢が多かったものの、斉明天皇の死による士気の低下や唐の最新兵器によって最終的に敗北しました。
この戦いで日本は惨敗し、百済は滅亡しました。日本は朝鮮半島進出を断念し、中大兄皇子は国内の整備に努めるようになります。
戦場となった白村江の河口は血で真っ赤に染まったといわれています。

えー、そんなことあったの?!

正確には、朝鮮半島の国と唐で戦いがあって、朝鮮半島の国を助けに行ったら、唐にボコボコにされちゃったんですけどね。
そして、その敗北の後、日本は中国に対する意識が高まり、国の統一の必要性を感じることになったんですけど。

だから、古事記や日本書紀が作られたんだよ。
天皇が神の子孫で、この国のトップだということを伝えるためにね!

ん?よその国の戦争に援軍に行って負けて、なんで古事記、日本書紀がつくられたんですか?
いまいち繋がらないんですけど・・!

つまり、超大国の唐が出現して、朝鮮半島の国が唐の属国となってしまって、このままでは日本も同じ運命になってしまうと考えたんです。
だから国内でゴタゴタしてる場合じゃなかったんです。

そう、そう、だから、古事記や日本書紀が作られたんです。
天皇が神の子孫で、この国のトップだということを伝えるためにね!

なるほど…でも、そろそろおやつの時間じゃない?

もう、ね〜ぼは本当に食いしん坊なんだから

全くしょうがないですね。
ね〜ぼのためにも、そろそろおやつの時間にしようかな!

やったー!おやつ、おやつ!
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