こんにちは素人歴史研究家ルファです。
助手のエヌです。
ね〜ぼです。
お二人とも聞きました?
来年の大河ドラマは紫式部なんですって!
もちろん、知ってますよ〜!
吉高由里子さん主演で来年1月からスタートですよね!
大の吉高由里子さんファンの私としてはもう楽しみで楽しみで!
う〜ん、でも平安時代ってあまり良くわからないんですよね〜!
戦国時代とか、幕末とかって、すごく戦いがあって人気があるのはわかるのですが、平安時代って、貴族がカラオケしたり、サッカーしたりして遊んでるイメージです。
カラオケ?サッカー?
カラオケじゃなくて、和歌、サッカーじゃなくて蹴鞠ですよ!
なんかちょっとズレてますね!
平安時代はなんだか平和なイメージはありますけど、実は平安時代って血みどろの権力争いの時代で、内部ではアツイバトルが勃発していた時代でもあったんですよ!
へ〜それは意外でした。
みんなで仲良く遊んでいたわけじゃなかったんですね。
そうですよ!
朝廷内部では、皇室の血筋を巡った暗殺や策謀が横行していた時代なんです。
有力貴族が、自分の娘を天皇家に嫁がせて権力を握る!
まさに、サスペンスみたいなドキドキ感がある複雑な時代なんです。
紫式部を取り巻く人間関係
源氏物語は知ってます〜。
源氏の戦いが書かれているんですよね〜。
ね〜ぼそれ、平家物語と勘違いしてませんか?
平家物語は、平安時代後期の源氏と平家の争いで平家が滅亡する話で、源氏物語は、恋愛小説ですよ!
恋愛と戦いは全然違います。
ん、ちょっと待ってください。
恋愛も戦いといえば戦いか・・?
ね〜ぼ、そういう事ですか?
・・・・あ、・・はい・・、その通りです・・
(いや絶対違うでしょ!)
紫式部の誕生は970年説、973年説,また978年説がありますが、978年説は近年誤りであるとの見解が濃厚だそうです。
つまり、生没年不詳なんですね。でも、この辺りの時代の人でした。
「紫式部」というのは本名ではなく、ペンネームだそうです
余談ですが、紫式部と呼ばれるようになった理由は、父親が藤原性でその役職が「式部丞」!
紫式部は、障子に仕えるための仕事場では「藤式部」と呼ばれていたそうなんです。
そして、紫式部の代表作の「源氏物語」のヒロイン「紫の上」という女性の紫をとって、紫式部と呼ばれるようになったそうなんです。
平安時代のややこしい所は、藤原さんがとにかく多い!
とにかく、当時、藤原さんはたくさんいました。
元々は、飛鳥時代の中臣鎌足が出世して藤原となってから、貴族には藤原さんが増えましたその辺はまた別で解説したいと思います。
では、主な登場人物の簡単な説明をしていきますね。
紫式部
そうなんです。
当時は頭がいい、学がある女性というのは、重宝されたんです。
へ〜紫式部さんは頭がよかったんですね〜!
なんか紫式部のお父さんが頭のいい方で、その教育の賜物らしいですよ!
そうそう、当時の和歌って、人に送る風習があって、送られた貴族は返歌と言って和歌を返すのですが、その言葉の扱い方で、どれくらい知性があるかがわかってしまうんですって!
へ〜、現代の即興ラップバトルみたいな感じですかね?
踏んで、相手に響くようなうまいワードを使って返すみたいな!
おお、確かにそうですね!
和歌を歌い合う事のどこが面白いのかなって思ってましたが、そう言われるとエキサイティングで面白そうですね!
貴族の和歌を歌いあう遊びもあったみたいですが、
ラブレターみたいな感じでも、よく歌われてたみたいですよ。
男性貴族が、女性に和歌を送り、その女性の返歌が良いものだと、「お!?これはなかなかいい!」って事で、モテたみたいです。
実は、この源氏物語が日本で初めての恋愛小説だったなんて話もあるんですよね!
当時の人達にとって、初めての恋愛系のエンタメ!
流行らないわけがありませんよね。
特に、道長も一条天皇も源氏物語にハマっていたようで、早く続きを書いてくれとせがまれた事もあったとか!
私は、グルメ本の方が興味あります。
紫式部と、藤原道長
え?権力の中枢に入り込むって、道長さんは、生まれつき力をもった貴族じゃなかったんですか?
もちろん、家柄はすごくよかったです!
でも、後に、あの有名な、「この世は自分の思い通りで、あの満月のように欠けてるものは何もない」という詩を歌えるほど、全てを持っていたわけではないんです。
へ〜時代によって、色々違うんですね〜!
では、道長にとってのその最大の勝負とは誰と戦っていたのかについて解説しますね。
定子と清少納言
ええ〜、道長さんは当時はダークホース的な存在だったんですね!
障子と定子
ええ?2人とも正妻なんですか?
正妻が二人なんて、そんなのおかしいですよ!
エヌさん!
昔の偉い人は奥さんがたくさんいてもいいんですよ
エヌさんも意外と、歴史をわかっていないですね〜!
ね〜ぼ多分違いますよ!
エヌさんが引っかかったのは「正妻」という所です。
昔の偉い人は正妻は一人で、あとは側室という事でたくさんの女性と結婚することができたんです。
だから正妻が2人いるというのはおかしい事なんです。
ガーン
なぜこんなことができたかと言うと、ややこしいのですが、簡単に言ってしまえば、言葉の解釈を変えて無理やり認めさせたと言う感じでしょうか?
障子が嫁入りした時は定子はすでに出家していたと言いますが、定子には「皇后」、障子には「中宮」と言う肩書きで2名の正室を両立させたんですって!
そうなんですね。
当時の女性達は権力争いに巻き込まれていただけなのかもしれないですね。
エンディング
いかがでしたでしょうか?
今回は紫式部とその周りの人間関係について動画にしてみました。
この辺の時代は大きな戦があったわけではなく、人間関係のドラマが多くあった時代です。
一見わかりずらいのですが、その時の当事者の心情を詩った和歌などを読み解くと一気に面白くなる時代です。
人の気持ちは当事者でなければなかなか解らないですからね。
また私達の術を使って、直接当事者の気持ちを聞いてみるって言うのも良いかもしれませんね。
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