平安女流作家紫式部の人間関係!清少納言とは不仲!?藤原道長は上司!?

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日本史

紫式部(むらさきしきぶ)は、平安時代中期の貴族女性で、女流作家、歌人、女房(女官)です。
『源氏物語』の作者として知られています。
紫式部は女官となり、藤原道長の妻である彰子に仕えました。
彰子は紫式部の才能を認め、彼女を『源氏物語』の執筆に協力させました。
『源氏物語』は、紫式部が1001年頃から1014年頃にかけて執筆した長編小説です。
紫式部は、平安時代中期を代表する文人であり、その業績は、日本文学史に大きな影響を与えました。

ルファ
ルファ

こんにちは素人歴史研究家ルファです。

エヌ
エヌ

助手のエヌです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

ね〜ぼです。

ルファ
ルファ

お二人とも聞きました?

来年の大河ドラマは紫式部なんですって!

エヌ
エヌ

もちろん、知ってますよ〜!

吉高由里子さん主演で来年1月からスタートですよね!

大の吉高由里子さんファンの私としてはもう楽しみで楽しみで!

ね〜ぼ
ね〜ぼ

う〜ん、でも平安時代ってあまり良くわからないんですよね〜!

戦国時代とか、幕末とかって、すごく戦いがあって人気があるのはわかるのですが、平安時代って、貴族がカラオケしたり、サッカーしたりして遊んでるイメージです。

ルファ
ルファ

カラオケ?サッカー?

カラオケじゃなくて、和歌、サッカーじゃなくて蹴鞠ですよ!

なんかちょっとズレてますね!

平安時代はなんだか平和なイメージはありますけど、実は平安時代って血みどろの権力争いの時代で、内部ではアツイバトルが勃発していた時代でもあったんですよ!

ね〜ぼ
ね〜ぼ

へ〜それは意外でした。

みんなで仲良く遊んでいたわけじゃなかったんですね。

エヌ
エヌ

そうですよ!

朝廷内部では、皇室の血筋を巡った暗殺や策謀が横行していた時代なんです。

有力貴族が、自分の娘を天皇家に嫁がせて権力を握る!

まさに、サスペンスみたいなドキドキ感がある複雑な時代なんです。

ルファ
ルファ

そうそう、その中でも、平安中期にもっとも力を持っていた藤原道長の時代に紫式部は登場するんです。

というわけで、今回は、紫式部の周りの人間関係にスポットを当てて、相関図を解説しますね。

この時代、意外とキャラの濃い人物が多くて面白いんです。
まずは、当時の人間関係の相関図だけ解説しますね

紫式部を取り巻く人間関係

ルファ
ルファ

こちらの図が紫式部を取り巻く相関図です

まず、紫式部は平安中期の小説家であり歌人でもありました

有名な作品は 《源氏物語》《紫式部日記》《紫式部集》などです

ね〜ぼ
ね〜ぼ

源氏物語は知ってます〜。

源氏の戦いが書かれているんですよね〜。

エヌ
エヌ

ね〜ぼそれ、平家物語と勘違いしてませんか?

平家物語は、平安時代後期の源氏と平家の争いで平家が滅亡する話で、源氏物語は、恋愛小説ですよ!

恋愛と戦いは全然違います。

ん、ちょっと待ってください。

恋愛も戦いといえば戦いか・・?

ね〜ぼ、そういう事ですか?

ね〜ぼ
ね〜ぼ

・・・・あ、・・はい・・、その通りです・・

ルファ
ルファ

(いや絶対違うでしょ!)

ルファ
ルファ

紫式部の誕生は970年説、973年説,また978年説がありますが、978年説は近年誤りであるとの見解が濃厚だそうです。

つまり、生没年不詳なんですね。でも、この辺りの時代の人でした。

紫式部」というのは本名ではなく、ペンネームだそうです

余談ですが、紫式部と呼ばれるようになった理由は、父親が藤原性でその役職が「式部丞」!

紫式部は、障子に仕えるための仕事場では「藤式部」と呼ばれていたそうなんです。

そして、紫式部の代表作の「源氏物語」のヒロイン「紫の上」という女性の紫をとって、紫式部と呼ばれるようになったそうなんです。

平安時代のややこしい所は、藤原さんがとにかく多い!

とにかく、当時、藤原さんはたくさんいました。

元々は、飛鳥時代の中臣鎌足が出世して藤原となってから、貴族には藤原さんが増えましたその辺はまた別で解説したいと思います。

では、主な登場人物の簡単な説明をしていきますね。

紫式部

ルファ
ルファ

紫式部は、藤原道長の娘である障子のお世話係として、働いておりました。

なので、源氏物語などの物語を作っていたのは本業ではなく副業だったんですね。

源氏物語の内容は、簡単に言ってしまえば恋愛物語です。

モテモテの光源氏が魅力的な女性たちといろんな恋をする話です。

これが、貴族の間で流行っていたんですね。

エヌ
エヌ

源氏物語を書いていた時期というのは、正確にはわからないそうなのですが、中級階層の貴族だった紫式部の文才が素晴らしいという事で、道長の目に止まり、障子のお世話掛りにスカウトされたって話ですよね

ルファ
ルファ

そうなんです。

当時は頭がいい、学がある女性というのは、重宝されたんです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

へ〜紫式部さんは頭がよかったんですね〜!

ルファ
ルファ

なんか紫式部のお父さんが頭のいい方で、その教育の賜物らしいですよ!

エヌ
エヌ

そうそう、当時の和歌って、人に送る風習があって、送られた貴族は返歌と言って和歌を返すのですが、その言葉の扱い方で、どれくらい知性があるかがわかってしまうんですって!

ね〜ぼ
ね〜ぼ

へ〜、現代の即興ラップバトルみたいな感じですかね?
踏んで、相手に響くようなうまいワードを使って返すみたいな!

ルファ
ルファ

おお、確かにそうですね!

和歌を歌い合う事のどこが面白いのかなって思ってましたが、そう言われるとエキサイティングで面白そうですね!

エヌ
エヌ

貴族の和歌を歌いあう遊びもあったみたいですが、

ラブレターみたいな感じでも、よく歌われてたみたいですよ。

男性貴族が、女性に和歌を送り、その女性の返歌が良いものだと、「お!?これはなかなかいい!」って事で、モテたみたいです。

ルファ
ルファ

紫式部と道長の間の和歌で面白いものが残ってるみたいです。

道長が、紫式部をちょっとおちょくる和歌を送って、それに対して紫式部がスンとするみたいな!

この二人の関係は諸説あるので、この和歌にはいろんな解釈ができて面白いんです。

エヌ
エヌ

実は、この源氏物語が日本で初めての恋愛小説だったなんて話もあるんですよね!

当時の人達にとって、初めての恋愛系のエンタメ!

流行らないわけがありませんよね。

特に、道長も一条天皇も源氏物語にハマっていたようで、早く続きを書いてくれとせがまれた事もあったとか!

ね〜ぼ
ね〜ぼ

私は、グルメ本の方が興味あります。

ルファ
ルファ

ね〜ぼは花より団子ですね!

グルメについては別の動画にしましょうか。

ではもうちょっと紫式部の周りの人間関係をみていきましょう。

紫式部と、藤原道長

ルファ
ルファ

紫式部は、中級階級の娘でしたが、その文才と知性を見込まれて道長によってスカウトされました。

道長は権力の中枢に入り込むため、娘の障子を一条天皇と結婚させたかったんです。

そのため、優秀な家庭教師を集めていたんです。

紫式部はその一人だったという事なんですね。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

え?権力の中枢に入り込むって、道長さんは、生まれつき力をもった貴族じゃなかったんですか?

ルファ
ルファ

もちろん、家柄はすごくよかったです!

でも、後に、あの有名な、「この世は自分の思い通りで、あの満月のように欠けてるものは何もない」という詩を歌えるほど、全てを持っていたわけではないんです。

エヌ
エヌ

そうそう、道長には兄弟がたくさんいて、道長は5男なんです。

なので、そこまで力を持つ事はないと思われていたんですが、

道長が優秀だった事や運も作用して、みるみる出世していったんです。

ルファ
ルファ

最終的には、自分の娘3人を天皇と結婚させて、最大権力を得るところまで出世するんです。

紫式部の仕えた障子道長娘として初めての天皇の奥さんになるので、この障子を天皇と結婚させることが道長にとっても最初であり最大の勝負だったんです。

当時は、天皇家に娘を嫁がせる事が何より大事だったんです。

もっと後の時代の武士の時代だと、男の子が生まれた方が後継になるという事で大事とされてましたが、この時代の一部の貴族は、女の子の方が喜ばれていたんですって!

ね〜ぼ
ね〜ぼ

へ〜時代によって、色々違うんですね〜!

ルファ
ルファ

では、道長にとってのその最大の勝負とは誰と戦っていたのかについて解説しますね。

定子と清少納言

ルファ
ルファ

道長の最大のライバルは兄、道隆!ではなくその息子でした

つまり、道長にとっての甥ですね。

道隆は自分の娘、定子を一条天皇と結婚させ、権力が磐石になったと思いきや、早くに亡くなってしまいます。

そこで力を持っていたのが、道隆の息子です。

妹の定子は、一条天皇と結婚しており、父道隆の権力を受け継ぐと思いきや、そこに現れたのが、道長です。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

ええ〜、道長さんは当時はダークホース的な存在だったんですね!

エヌ
エヌ

そうなんです。

定子と一条天皇の間に子供もいたので、道隆の家系の方が当時は有力だったんです。

清少納言はこの定子に仕える家庭教師だったんです。

ルファ
ルファ

道隆の息子と道長の勝負は結果からいうと道長が勝利するですが、これには諸説色々あります。

道長の策謀があったとか、道隆の息子が一条天皇に嫌われていたとか、単純に自滅したとか・・

道隆の息子は失脚し、後ろ盾のいなくなった定子は徐々に宮廷内で影響力を失っていきます。

そんな時に、道長によって障子紫式部が送りこまれるというわけです。

清少納言と、紫式部がライバルと言われる所以はこの辺の時代背景にあるんですね。

お互いに、有名な作品を残してますし、一条天皇の奥さんにそれぞれ仕えたという意味でもライバルっぽいです。

エヌ
エヌ

でも、実際には清少納言と紫式部が顔を合わせることはなかったんですよね。

定子は若くして亡くなっていますし、紫式部障子に仕えた時期には清少納言はお宮から出てましたし。

ルファ
ルファ

そうですね。

でも、紫式部はお宮で働いてる時、定子に仕えていた清少納言達の方が優秀だったと女中に言われた事があって、嫉妬していたなんて話もありますからね〜。

直接会ったことがあるかは書物に残されていないので定かではありませんが、同世代のライバルとして意識していた事は間違いなさそうですね。

障子と定子

ルファ
ルファ

紫式部から少し離れますが、障子と定子の関係性についてもちょっと触れていきます。

障子と定子はともに一条天皇の正妻だったんです。

エヌ
エヌ

ええ?2人とも正妻なんですか?

正妻が二人なんて、そんなのおかしいですよ!

ね〜ぼ
ね〜ぼ

エヌさん!

昔の偉い人は奥さんがたくさんいてもいいんですよ

エヌさんも意外と、歴史をわかっていないですね〜!

ルファ
ルファ

ね〜ぼ多分違いますよ!

エヌさんが引っかかったのは「正妻」という所です。

昔の偉い人は正妻は一人で、あとは側室という事でたくさんの女性と結婚することができたんです。

だから正妻が2人いるというのはおかしい事なんです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

ガーン

ルファ
ルファ

なぜこんなことができたかと言うと、ややこしいのですが、簡単に言ってしまえば、言葉の解釈を変えて無理やり認めさせたと言う感じでしょうか?

障子が嫁入りした時は定子はすでに出家していたと言いますが、定子には「皇后」、障子には「中宮」と言う肩書きで2名の正室を両立させたんですって!

ね〜ぼ
ね〜ぼ

それだけ道長さんが力を持っていたと言う事ですね。

でも定子さんはなんだか可哀想ですね〜。

障子さんに追い出されたみたいな形になって!

障子さんと、定子さんはやっぱり仲が悪かったんでしょうか?

エヌ
エヌ

いや、そうとも言い切れないみたいですよ。

定子と一条天皇は凄く仲がよかったのですが、定子は若くして亡くなってしまいます。

その定子の子供を育てたのが、障子だったみたいです。

しかも子供も障子によく懐いていたそうです。

ね〜ぼ
ね〜ぼ

そうなんですね。

当時の女性達は権力争いに巻き込まれていただけなのかもしれないですね。

エンディング

ルファ
ルファ

いかがでしたでしょうか?

今回は紫式部とその周りの人間関係について動画にしてみました。

この辺の時代は大きな戦があったわけではなく、人間関係のドラマが多くあった時代です。

一見わかりずらいのですが、その時の当事者の心情を詩った和歌などを読み解くと一気に面白くなる時代です。

エヌ
エヌ

人の気持ちは当事者でなければなかなか解らないですからね。

また私達の術を使って、直接当事者の気持ちを聞いてみるって言うのも良いかもしれませんね。

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