日本の神話と歴史が交錯する、壮大な物語。高天原の神々から始まり、神武天皇の統一へと続く、数千年にわたる神々の戦いと、そして富士山の秘密。
古事記と富士宮下文書には大きな違いが!
この物語は、日本の起源とその神秘を解き明かす鍵となります。
一体、神々はどのようにして日本を形成してきたのでしょうか?
その答えは、この物語の中に。
こんにちは、助手のエヌです。
こんにちは、マスコットのね〜ぼです。
ここ数回、古代、栄えたかもしれない幻の富士王朝の書かれた富士宮下文書関連の記事を書かせていただきましたよね。
はい。
もちろん、史実ではなくあくまで偽書とされてる文書ですよね。
偽書かもしれないけど、「もしかしたら?」って考えるのが楽しい・・・・
でしたっけ?。
ね〜ぼにはちょっと難しいお話でしたかね?
前回までは、
・文書の古代からの行方と
・それを編算した徐福
という人物についてお話してきました!
合わせて読みたい記事⇩
今回はいよいよ、富士宮下文書に何が書かれていたのか?
その内容を解説していきたいと思います。
いよいよ、内容に触れるんですね。
楽しみです。
富士宮下文書の内容を楽しむには、日本神話の内容がわかるとより楽しめると思います。
所々対比させながらお話しますが、もしよかったらこちらも合わせてお読みください。
う〜ん、今回も難しそうだけど、頑張ってついていきますね。
それでは行ってみましょう!
富士宮下文書の内容
富士宮下文書の始まり!富士山麓と日本の神々
富士宮下文書のお話では9000年前、ユーラシア大陸のどこかに神々が住んでいたとされています。
その場所がどこか諸説ありますが、トルコとイランの国境にあるアララット山と関連があると言われています。この山はノアの箱舟の伝説で有名です。そのため、旧約聖書との繋がりを示唆する人たちもいるのです。
そして、6400年前、神々は世界中に散らばりました。
中でも「高皇産霊神(タカミムスビ)」の7人の皇子たちは様々な地へと旅立ちました。その中の二人、「国常立尊(クニノトコタチ)」と「国狭槌尊(クニサツチ)」は、父「高皇産霊神」と共に日本の富士山麓に降り立ちました。この出来事が日本の国の起源となり、「神の国」としての日本の始まりを告げるものだったと記されています。
そして、7代の神々の皇族によって507年間その時代は続いたとされています。
壮大な話だと思いますけど、知らない神様ばっかりで頭が混乱します〜!
確かに、かなりマニアックな神様たちですね!
この神様たちは日本神話にも出てくるんですか?
はい、日本神話にも出てくる神様たちですよ!
では一度、ここで日本神話の話と比較してみましょう。
日本神話でのストリー
高皇産霊神(タカミムスビ)」と「国常立尊(クニノトコタチ)」と「国狭槌尊(クニサツチ)は日本神話でも登場する神様です。
富士宮下文書では9000年前から話が始まり、6400年前にこれらの神々が登場しますが、日本神話では初めの天地開闢の際に登場する神々です。
古事記、日本書紀でちょっと違いますが、それぞれの関係図はこんな感じです。
こうしてみると、古事記、日本書紀で多少は違いますが、どの神様も日本神話の最初の天地開闢の神々なんです。
また、カタカナで難しい名前がいっぱい〜💦
う〜ん、日本神話ではこの世界に現れた初めての神様達なのに、富士宮下文書ではユーラシアの大陸からやってきて日本を作った神様達という事なんですか?
富士宮下文書によると、そういうことになりますね。
となると、日本の神話としては始まりの神が大陸からやってきたとなるのは神話としてちょっと締まらない気が!!
富士宮下文書が偽書とされてる裏には何か匂いますね〜!
確かに、富士宮下文書が正しければそうなります!
しかし、現代では偽書となっています。
富士宮下文書がなぜ偽書とされているのかは次回に記事で詳しく書こうと思いますが、
基本的に古史古伝はこういった話が多いんです。
偽書として扱われてますが、もしかしたら所々真実が混じってるのでは?と考えるのが面白いんです。
ふ〜ん、そんなもんですかね〜!
それで、日本神話ではどんな活躍するを神様なんですか?
日本神話では、タカミヌスビ、クニノトコタチ、クニノサツチは登場シーンだけなんです。
「ナリナリと現れた」ぐらいとしかわからないんです。
あまり詳細には書かれていないんですね〜!
そうなんです。
宮下文書ではその神々の行動が詳細に書かれてるので面白いんですよね〜
また、ちょっと面白い話もあるんです。
タカミムスビは中国の伝説の人物「神農」とも同一神と言われているんです。
「神農」の伝承にも息子二人に東方の山、蓬莱山に向かわせたというものもありますし、また、農耕や薬の神といわれている所もタカミムスビと同じなんです。
昔の人々は当然知りませんが、現代の人類史を見ると、最初の人類の祖先はアフリカで生まれ、大陸伝いに日本にやってきたというのが常識ですよね。
そこに照らし合わせると古代、日本に渡ってきた人々の話とも捉えられるんです!
高天原の継承
7代の神々の最後のイザナギ尊の死後、後継者問題が浮上しました。イザナギ尊には、天照大神尊、月夜見命、栄日子命(ヒルコ)がいました。栄日子命は障害を持っていたため、伊豆の淡島で海の神としての生活を選びます。
天照大神尊が最も賢明であったため、本来の後継者である月夜見命は彼女に皇位を譲りました。天照大神尊が最終的に皇位を受け入れ、時代の名前も「豊阿始原ノ世(トヨアシハラノヨ)」として新たに名付けられました。
この時代は5代488年間続いたと言います。
宮下文書では、この神々の暮らす富士山の裾のを富士高天原としているんです。
う〜ん、日本神話で有名な神様が出てきてますが、何かちょっと違うような・・・
そうなんですか?
私は眠くなってきました〜
ええ〜!ね〜ぼ!!
イザナギやアマテラスは以前、このブログでも結構取り扱ってますよ!
それでは富士宮下文書と日本神話の違いについて解説しますね。
三貴神の日本神話との違い
日本神話では、イザナギの子供の大きな力をもった3柱は、アマテラス、スサノオ、ツクヨミの3柱です。
富士宮下文書ではまず、スサノオがいなくて、その代わりにヒルコの神様が入っています。
日本神話でもヒルコの神様は出てきます。イザナギ、イザナミが地上に降り立ち、初めての子供ですね。
しかし、結婚の儀式を間違ってしまい、奇形として生まれ、海に流されるという不遇の神様でもあるんです。
また、日本神話ではアマテラスが治める地を高天原と呼びますが、それがどこかは明言されていません。
高天原って天国じゃないんですか?
天国っていうとちょっとアレですけど、天界のイメージはありますよね〜。
富士宮下文書ではそれが富士山なんですね!
それにしても日本神話で有名なスサノオが出てこないのは意外ですね。
ですよね。
日本神話においてスサノオは大活躍する主要な神様の1柱ですからね!
さて、スサノオは富士宮下文書でも今後出てくるのでしょうか?
天の岩戸と多伽王の挑戦!高天原の危機と和解
高天原での平和な日々に突如変化が訪れました。朝鮮半島から、高皇産霊神のひ孫、多伽王(タカオウ)が侵入してきたのです。彼は高天原を乗っ取ろうと攻めてきたのです。その結果、天照大神尊は天の岩戸に隠れてしまい、世界は暗闇に包まれました。
神々はこの状況を打破するため、天ウズ女命が特別な踊りを披露しました。
彼女の面白おかしい踊りに神々は笑い、その騒ぎに天照大神尊が岩戸を少し開けた瞬間、力持ちのタジカラオが岩戸を全開にしました。これにより、明るさが世界に戻りました。
一方、多伽王はタジカラオとオオナムチに追い詰められ、特定の岩の間に挟まれてしまいました。彼は自分の行いを反省し、天照大神尊に助けを求めました。天照大神尊は彼の祖先を知り、彼の罪を許しました。そして、彼を祖佐男命(スサノオ)として迎え入れました。
祖佐男命はその後、日本全国を平定し、三種の神器を作り、天照大神尊に献上しました。彼は出雲という地に住み、罪を犯した神々の教育を担当しました。
ええ?スサノオは大陸からの侵略者として描かれてるんですね!
それに、ここ話は日本神話でもあった、天岩戸神話ですよね。
でもやっぱり日本神話とは違いますね!
そうなんです。
日本神話では、スサノオは暴れはしたものの、高天原を攻めにきたわけではありませんでした。
しかし、富士宮下文書では朝鮮半島から攻めてきたという内容になっています。
でも、負けて許してもらったんですね〜!
そうなんです。
負けて、アマテラスと義兄弟の契りを結んで兄弟となるわけです。
後、もう一つ日本神話と違う点があります。
う〜んなんだろ?
アマテラスさんを誘き出す宴会の時の料理が違かったとかですか〜?
違いますよ!ね〜ぼ!
タカオウ、すなわちスサノオを退治したのは「オオナムチ」ってところですよね!
そうなんです。
オオナムチというのは別名オオクニヌシと言って、スサノオの子孫にあたる神様なんです。
う〜ん、なかなか難しいですね!
「富士山の悲劇: 木花咲耶媛尊とニニギ尊の運命」
高天原の次代の神皇、天之忍穂耳尊(アメノオシホミミ)の後、その役割は彼の第一皇子、ニニギ尊に引き継がれました。ニニギ尊は高天原で美しい木花咲耶媛尊と出会い、恋に落ち、結婚しました。
彼女は富士山近くの「竹取塚」という場所で生まれました。
しかし、彼らの新婚生活は突然の危機に見舞われました。九州に大陸からの侵略者が攻めてきたのです。ニニギ尊と木花咲耶媛尊は共に戦いのために出陣しました。この戦いは30年に及び、多くの神々が命を落としましたが、最終的には日本の土地は守られました。
この戦いの最中、木花咲耶媛尊の父、大山津見命(オオヤマツミ)が彼女の支援のために四国に向かいましたが、途中で彼の妻が亡くなり、彼自身も四国で亡くなりました。
この悲劇の後、木花咲耶媛尊は妊娠していることがわかりましたが、ニニギ尊は彼女の貞操を疑いました。
これに傷ついた木花咲耶媛尊は高天原に戻り、3人の子供を出産した後、富士山の火口に投身自殺しました。この事件で富士山は大噴火を引き起こしたと言われています。
ニニギ尊は妻の死を悔やみ、病気になりました。彼を慰めるために、猿田彦命と天ウズ女命が特別な舞を披露しましたが、ニニギ尊はすぐに亡くなりました。
彼らの3人の子供、火照須命(ホデリ)、火須勢理命(ホスセリ)、火々出見尊(ホオリ)は、それぞれの役割を引き継ぎ、高天原の次代を担うこととなりました。
ニニギさんてなんか聞いたことがあります。
ニニギって確か、日本神話では天孫降臨神話で、高天原から地上に降りてきた神さまですよね。
そうですね。
日本神話では、ニニギはアマテラスの孫で、3種の神器を持って地上の宮崎県の高千穂あたりに降り立ったとされています。
その際、道案内をしてくれたのが猿田彦です。
同情人物の神様はリンクしてますよね〜
ちなみに、猿田彦と天ウズ女命は結婚したなんて話もあるんですよ!
また、日本神話ではよくわからない展開を富士宮下文書では補完してくれているようにも思えます。
ニニギとコノハナサクヤヒメのエピソードは日本神話では、お腹に宿った子供を疑うシーンはありますが、なぜ疑ったのかは理由がよく分かりませんでした。
日本神話では、疑われたコノハナサクヤヒメは自ら産屋に火をつけ、その覚悟を見せ、無実を証明したという内容なのですが、なぜそのような行動に及んだかいまいち理解できません。
しかし、富士宮下文書の内容ではその辺のエピソードが多少違いますが、意味がわかるようになっています。
富士宮下文書では古代の争いが詳細に書かれてるんですね。
でも位置関係がだいぶ違いますね。
この時は日本神話では九州に本拠地があって、富士宮下文書では富士山付近ですもんね。
そうですね。
でも、富士山付近には浅間神社という富士山信仰の強い神社が数多くあるのですが、そこにはニニギやコノハナサクヤヒメが主祭神であることが多いんですよ!
富士山の火口に身を投げたコノハナサクヤヒメが富士山の神ともされているんです。
へ〜!
ということは、やっぱり富士山王朝は存在していたんですかね〜?。
ただ、コノハナサクヤヒメと富士山が結びつけられたのが江戸時代以降とも言われてるので
なんともいえませんが、でも不思議ですよね!
日本の二つの王朝: 高天原と九州の分裂と統合
ニニギ尊の死後、高天原では後継者を巡る争いが勃発しました。三つ子の兄弟、火照須命(ホデリ)、火須勢理命(ホスセリ)、火々出見尊(ホオリ)の中で、火照須命(ホデリ)と火々出見尊(ホオリ)が王位を巡って対立しました。結果として、火々出見尊が神皇となりました。
ちなみに日本神話では火照須命(ホデリ)は海幸彦、火々出見尊(ホオリ)は山幸彦としてでも有名な神様です。
しかし、九州に再び外敵が侵攻します。火々出見尊は長男を新たな神皇として九州の防衛に向かわせました。その後、火々出見尊は九州に新たな王朝を創設し、ウガヤフキアエズを初代神皇としました。これにより、日本は東の「高天原ノ世」と西の「宇家ヤ不ニ合須ノ世」の二つの王朝に分かれました。
しかし、九州の神皇は、即位の儀式を行うために富士に赴かなければならず、これは困難な旅でした。
この二つの王朝の時代は、神武天皇の東征まで約2740年続きました。この間、九州は大陸との交易で繁栄し、富士は衰退しました。
約2700年前、大陸からの侵略が再び起こりました。九州の「宇家ヤ不ニ合須ノ世」の最後の神皇は、大軍を編成してこれに対抗しましたが、戦いは困難を極めました。多くの犠牲を出しての戦いの後、神武天皇が統一を果たし、日本に再び安息がおとづれました。
なるほど〜!
この時に九州の王朝と、富士山の王朝の2つができるんですね!
う〜ん、話は難しいですが、まず元々富士山に王朝があったんですね。
でも大陸から敵がくるから、九州を守りに行った王朝と、富士山に残った王朝の2つができて、徐々に九州の王朝が力を持ってきたってことですね。
ということは、日本神話と富士宮下文書の違いとしては、
日本神話の舞台はニニギが九州に直接降りてきて、神武天皇の時代に大和に移ったとされているのに対して、富士宮下文書では、元々富士山にあった王朝が防衛のために九州に分家したというようなイメージなんですね。
そうですね。
とはいえ、本家は富士山の王朝だったので、正式な儀式は富士山の王朝に行って、執り行われていたというのがこの時代なんです。
神から人へ: 高天原の終焉と日本の新時代
神武天皇が即位したことで、日本の王朝は新たな時代を迎えました。神としての神皇から、人としての天皇へと移行し、「人皇の時代」が始まりました。神武天皇は、全国を統一し、都を奈良の橿原市(かしはらし)に設定しました。
神武天皇は富士高天原を訪れ、そこに鎮まる神々を祀りました。特に、ニニギ尊と木花咲耶媛尊を祀った場所は、現在も富士宮市の山宮浅間神社(やまみやせんげんじんじゃ)として知られています。
しかし、後の天皇たちは、富士高天原の権威を次第に低下させる政策を採用しました。これにより、富士高天原の影響力は減少し、朝廷の中心としての役割は終わりを迎えました。
この変化は、天下の不作や疫病、さらには富士山の噴火といった自然災害と結びつけられ、神々の怒りと解釈されました。
特に、第11代天皇、垂神天皇が高天原の祀り事の権利を掌握したことで、富士からの「高天原」の名が消え去りました。これにより、6400年前に始まった「高天原」の時代は、終焉を迎えました。
この変革は、日本の歴史において、神としての統治から人としての統治への移行を象徴しています。
宮下文書だと、こうして徐々に富士山から奈良に王朝が以降していったと書かれているんですね。
なるほど〜!
それは壮大な話でしたよね〜!
ところで徐福さんが富士山に来られたのはいつぐらいだったんですか?
垂神天皇が生存していたとされるのは3世紀〜4世紀ぐらいとされているので、もっとずっと前ですね。
つまり、徐福が富士山王朝をおとづれた時は、まだまだ富士山王朝が力を持っていた時代ということになります。
富士の影で織りなす日本の歴史: 南朝とその遺産
その後も富士王朝の復活を願う動きも定期的に起こりました。応神天皇の子供の大山守皇子(おおやまもりのみこ)は富士への入麓を決意し、それが大きな騒動の始まりとなりました。
彼の行動は朝廷を揺るがせました。富士川を境に、対立する両軍が対峙しました。和議が結ばれ、大山守皇子は「宮下」と名を変え、富士の阿祖山太宮司として活動を続けました。この時の記録は徐福の子孫達が「宮下文書」に伝えています。
しかし、富士王朝の完全な滅亡は800年に起こった富士山の大爆発です。
その噴火で高天原の阿祖山太神宮は完全に壊滅しました。
なるほど、そうやって富士山王朝は消滅したんですね。
もちろんこれが史実であるということではないですが、内容としては結構面白いですよね。
はい!でももし本当だとしたら日本神話には富士山が出てこないんですか?
古事記を書いた時代にはもうすでに忘れられてたんですかね?
そこは私も気になってるんですよね。
時系列では、古事記が書かれたのは712年で富士山が噴火して完全に富士王朝が滅亡したのは800年。
つまり、古事記を書いていた時代には富士王朝は衰退していたとはいえ存在はしていたんですよね?
富士宮下文書が本当の歴史だとすると、あえて書かなかった可能性はありますよね。
というのも当時は畿内を中心に日本の国家を一つにまとめたいという時期ですからね。
日本神話も日本を一つにまとめるための書物でもありますし!
そうなると、富士王朝の存在は邪魔になりますからね。
協力して日本を盛り上げればいいじゃないですか〜?
ね〜ぼ、組織や国というものはトップが二つあるとまとまらないものなんですよ!
そうなんです。一つにまとめるという事は多少強引な手法も取らざる負えない状況もあるんです。
そうなるとそれに反発する人達が、もう一つの勢力に集まってしまう!
そうなると困るからです。
古事記には不自然というほど富士山の存在が消されています。
ヤマトタケルの神話では千葉の方まで遠征に行くのですが、富士山には言及されてない一方で、古事記と同時期に書かれた歌集には富士山の事が神聖な山として書かれているんです。
つまり、国家プロジェクトで行なった書物だけ、富士山が書かれていないという事ですね。
そういう事なんです。
その後の富士山
その後、坂上田村麻呂は、富士の神社を浅間神社に統一し、これにより、富士の高天原は歴史から消えてしまいました。
しかし、1333年、後醍醐天皇が富士に入麓しました。
は、隠れ南朝として高天原の復活を目指したという伝承もあります。
しかし、南朝の最後の尹良親王は、信濃伊那谷での襲撃で命を落としました。
その後、武田信玄や徳川家康が富士高天原の復活の願いを引き継いだと言います。
なるほど〜、富士山王朝が正史から存在がなくなっても、定期的に復興の活動があったかもしれないんですね。
徳川家康が江戸を作る時に富士山の位置を重要視していたなんて話もありますもんね。。
そうなんです。
こじ付けで色々付け足せるのも事実ですが、考え出すと楽しいですよね。
エンディング
いかがでしたでしょうか?
富士宮下文書は壮大で面白いお話ではなかったでしょうか?
もちろん、これが史実であるかどうかは分かりませんが、一部でも事実があったかもしれないと考えると、日本古代史の謎が少し解明できそうな気がしませんか?
以上の記事で、古代歴史に興味を持ったと思えてくれる方がいたら嬉しいです。
とはいえ、なぜ、偽書とされたのかというのにも理由があります。
それは、日本の歴史が変わってしまうとか、どこかの圧力とかそういった話ではなく、歴史学者の研究によってです。
その辺は次回の記事に書こうと思います。
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